今日で10月が終わり、明日から11月です。
11月を、私はこの言葉で始めたいと思います。
I am no more --- and indeed no less--- than a fine craftsman, a tailor, in search of work for my hands, honest work, to keep me alive. (A.S. Byatt )
「私はただの腕のよい職人ー生きてゆくのに手仕事をー良心的な仕事を求めている仕立屋です。それ以上でもそれ以下でもありません」
かつて「職人」という言葉が「差別語」だといわれたことがありました。おそらく何かの誤解で、「職人=unskilled work(誰にでもできる単調な仕事)をする人」というような印象が形成されてしまったからだと思います。
世の中にこれほど大きな間違いはないでしょう。
他人の真似事だけをしている三流四流の「仕事屋」なら別ですが、どのような分野であっても「一流の職人」になるのは、
「至難の業」
なのです。
学校という場所も同じです。10年一日のごとく同じことを繰り返して教えている教師に、誰が尊敬の念を持つでしょう。
「どんな学力の学生が来ても、必ずこのレベルまでは教えてみせる、分からせてみせる」
という使命感と情熱を持って教えてこその「指導」であり「教育」のはずです。
そこに必要なのは、本当の意味での、
「職人魂」
だと思います。優秀な教師は「一流の職人」でなければならないのです。
同じことは、塾生諸君にも言えます。
塾生諸君はすべて、
「受験のプロ」
でなければなりません。あるいはそれを目指さねばなりません。
「どんな問題が出ても、必ず解いてみせる、理解してみせる。
どんなに難しい問題も、必ず合格点には到達してみせる」
この気構えがあってこその
「受験生」
なのではありませんか?
世にはいわゆる受験生を揶揄する表現がたくさんあります。さすがに最近はあまり言われなくなりましたが、昔はよく「灰色の青春」だの「暗い10代」だの、ものの本質を分からない人間が、好奇心だけで作った表現が雑誌を賑わしたことがありました。
今でも時々そんな論調を目にします。
そんな言葉を気にする必要はありません。
一流の受験生を目指した人だけが、一流の医師、獣医師になれるのです。
結果についてつべこべというだけが取り得の「受験評論家」を気取る必要はありません。堂々と勉強に向き合い、本当の学力と、受験のテクニックを身に着けた、一流の「受験職人」を目指しましょう。
どんな問題が出されても、絶対に自分のものにしてみせるという「気魄」がそれを可能にします。
あと三ヶ月!のこの時期に、私が本当に医進の塾生に語りかけたいのは、このことです。