2011年11月10日木曜日

「上機嫌」は努力!?(笑)

「『上機嫌』はマナーという」以前の記事に、私の教え子から、

「分かってはいるのですが、実際にはねぇ・・・なかなかできないのですよ」

というコメントをもらいました。

実は私も(今でこそエラソーにこんなことを言ったり書いたりしておりますが)、以前はとてもこんな感じではなかったのです。

そのコメントへの私の再コメントです。


 『 『ぽっかぽか』っていう漫画をご存知ですか?テレビドラマ化もされたと思います。


あの主人公の麻美(あさみ)さんの生き方が、「マナーとしての上機嫌」の典型だと思いますよ(笑)。


彼女は「上機嫌であることに『真剣』」なんですよね。


そして「上機嫌であることへの『努力』」も、きちんとしているんです。


もちろん本人はそんなこと、おくびにもだしませんけど。「悪さ」も真剣に、「上機嫌」も真剣に!(笑)っていうところじゃないかな。


な~んてね、今分かったような顔をしてこんなこと言ってますが、以前の私は「不機嫌そのもの」だったこともありましたから、大きなことは言えないですよ(笑)。


以前の学校での私のあだ名(先生方の間で)は『歩く圧力団体』でした。


よっぽど不機嫌そうに歩いていたのでしょうね(苦笑)。困ったものですが・・・(笑)。




自分の普段の生活を考えてみても「上機嫌」でいられる瞬間が、あまりにも少ないのにガックリくることもありますね。


でも、「上機嫌でいられる瞬間・いられる環境で『上機嫌』でいること」に、何か積極的な価値があるでしょうか?


それは単に


当たり前


のことなのじゃないでしょうか(笑)。


傍目には到底「上機嫌」でなんかいられないような条件・状況・環境の中で、それでもあえて「上機嫌」でいる、いられること、それは100%、その人の


努力


によるものだと私は思うのです。


つらい環境、大変な状況は、誰にでも多かれ少なかれあるものです。つらい状況を「つらい」と判断するのは、ごく当たり前の価値判断でしょう。


その価値観のものさしを、


逆転


させてしまうことにこそ、人生の意味と「『よく』生きることへの秘訣」が隠されているのでは・・・って思います。


人生は一箱のマッチ箱に似ている。真剣に取り扱うのは馬鹿馬鹿しい。真剣に取り扱わないと危険である」(芥川龍之介『侏儒の言葉』)


・・・のだそうです(笑)。


芥川の本音とは思えませんね(笑)。彼は諧謔を好むあまり、心にもないことを言う癖がありますから。人は「馬鹿馬鹿しさ」では絶対に自殺などしないものです。


彼の本音はこの後半、「真剣に取り扱わないと危険」の部分だと思います。


本来人の人生はエネルギーの塊のようなものです。


真剣に取り扱わないと危険なのです。


でも真剣に取り扱った結果、そこから「負のエネルギー」を引き出してしまうのも、また人生というものの本質の一部なのです。


「上機嫌」はそれを救います。


正も負も、+も-も、生も死も、全ての可能性をその内に秘める「人生」というものから「正・+・生」のみを引き出してゆくのが、人の「上機嫌」なのです。


私が


「真剣に『上機嫌』になろう!」


という所以です。