私はよく口笛を吹きます(笑)。癖なのでしょうが、生徒からはよく「うるさいからやめてください!笑」とか言われて、大変に不評なのですが、気がつかなくてもつい吹いてしまっていることがあるようです(笑)。
先日もAKB48の「Everyday、カチューシャ」という曲を何気なく吹いていたら、
「なんで先生がそんな曲知っているのですか?!」
と怪訝な顔をされました。
「別に・・・、いいじゃない、いい曲だからだよ・笑」
「AKB48を先生が知っているということそのものが、おかしいです・笑」
「確かにAKBってAruteido-Kawaiikedo-Busumoiruの略だって言ったことあったよね・笑」
「ひどい言い方しますね!ファンに聞かれたら後ろから刺されますよ・笑」
刺されるかどうかは別にして、医進の中にもAKB48の大ファンがいたようです。
ある女性作家が彼女たちのことを指して、
『48人そろってやっと一人前のグループ』
とある場所に書いていて、言いえて妙と思わず笑ってしまったことがありました。
いろいろ言う人はいるでしょうし、好き嫌いは強制できませんから、どうでもよいのですが、それでも私はこのAKB48という女の子たちのグループに、比較的好感を持っています。それは彼女たちが、
「一生懸命やっているから」
です。
確かに「芸」能人としての「芸」の完成度は低いでしょう。純粋に彼女たちのパフォーマンスを『芸』として見れば完成度は三流かもしれません(失礼・笑)。でもあの年齢に完成を求める必要はありません。歌が下手でも踊りの振り付けを間違えても(笑)、ダンスのレベルが高校の文化祭レベルであっても、何かに打ち込み、それに「賭けて」いる人たちの姿には感動を与える『なにものか』があるものです。その『なにものか』が本物であるから、見ている側に感動を与えるのです。
超一流の芸人の手抜きの芸と、三流の芸人の必死の芸と、どちらを選ぶかということなのでしょう。そこから先はまさに、好き好きではあっても、特に若い世代に「必死さ」に対する憧れが強いのは、ごく普通に納得できる話です。
受験生は「勉強のプロ」です。「勉強のプロ」であるためには「いつ、いかなる条件の下であっても『学ぶ』ことができる」という強さを持たなければなりません。ある一定の条件のものでならば「勉強ができる」というだけでは『プロ』とはいえないのです。
『鉛筆一本、ノート一冊あれば、公園のベンチででも勉強できる!!」
という強い意志・意思があってこその
「勉強のプロ」
なのです。「勉強のプロ」は『学問のプロ』ではありません。間違えることも多いでしょう。人に教えることは苦手かもしれません。でも私たちはみな、勉強のプロとしての自覚を持った塾生のその「必死さ」に感動し、それを徹底的に支えてゆく決意を持っています。
AKB48の
「必死さ、一生懸命さ」
に感動できる心のやわらかさをもった人たちに、今年もたくさん出会えることを期待しています。