2012年1月9日月曜日

昨日、そして今日。

今日は「成人の日」です。

医進塾は「センター対策講座」が続いています。

今日は「センター対策数学」です。コース別、学力別に3クラスに分けて授業が行われています。

「成人の日」が1月15日からこの日に移動されたのはいつのころだったでしょう。もうだいぶ前のことにも感じます。私の頭の中には「成人の日=1月15日」がインプットされたまま変化がなく、今日がそうだよと言われても、あまりぴんときません。

昨日あちこちの市町村で「成人の日」の祝典が行われました。奇抜なアトラクションがあったり、中には市長さんが壇上で最近はやりの歌を歌って新成人へのはなむけとしたというようなこともあったようです。

人生50年の時代であれば20歳が「成人」でも良かったのかもしれません。でも今は「人生80年」の時代です。当然のことながら『成人』として認定する年齢も再考してよいように思います。そうならないほうが不思議です。

単純に「成人・成年」の定義を20歳から30歳に引き上げればよいということではなく、そこでどのような経験をつんできたかが客観的に分かるような基準があればよいということだとも言えます。

年齢がある一定の基準を超えたかどうかに関わりなく、大人になる人もいれば幼さを残したままの人もいる、それが本人にも周りにも、ある一定の説得力を持って分かるような基準が欲しいということでもあります。

20歳までの経験で十分に成長する人もいれば、30歳近くなってもまだまだ幼さを残している人もいることでしょう。周りに迷惑さえかけなければ、そしてそれがその人の生活の信条に反さなければ、許容されるべきなのかもしれません。それが『人生80年』の意味だといわれると、そうかな、とも思います。

医進塾でも同じことを感じます。現役生を除けば医進の生徒はみな20歳前後、中にはその歳を大きく越えた人もいます。実年齢に関係なく私たちが「お、この人は大人の発想を持っているな」と思うのは、殆どが、

「実社会での経験」

を持っている人です。この場合の『実社会』とは、実際の社会という意味でもありますし、同時に「学校」という「隔離され・保護された空間」の中に安住せず、その中で自分を高めるために本当の努力を重ねてきた人という意味です。

要するに、

「自分の力で自分の生活・人生を切り開いてきた人」

のことなのです。

当然といえばこれほど当然のことはありません。先ほど「同じことを感じる」と書いたのは、その逆が良くあるからです。

20歳をはるかに超えながら、自分の生活を自分で切り開こうともせず、ただなんとなく親のスネをかじって、その日を目的もなく過ごそうとしている人も今までには何人かいました(残念ながら、というべきか、当然のことというべきか、そういう人はみな医進で最後まで続かず、途中で勉強を放棄してしまうか、あるいは「陶冶性なし」としてお引取り願う(退学)か、どちらかでした。

最後まで努力を重ね、最終的に『合格!』を掴み取った人は、例外なく、

「厳しさに立ち向かう」

強さを持った人でした。

『大人』であるとは、要するに、自分の弱点は弱点として認めつつも、そこから逃げることをせず、何らかの使命感を持って自分を成長させてゆくだけの向上心を持った人、ということでもあるのでしょう。

いくら口で言っても、そのような人間になることはできません。一つ一つの試練を乗り越えて前に進む、そのような経験をしている人だけが、本当の意味での「大人:成人」になれるのだと思います。

医進での勉強は、「大人・成人」になるための訓練だと捉えてもよいのかもしれません。