2011年1月24日月曜日

予備校のベスト、高校のベスト(パート1)

以前ある雑誌の取材を受けたことがあります。

記者 『先生は将来どんな学校を作りたいですか?』

私は次のように答えました。

『予備校のベストと高校のベストのコラボ学校です』

言われた記者さんはきょとんとした顔をしていましたので、はっきりしたイメージがつかめなかったのかもしれません。でもこれは私の教師生活30年の結論のようなものです。

学校というとほとんどの人の頭に浮かぶのは、小学校、中学校、高校、大学という「1条校」(教育基本法第1条に規定されているのでこう呼ばれます)でしょう。

公立・私立の1条校にほぼ30年近く勤めた私の実感は「1条校では本当の教育は無理」というものなのです。

教えている先生方が悪いというようなことではありません。公立・私立を問わず優秀で熱心な先生方はたくさんおられます。問題はその先生方のよいところを120%生かしていただくようなシステムがないということなのです。

「先生」の一般的なイメージは「教える人」です。特に「教科指導」がその中心的なイメージのはずです。ですが1条校での現実はまったくその逆です。教科指導の全仕事量に占める割合は、おそらく1割以下になるのではないでしょうか。そのくらい1条校の先生方には「書類仕事・雑用」が多いのです。

そのため学校の先生には自分の勉強をする時間がなくなります。自分が考えるベストの授業を作り上げてゆく余裕もなくなります。教科書が決まっており、指導要領というものまで文科省が作ってくれているのだから、それに従っていればよい、という風潮が、ここから生じてくるのです。

これは現在の学校というシステムを運営してゆく上で必然的に生ずる傾向です。誰がよいとか悪いとか言うことではありません。

これが「学校のワースト」です。

予備校はどうでしょう。

確かに1条校のような雑用はありません。自分の授業の完成度だけを考えていられる環境があります。時間も自由になりますから自分の勉強もしやすい状態が作れます。自分のことを自分が100%決められるようになります。1条校よりずっと自由です。

確かに自由はあります。でもその自由をはき違えると、予備校の教員は、いわゆる「一匹狼」になってしまいます。

1条校のように、全体を見る人がいて、その指導と監督の中で自分を生かしてゆくという発想を持ちにくくなるのです(というより、ほとんどの予備校ではその立場の人間がいないのが普通です)。

その結果、自分を計る物差しが「生徒の人気」だけということになります。「人気講師」としてたくさんの受講生を集められれば、それが自分の教師としての能力の高さだと、勘違いしてしまうのです。

受講生の人気は「結果」であって「目的」ではないという事実に気がつきません。

だから、授業中に日本刀を振り回してみたり、奇異な格好をしてみたり、奇矯な振る舞いをしてみせる予備校の教師が現れるわけです。

これが「予備校のワースト」です。

私はこの両方を30年間いろいろな場所で見てきました。だから自分の学校を作るとしたら、この逆のものを作りたい、同時にそれぞれの「ベスト」を組み合わせて生徒の指導にあたれる場所を作りたいと願ったのです。

ではそれは具体的にどのようなものになったのか、次回のお楽しみ・・・(笑)ということにさせてください。次回は私が医進塾でどのようなことをしてきたかを中心に書きたいと思います。