私が医進塾に来たのは2003年です。いまからちょうど6年前でした。それまでは栃木の全寮制N高校におりました。
かなりたくさんの仕事を抱えて、全寮制ですから、昼間の授業に加え夜間学習の指導もあったりして大変でした。
でもそれなりに(それ以上に!)やりがいもあったし、何よりもひとつのフロアの生徒たち30~40人と昼の授業と夜の学習指導を通じて24時間一緒にいることで、自分では気がつかない生徒理解への見方の変化もあったように思います。
そのN高校が、昨年の東日本大震災で壊滅的な被害を受けました。ずっと気になってはおりました。ですが現地を訪れる時間の余裕もなく今に至り、その機会を得たのはつい一昨日のことです。
英語科主任のH田先生とは、このN高校で一緒に教えた仲でしたので、彼の車に便乗し現地まで行きました。
現地の惨状は私の予想を超えてすさまじいものでした。中央管理棟の天井はほとんどが剥げ落ち、外壁はゆがみ、内部はまっすぐ歩くのが困難なほどあちこちがゆがんでいました。職員室も、校長室も、私たちのいた役員室も、見る影もなく破壊されていました。
教室棟には思ったほどの被害がないように見えましたが、内部に入ると、低層階はまだしも天井の高い校舎部分は上の部分が剥げ落ちて、配線がスパゲティのように垂れ下がり、往時の教室棟の面影はどこにもありませんでした。
それも寮棟の被害に比べればまだましというところでしたでしょうか。
私の2年過ごした部屋も、最後の1年を過ごした部屋も、そのそばの書斎兼会議室として使っていた部屋も、全てものの見事に壊されておりました。
床に固定してあったはずの「給湯器」(高さ1.8メートル)が、配管もろとも床から抜き出したように部屋の真ん中に転がっていました。おそらく縦揺れのときに抜けてしまったものが、その後の横揺れではじき出されて部屋の真ん中に転がったものでしょう。
よく見ると周りの部屋のいくつかで同じような現象が起きていました。ドアの前にそれが倒れこみ、ドアそのものが開かなくなり、2階から雨どいを伝わって下に下りたという職員もいたようです。
N高校では当時高校3年生を除く、中1から高2までが生活していたはずですが、死者が一人もでなかったのは、まさに、
「奇跡!」
だと言われたといいます。
私はN高校にほぼ3年間在籍し、様々な勉強をさせていただきました。よいことも悪いこともありました。でもそれはすべて今の私を作る原動力となってきたものでした。
そのN高校が3.11でこの惨状を呈したということに、私は深い悲しみを禁じ得ません。地震の被害に加えて放射能のホットスポットになってしまっている現状を考えると、学校再興の道は非常に厳しいものとなるでしょう。
ですが、現場の先生方はみな、
「なんとしても学校再興を!」
と、一致団結してがんばっておられるとのことです。
学校経営の最高責任を負う理事会も、理事長も、みな心をひとつにして学校再興への道を探っているところであるとも聞いています。
その結果がどのようなものになるにせよ、学校の危機を前に手を拱いて傍観していてよいはずはありません。
これからN高校がどのような発展を遂げるのかはわかりませんが、私も何らかのお手伝いができることを期待しています。