『馬で行くことも、車で行くことも、二人で行くことも、三人で行くこともできる。だが、最後の一歩は自分ひとりで歩かねばならない』
(H.ヘッセ)
「そうなんだよね」
と思います。
私は今年で58歳になりました。物心がつくのが10歳前後とすれば、それなりに自分の人生だと思いながら歩いてきた月日が、約半世紀になるということです。
「人は恥じ多き青春時代を送り、罪深い壮年時代を過ごし、悔い多き老年時代を迎え、一生を終えるのだ」という言葉がありますが、私の一生は(少なくとも青春時代と壮年時代は)まさにその通りだと思うのです(老年時代に足をかけようとしているところで、たぶん老年時代もこの言葉の通りになるでしょう・笑)。
でもそんな私の一生でも、何度か自分の人生の方向について「決断」しなければならない時がありました。
多くの人から有益なアドバイスをもらいましたし、援助もしてもらいました。でも、最後の一歩は、先ほどの言葉通り、
「自分一人で」
歩かなければならなかったのでした。
私は大学・大学院を出てから今まで、「教育」の場から離れませんでしたので、世間一般でいう「転職」をしたという意識はあまりありません。
それでも一番最初に奉職した学校から数えて今まで、全部で5種類の学校を経験していることになります。
それぞれにみな、それなりの「決心」が必要でした。悩みに悩んだこともありましたし、職場を替えて「思っていたのと違う」と思ったこともありました。
でも今その全てを考えてみて、改めて
「これでよかったのだ」
と思えるのは、「最後の一歩を自分で歩いた」という意識が、私の中に明確にあるからなのだと思うのです。
昨日のHRで、塾生諸君に「これから三ヶ月の『怖さ』」ということを話しました。「もうこれで最後だ、もう後がない」という状況の持つ、一種独特の「緊張感」が、この時期を特徴づける『怖さ』にあたるものです。
塾生諸君はこの「怖さ」に立ち向かい、最後の最後は、
「自分の足で歩かねばならない」
のです。
そして「最後は自分ひとりで歩かねばならない」からこそ、今まで同じ道を一緒に歩いてきた「友」の存在が、重く、重要なものになってくるのです。
決して逃げることなく、最後の最後まで、
「自分の足で」
歩いてゆきましょう。
もうゴールは見えています。