2012年9月26日水曜日

To do good よりも to be good を・・・。



安岡正篤の言葉だそうです。

「to do good を考える前に、
 to be good を目指しなさい」

医進塾には毎年いろいろな学生・生徒が入学を希望してきます。定員数までは、ある程度の選別を経て入学を許可します。たとえ定員内であっても

「この子は医進向きではない」

と判断された場合は丁寧にお引取りを願います。

そのような選別を経て入学した新入生ではありますが、予備校というところの宿命・特権で、年齢を制限することはありません。本当にいろいろなバックグラウンドを持った学生が、同じ自習室・教室で一年間徹底的に指導を受けるわけです。

最近面白いことに気がつきました。


入ったときは非常に強い「クセ」や「アク」のある子であっても、医進塾の徹底した授業と学習指導にさらされているうちに、遅くても半年ほどでそのクセやアクがなくなり、ごく自然な反応のできる人間になって行くということです。

「クセ」や「アク」はその人の人格の一部であって、無理やり強制して修正させるようなものではないと私は思っています。下手なやり方をすれば「角を矯めて牛を殺す」愚を犯すことにもなりかねません。

(※若いころの私はこのあたりのことが理解できず、ずいぶんとやりすぎもあったのではないかと、最近は反省することしきりです。)

ですがあまりにその『クセ』や『アク』が強すぎて、回りの迷惑を考えられなかったり、人間関係の軋轢に無関心・無感覚であるのも、彼らの将来の仕事を考えれば決して好ましいことではないということも事実です。

その子供たちが医進塾という徹底した「訓練の場」に自分をおくことで、自然と成長し成熟し、回りの仲間の真剣な勉強の様子を、言葉の真の意味において「間近に」見ながら自分も『大人』になって行くという過程を、私は数え切れないほど見てきました。

「厳しい鍛錬と訓練の場」

が彼らの人格的な成長を促してくれたということなのでしょう。

もちろんその場で彼らを指導してくれている講師の先生方の真摯な努力が、その成長に預かって力があったことは言うまでもないことです。

今朝の単語暗記チェックに来たA君がこんなことを言っていました。

「勉強が面白くなってきました。やり方がわかってきました。自分でも『やればできる』ということがわかってうれしいです!」

1学期当初

「勉強についてゆけない、自分に自信がなくなった」

という理由で欠席を繰り返していた時の暗い表情の彼とは

「別人ではないか」

とこちらが思うような、そんな晴れ晴れとした表情でした。

彼の心の中にはおそらく「来年の入試に間に合うかどうか・・・」という不安もあるに違いありません。ですが今の彼にであれば、私は堂々と

「『間にあうかどうか』を問うてはならない。『間に合わせるかどうか』を問いなさい」

といえるように思います。

昨日の英語に引き続き、今日からは数学も新クラスでスタートです。常に新しい気持ちでスタートしてくれることを期待しています。