(前回の続きです)
前回は学校のワーストと予備校のワーストについて書きました。では、それぞれの「ベスト」は何なのでしょう?
学校のベストは「仲間」だと思うのです。
友人関係だけではなく、先生も先輩も後輩も、すべて含んだ「仲間=チーム」が学校というところの財産だと言えないでしょうか。
自分の中学校・高校時代、あるいは大学時代も含めて、授業で教わったことは何一つ覚えていないけれど、その時代の友人とはずっとつながりを持っているという人は、決して少なくないと思います。
むしろ時が経てば経つほど大きな意味を持ってくるのが、20歳くらいまでの学校の友人関係ではないでしょうか。
ではなぜ学校時代の友人は一生の宝になるのか。
「それぞれが自分の力の範囲で、一緒に、一生懸命、何かに取り組んだ」からだと言ってよいと思います。
クラブ活動も、生徒会活動も、文化祭、体育祭、あるいは勉強そのものだって、仲間と一緒に取り組んだからこそ大きな意味を持つのです。
そしてその「意味」がもたらす充実感が、それに関わった人たちを一生の間強く結びつけて行くのでしょう。
これが「学校のベスト」だと私は信じています。
人間が成長してゆくとき、仲間は絶対に必要です。そしてその仲間はただの遊び友達ではなく、ひとつの目標を共有できた仲間であるべきです。
私はこの「仲間=チーム」を、医進に作りたかったのです。
以前訪れた、地方のある予備校では「お前!こんな点数をとって、○○から×点も差をつけられて、悔しいと思わないのか!!」というような学習「指導」をしている先生がいました。
また、ある塾では生徒の成績をすべて壁に張り出し、授業中に先生が上位生徒の名前を出して「△△に負けるな!あいつを蹴落として自分が上に出る気になれ!!」と、ねじり鉢巻で絶叫していました。
どこかおかしくないでしょうか?(笑)
成績を貼り出すことは、場合によっては医進でもやりますから、それ自体が悪いわけではありません。問題はそのことへの「意味づけ」です。
貼り出された成績を見て、成績上位者に対してすなおに「すごいね!」といえるだけの心の「余裕」、そして次回は自分がもっと上に行くぞ!という、内なる「決意」、それがなければ点数貼り出しは、ただの「愛の(ない)鞭」に過ぎません。
全員がひとつの心で「合格!」に向かって走れるチーム、互いの弱点を互いに補い合い、教えあい励ましあって進める仲間、他人のよい点を素直に認め、それを評価しつつ自分の中に取り込める柔軟さを持った人間集団、これを作るのが、私の医進塾での最初の仕事だったと思います。
(この項続く)