昨日、受験を終わらせた医学部コースの塾生が二人、帰りに医進に寄ってくれました。
彼らとしては特別なことをしているという意識があったわけではなく、入試当日で勉強が終わるわけではないのだから、試験中に気がついた自分の弱点を改めて先生方に確認し、補強するために戻ってきた、というような雰囲気でした。
これはとてもよいことだと思います。
医学部の場合、将来自分が医者という職業につくことが目的なのであって、医学部であればどこでもよいと言ったら言い過ぎですが、まずはどこかに入ること、これが当面のチャレンジとなります。
もちろん第一志望の大学はあるに違いありません。でもそこでなければ医者になれないわけではない。そう思えば「いくつか受けて、受かったところに行く」というメンタリティになるのは、ごく普通のことです。
私がとてもうれしかったのは、彼らからこんな言葉を聴いたからです。
「今日の試験を受けてみて、自分の足りない部分が改めてわかった。その部分を重要度に応じて次の試験までに片付けておきたいと思う。当面、自分の課題が明らかになったのがとてもよかったと思う」
自分の「課題」というのがよいと思いませんか?(笑)
ここには、一回の試験ですべてが決まってしまうわけではないのだから、堂々と受験し、できたところは素直に喜び、できなかったところは次回までに解決するために万全の努力をする、という入試に対応するための鉄則的な態度が表れています。
気負いも興奮もなく堂々と試験場にゆき、出会った問題を解くために全力を尽くし、終わったらそれを冷静に振り返り、次回までの課題を抽出してその解決に最善の努力を重ねること、まさにこれが受験生に望まれる理想的な態度です。
受験生に・・・というとなんだか小さく感じます。
実はこれが広い目で見ると「よき人生のため」の最善にして理想的な態度でもあるからです。
私は、そして医進塾は、不合理な精神主義をもっとも嫌います。でも将来人や動物の「命」そのものにかかわる仕事を目指そうとしている塾生に対しては、どうしても持ってもらいたい「精神的な構え」があることも事実です。
それが上に書いたことなのです。
受験が人生勉強になる・・・って、なんだか大げさに感じますか?(笑)
でもそれは事実なのです。
それが事実であるからこそ、受験勉強というのは、長い人生の最も良い時期のひとつである「青春期」を懸けるのに価するものなのだと、私は信じています。