「風に立つライオン」をさだまさしさんに作曲させたのは、柴田紘一先生という方の存在でした。
もちろん歌詞には脚色があります。
柴田先生とさださんは長年の友人同士らしいのですが、インタビューの中で「千鳥ヶ淵の夜桜が・・・なんてところは彼(さださん)の創作ですよ・笑」と言っているほどです。
それでも柴田先生が、今から40年近く前、日本での医療行為に一度ピリオドを打ち、ケニヤという場所に行って、そこで日本では考えられないような状況の中で一人のドクターとして、七難八苦を乗り越えて人々のために尽くされたということは、明確な事実のようです。
宮崎医科大の「ライオン企画」は、この「風に立つライオン」に触発され、そのモデルとなった柴田先生に学ぶと共に、そもそもこの日本において「一ドクターである」とはどのような意味を持つのかを、医学部の学生たちが真剣に考え始めたのきっかけであったようです。
以下、柴田先生のインタビューの中から数箇所を抜き出してみましょう。
「僕がね、『風に立つライオン』で一番好きなところはね、『診療所に来る人々は病気だけれど、すくなくとも心は僕より健康なのですよ』というところですね。
彼らによって本当に助けられたということです。今でもそうです。支えてくれるのは患者さんですよ。まぁ、そのうちわかりますよ」
「医者の良い点というのは、われわれはどこにいても、たとえば無医村にいても都会にいても、相手となる患者さんというのは尊厳価値においては同一じゃないですか。どういうところにあっても全力で仕事ができるというところでしょうか」
「(医者の)悪い点は、医者の中には『自分が治している』と勘違いしている人がいる、ということでしょうね。患者さん自身が治ろう、治そうとしているのに、医者はそれを神様と共にちょっと手助けするだけなのに、『自分が治している』と、思い上がった心を持ってしまう・・・。」
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医学部に入るために全力で勉強を重ねている塾生たちに、私はこの柴田先生の言葉を改めて送りたいと思います。