医進塾のカリキュラム上の特徴に「コミュニケーションプログラム(C/P)」があります。平たく言えばプレゼンの練習なのですが、そういうと「あぁ、会社の営業担当者がやるやつですね」と言われることが多く、まだまだ「プレゼンテーション」というものは健全な市民権を得ていないのだなぁという思いを強くします(笑)。
私は現在医進塾の塾長という仕事をしていますが、同時に英語教育研究団体である「English Forum」の主宰者でもあります。私立・公立を問わず、中学校や高校、専門学校の先生方が定期的に集まって様々な討議を重ねつつ、英語教育というものの向上に何かお役に立つことをしてゆこうという趣旨で始まったのが、このEnglish Forumで、会員数は30人ほどです。
何となく私の友人を中心に人が集まり、正式な会として発足したのが10年ほど前でした。それ以来いろいろな課題(アジェンダ)を年間で通して検討し、研究授業などを重ねてきたのですが、そこで最終的な問題として残ったものが、「そもそも、英語教育の本質的な目標って何だ?」というものでした。
「実用英語か教養英語か」という、大変に有名な「平泉VS渡部論争」などの研究をすることから始まり、結局明治以来、それこそ数限りなく同じような議論や論争がなされてきたことも、ある先生の研究発表からわかりました。
過去の議論をそのまま踏襲するような話し合いの方向は意味がないと考えた私達が、ほぼ一年間に渡って毎月のように集まっては議論を繰り返す中で、最終的な方向として出てきたのが「プレゼンテーション」というキーワードだったのです。
それまでにも「コミュニケーション」という言葉や概念は何度と無く取り上げられてきました。ですが、それではあまりに対象とする範囲が広すぎ、少なくとも「教育」という名のもとに「意識的な指導を継続して行なう」行為の目標とはしにくいという指摘がなされていたのでした。
私達の考えた「プレゼンテーション」は、スピーチとは違うものでしたし、もちろんディスカッションでもなく、ディベートでもなく、かといって単なるスモールトーク(おしゃべり)でもありませんでした。
「自分の意思・意志を相手に正確に伝え、その結果相手に何らかの行動の変革を起こさせようとする、一連の言語・非言語行為の総称」が、私達の考えた「プレゼンテーション」でした。
ABCから始まり、基礎発音練習、基礎単語の暗記、英文法体系の学習、読解練習その他全てが、最終的にはこの「プレゼンテーション」に結びついてゆかねばならないものだ、という地点から英語教育そのものを考え直してゆこうという共通の認識が出来たのが、今から4年ほど前のことでした。
(続く)