二冊の本、「風に立つライオン」と「Will-眠り行く前に」に登場する多くのドクターが、共通して口にする言葉は、
「自分がここまでやってこれたのは、患者さんのおかげ」
ということです。
「病める人を前にして、ドクターのできることなどほんの少ししかない。逆に患者さんの『なんとしても生きよう』という姿から、元気とエネルギーをたくさんもらった。」
同じような言葉、表現が、言い方を換えて何度も繰り返されるのです。
『生命』に関わる職業に携わるものとして必須の「謙虚さ」がここにあります。
以前私の教え子の一人で、今は地方で勤務医・開業医をしているドクターとお話をする機会がありました。
そのときの彼女の悩みは、
「最近は理性と常識の範囲を超えて、要求水準の高い(高すぎる?)患者さんが増えて困っている」
というものでした。
彼女は言葉を選んで言ってくれたのですが、要するに最近はやりの、
「モンスターペイシェント」
のことを言いたかったのだと思います。
話をしていて私が、
「偉いな・・・」
と思ったのは、彼女の口からその後にすぐ、
「時間をかけてその人の言うことを聞き、よ~く考えてみると、なぜその人がそんなことを言ったのかが、少しだけ分かるような気がするんですよ」
という言葉が出た時でした。
何のためにそんな主張をするのだか理解ができないような患者さんのことを一般的には「モンスターペイシェント」というわけですから、それが一部だけでも、
「分かるような気がする」
のは、本当に大変な努力があってのことなのだろうと思うのです。
彼女の側の、
「謙虚さ」
があって始めて出来ることだろう、私だったら怒鳴ってたたき出して終わりだろうけれども、と、話していて感じたのです。
「風に立つライオン」の柴田先生も、「Will-眠り行く前に」の小倉先生も、この「謙虚さ」が、どうすれば可能になるのかを明確に書いておられます。
それは、たった一言、
「感謝」
ということです。
どんなに辛くても、自分がそこにいられることへの「感謝」、それを可能にしてくれたたくさんの人々への「感謝」、ドクターとして仕事が出来ることへの「感謝」、自分から生きる力を引き出してきてくれる患者さんへの「感謝」、明日のことは分からないけれど、今・この瞬間を自分に与えてくれるすべてのものへの「感謝」の気持ちが、この二冊の本には随所にあふれているように思います。
「感謝」
の気持ちは、一般的には、
「受身」
の感情として捉えられることが多いようです。誰かから、何かをしてもらったから、それに対して「感謝する」というのが、われわれ凡人の普通の感じ方です。
でもお二人の先生の生き方に代表される、この二冊の本に登場するドクターの感じ方は少し違います。彼らにとって、基本的に、
「感謝は努力」
なのです。
黙って受身でいるだけではない、積極的に「感謝」の対象を求め探して行くことこそ、『生命』に関わる仕事についている自分たちがしなければならないことなのだ、というメッセージがストレートに伝わってきます。
生命そのものへの、
「感謝」
そしてそこから自然に湧き出る、
「謙虚さ」、
これは今の医進の塾生すべてに、しっかりと心のそこから理解しておいてもらいたい事柄でもあるのです。