なぜ『勉強のプロagain』かと言うと、はるか昔、同じようなタイトルで記事を書いたことがあるからです。
⇒ http://wasedazemi-ishinjuku.blogspot.com/2008/04/blog-post_19.html
あのときには、同じプロとは言っても、将棋のプロを例にとり、
「アマチュアとは決定的に異なるプロの厳しさ」
を中心に書きました。
今日はもうひとつ別の角度から「プロ」を見てみたいと思います。
とは言っても私は世間がそれほど広いわけではないので、自分の一番良く知っている世界のひとつ、「空手」から例を取ります。
私の空手の先生の一人にT先生がいます。伝統空手の世界に多少なりとも興味のある人で「松涛館のT先生」を知らない人は、
「もぐり」
だといわれたほどの先生です。今はもう後輩の指導に専念しておられますが、お若いころは数多くの武勇伝を残された方です。
中でもヨーロッパ・アメリカの各支部を指導で回ったとき、次々と挑戦してくるボクサー、プロレスラー、他流派の空手家たちを、それこそ、
「一撃必殺」
で、撃退していったときの話は、すぐそばでその場を見ていたお弟子さんのから聞いたこともあり、まさに格闘技としての空手の可能性を私たちにはっきりと示してくれたものでした。
そのT先生が、まだ大学卒業後、日本国内の優勝や世界大会での優勝などを取る前のことです。
1日24時間、すべて空手の練習に充てたと聞き、私たちは本当に驚いたのです。
身体を動かす具体的な「道場練習」以外、歩いているときも、食事をしているときも、寝ているときも、すべて
「空手の稽古」
に充てたというのでした。
「そんなことが、どうして可能でしょうか?」
と聞いた私は、まだまだ若かったのだと思います。
「道を歩くとするだろう、前から人がくるね。その人がこちらの間合いに入った瞬間、突きを入れてきたらどうするか、蹴りを入れてきたらどうするか、同時に真横にいる人が裏拳を打ち込んできたらどうするか、これを常に考え続けるのだよ」
というT先生の話を聞き、
「自分もやってみよう」
と思い立ったのはよいのですが、いざやりだすと、それこそ10メートルも先に歩けないほど緊張の連続で1分でギブアップしたのでした。
それをT先生は24時間やったというのです。
「外で食事をするとするね。レストランのボーイさんが料理を運んでくる。自分のそばに置こうとしたとき彼が肘打ちをしてきたらどう防ぐ、料理を投げつけてきたらどうかわす、運んできたビール瓶でいきなり殴りかかってきたらどうする。これを24時間考えるのさ」
これが
「プロ」
というものなのだ、と改めて心から理解したのでした。
では「勉強のプロ」であるべき「医進塾塾生」はどうなのでしょう。
寝ている間も、とは言いませんが、自分のおきている時間、自分がたとえどこにいても
「勉強ができる」
態勢になっているでしょうか。
えんぴつとノートがあれば、
「駅のベンチでも」
勉強に取り掛かれる準備ができているでしょうか。
「公園のテーブルでも」
計算や単語の暗記に取り掛かれる心の準備ができているでしょうか。
私はここで医進12の塾生に対し、改めて
「勉強のプロになれ!」
と、はっきりと言いたいと思います。
私の教え子の一人から、私はこのことを学びました。次回はそのお話をしましょう。