2011年8月11日木曜日

誰もいない塾

今日から4日間、早稲田ゼミナール・医進塾はお休みです。
この間は誰も塾に来ません。

誰もいない教室・自習室に黙ってたたずんでいると、かつてここで勉強をし自分の志望校に入り、医学部生、獣医学部生として自分の将来の夢目指して努力している多くの先輩の姿が目に浮かびます。

予備校という場所は一つの「通過点」に過ぎません。それ以上のものであっては困ります。
でも、実際には多くの先輩たちが、中学校・高校とはまた別の愛情を感じる場所でもあるのです。

予備校に在籍したからと言って、それが学歴になるわけではありません。卒業証書を出すわけでもないし、文化祭、体育祭があるわけでもないのです。ただひたすら勉強に明け暮れる日々がそこにあり、かつそれが合格を保証するものでもないという極めて厳しい生活があるだけなのです。

それが予備校という場所の「宿命」であると同時に「使命」でもあると、私は考えます。

考えられる限り、全ての努力を「勉強」に集中させるような配慮に満ちた場所、それが予備校であるべきです。完璧とは言えないまでも、医進塾はかなりの部分その配慮に成功しているところだと自負しています。

だからこそ、誰もいない教室・自習室にいると、それだけで今までの先輩たちの「息遣い」「思い」が込められたこの場所が、特別なものに思えてくるのです。

個人的な感傷かもしれませんが、私は誰もいない教室や自習室で黙って空いている席に座り、ここで勉強していた人たち、そして今勉強している塾生のことを思いながら、何時間も過ごすことがあります。

この場所を通じて、彼ら・彼女らとは絶ち難い心の結びつきを私は得ることができました。たった1年間という短い期間ですが、中学校・高校の6年間以上の密接な心の交流がそこにはあります。

卒業して第一志望に合格していった先輩達の多くの方とは、おそらくもう一生会うこともないかもしれません。でも彼ら・彼女らの思い出のどこかに、教室、自習室の自分の席がある限り、医進塾という場所は永久に存在するものだと思います。

医進塾はきっとこの先ずっと塾生の将来を支えてくれるものであることでしょう。

もちろんその頃には私はこの世にはいないと思いますが(笑)。

終戦記念の日が近くなると、私は毎年そんなことを考えます。