昨日はほぼ半日に亙って携帯電話の電波障害が生じていたそうです。医進の事務室からU先生に連絡と取ろうとしても、どうしてもつながらず、つながっても突然切れたりノイズがひどかったり、混線して話ができなかったりと、散々でした。
「一体U先生はどこにいるのかな」
と心配していたところ、夜になって大規模な電波障害があったことが判明した次第です。
わかってしまえば「な~んだ」の世界ですが、改めて考えてみて、ちょっと恐ろしくなりました。大規模電波障害に大規模自然災害が重ならないという保証が何一つないからです。
「杞憂」という言葉に象徴されているような、なんら根拠の無い心配や不安は、確かにいらないものでしょう。でも現代の社会においては、「杞憂だよ」と笑う前に、まずは、
Anything is possible in this modern world.
「現代社会では起こりえないことはない」
と考えてみるほうが良さそうです。特に9.11の同時多発テロ、オウム真理教のサリン事件以後は、何をおいても、
「危機管理」
といわれている通りです。
危機管理の本質は前述のAnything is possible in this modern world.を徹底することに尽きます。そのために一番大事なことは、正しい根拠に基づいた
「想像力」
です。
この場合の「根拠」とは、いわゆる「物的証拠」や「科学的統計」だけでなく、人間の本質への洞察も含みます。
「凶悪犯罪を犯した犯人が人間である以上、自分も同じ状況に置かれたら同じことをするかもしれない」
という可能性への直視がそれにあたります。
直視を唯一可能にするのが、
「冷静さ」
です。パニックに陥った頭では自体を正確に把握できないからです。
・・・と、ここまで書いてきて思うのですが、今書いた「危機管理に必要とされること」は、勉強に必要とされることとほぼ同じではないでしょうか。
目の前に置かれた解決の対象とされるものが、実際の社会の事件か、たとえば数学の問題か、の違いしかないのでは、とも思います。
未知の問題を冷静に読み解いてゆく作業は、まさに実際の社会での「危機管理」のプロセスと通じるものがあるようです。
そう思うと医進での勉強も、より大きな可能性へ向けての訓練だということができるかもしれませんね。