このブログで、私はいままでかなりの量の文章を書いてきました。
考えてみれば今から30年前、全寮制のA高校で「寮生への手紙」と題して、主任舎監としての私の思いと生徒たちへの訴えとを書き始めたのが、そもそもの始まりでした。
それから形はかわりましたが、いろいろな場面でいろいろな文章を生徒や保護者の皆さんに書き続けてきました。
先日ふと、それらの文章で私は結局、
『何を言いたかったのだろう・・・』
と、考える機会がありました。
答えは目の前にありました。
医進塾の各教室には、「私はできる」というタイトルのプリントが貼られています。先日の『出陣式』で、この縮小版ラミネート版を全員に記念品として差し上げました。
その中の一文、
「全ては人のこころがきめるのだ」
この部分こそ、私が言いたかったことの
『すべて』
なのです。
人間社会のおよそすべての事柄は、「人のこころが決める」、だからこそ私たちは自分のこころの本当の部分を理解し、自分のこころの本質にそむかないよう人生を送らねばならない。
人のこころにはよい部分だけではなく「悪い」部分もある、だからこそ私たちは「良い部分を伸ばし、悪い部分を抑える」よう、自分を鍛えねばならない。
「絶対の事実」
として私たちが認めねばならない『死』そのものであっても、その「意味づけ」は、私たちの
「こころが決める」
だからこそ、私たちはその「こころ」にそむかず、鍛え、良い方向へと見る、持って行く生き方をしなければならない。
それは、最終的には自分ひとりでするべきことであったとしても、一人では難しいこともある。だから
「仲間」
を大事にしよう、
要するに私の言いたかったことは、こんなに簡単なことでした。それを言うのにこんなに沢山の文章を書かなければならなかった、自己の不明を恥じるのみです。
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「私はできる」
負けそうだなと思うと あなたは負ける
失敗しそうだなと思うと あなたは失敗する
もうダメかなと思うと そこからダメになる
やれると思う心のどこかに 無理かもしれないと思う心があると
次から次に無理がでてくる
全ては人のこころがきめるのだ
もしあなたがそう願うなら
あなたはその通りの人になる
成功している人を見てみなさい
最後まで成功を願い続けた人だけが
成功しているではないか
さあ 出発だ
強い人が勝つとはかぎらない
すばしっこい人が勝つとはかぎらない
「わたしはできる」
そう思える人が
結局勝つのだ