選挙にはもちろん行きますが、その時の「公約」を確認し、所属政党を見て決めることが大部分です。その政治家が具体的にどのような人生を歩み、公約以外でどのような信条を持っているかというようなことについては、全くと言ってよいほど、
「無関心」
です。
そんな私ですが、例外の方が一人だけいます。Yさんという女性の方です(本名を出したいところですが、特に個人的な知己というわけではないので、イニシャルにします)。
ある方の紹介で彼女のウェブページなどを見ていて、その中の言葉が私の心に残ったのがきっかけとなりました。
「縁あって家族。上機嫌はマナー」
という言葉です。
Yさんご自身の言葉ではなく、彼女を育てたお父様の言葉として記載されていたものでした。
私はこの言葉に非常に感銘を受けました。
家族という特別の間柄だからこそ言えることでもありますが、これは「学校」というところにも当てはまることだと思ったからです。
具体的な「利益」を、職業として求めるわけではなく、自分を高めたいという崇高な気持ちで集まってきた人間集団が出会う場が「学校」です。
きっかけは「たまたま」でもよいでしょう。でもそこに集い、お互いが知り合い、狎れ合いになることなく高めあい、一つの目的に向けて協力してゆく場は、やはり
「特別な場」
なのだと思うのです。
その場で出合った人たちとは、先生方もそして生徒も皆、ここに集うのは、何かの
「縁」
があったからだと私は思います。
その「縁」を大事にしてゆこうとしないことは、なんともったいなく、申し訳ないことなのでしょう。
だからこそ
「上機嫌はマナー」
ということになるのだと思うのです。
学校という場所は人間関係が全てです。細かいことで嫌になることや意に沿わないこと、誤解、曲解、いさかい、トラブル・・・等等、人間関係は細かい問題点でできていると言ってもよいほど「問題だらけ」のものです。
でもそれらを全て超えて、
「上機嫌」
でいられるようにしなければなりません。そしてそれは考え方によって誰にでも十分に、
「可能」
なことなのです。
問題点だらけの人間関係ですが、そのような問題点を持てること自体への「感謝」があれば、そしてその問題点を積極的に解決して行こうとする「努力」、その努力が自分を高め、成長させてくれているのだという「自覚」を持てば、それらは自ずから(自然と)、
「上機嫌」
に結びついてゆくからです。
今勉強に打ち込んでいる医進の塾生全員に私は心からこの言葉を送りたいと思います。
「勉強は苦しい。でもその苦しい勉強が自分を高める。それに気がついたら『不機嫌』でなどいられない。今日一日を『上機嫌』で過ごそう!」