今朝のHRではこんな話しをしました。
##############
みなさんおはようございます。
昨日メディカルテストの成績表を作成していたら,ちょうど昨日で4月16日から数えて授業日数が30日になっていることに気がつきました。丸一ヶ月が過ぎたのですね。
今の時期に特長的なこととして「授業へのなれ」があります。「なれ」は通常は「慣れ」で,一般的にはよいこととして考えられます。英語では「get used to」を使いますね。
でも「なれ」にはもう一つ別の面もあります。英語の「get tired of」(飽き飽きする)に当たる言い方です。こちらには気をつけなければなりません。
一つだけ自分の例をあげます。
私は昔のフルート(ルネサンスフルート)を少しだけですが吹くことが趣味の一つです。練習を始めて大宮の先生のところまでレッスンに行きはじめたころのことでした。
「さ,やるぞ!」なんて思って一生懸命頑張って通ったのは最初の数回だけ。直ぐに「飽きて」しまいました。毎時間毎時間,基礎訓練の繰り返しだけだったからです。
きれいな音が出るのならばまだしも,ルネサンスフルートというのは吹き口が非常に小さいので吹き口に正確に口からの息が当たらないと,うんともすんとも言ってくれません。いくら吹いても風の音だけ・・・という情けない状態が続くと,本当にイヤになるものです。
しばらくは先生の教室に通うのがイヤでイヤで,「埼京線が事故で教室に行けない」ってならないかなぁ・・・などと,子供のようなことを考えていたこともありました。
それがあるときにがらっと変わりました。
音が出るようになったことも理由の一つですが,先生の言葉が変わったことが大きかったと思います。
それまでは教室に行くと,先生の最初の言葉は,
「じゃ,この練習をしましょう」
とか,
「今日はこの楽譜をやりましょうね」
というものだったのですが,ある日こんな風に言われたのです。
「外山さん,今日はなにをやりたいですか?」
私はもう大人ですから,子供の練習のように基礎練習を延々と繰り返すのではなく,基礎をできるだけ早く終わらせて(音がでなければそもそも練習になりませんから・笑),自分のやりたい曲,吹きたい曲をやらせたほうがよいというのが先生の基本的なお考えだったようです。
レッスンが面白くなったのはそれからでした。
それまでは事前の練習などほんのおざなりなものだったのですが,それ以来,一回のレッスンが終わると必ずそれを何度も何度も自分で繰り返し,音程の悪いところやクロスフィンガーのとりにくいところを確認してから次のレッスンに臨むようになりました。
「次はこれを教わろう,ここを指導してもらおう」
こういう気持ちになったとき,私にとってフルートのレッスンが単に「なれ」に任せて嫌々行くものから,「問題意識をもって積極的に利用するもの」へと変わっていったのでした。
私のこの体験は,もしかしたら皆さんの今の状況に少しは役に立つかもしれません。
医進での授業が始まってから一ヶ月,私はことあるごとに,
「先生の指導に従いなさい,講師の先生の言ったとおりの勉強をしなさい」
といい続けてきました。
これはこれで正しいことなのですが,もしも皆さんがこの指示を間違って捉え,自分なりの工夫と問題意識を持たない授業態度になってしまっていたら,つまり,医進の勉強に悪い意味で
「なれて」
しまっていたら,これは問題です。
医進塾での勉強は,いわば
「空港の滑走路」
のようなものだからです。
空に飛び立つまではパイロットといえども管制塔の指示にしたがって,言われたとおりの滑走路を使い,そのラインに従って滑走をします。
でも一端空に飛び上がったら,あとはパイロットの腕で先に進むわけです。自分の力で空に飛び立つという意識を持っていないパイロットが操縦する飛行機は,たとえ滑走路が何千メートルあったとしても永久に空にに飛びたてません。
医進塾で勉強をしている皆さんが,もしも今の勉強に少しでも「なれ」(悪い意味の)を持ち始めたとしたら,どうか今の私の話を思い出し,今一歩先に進んだ勉強ができるように考え直してください。
授業に嫌々出るような毎日ではありませんか?
単に教室に行って先生の板書をノートに写してくるだけの毎日ではありませんか?
その問題を自分が「何故解けないのか」と積極的に考えていますか?
ただの惰性で受けている授業からは,積極的な学力の向上のヒントなどは得られないものです。
どうか今一度自分の生活を振り返り,
「次の授業にはこれを聞こう,ここを確認しよう」
という気持ちで毎日の授業に向き合っているかどうかを確かめてください。
そうなっていなければ,ぜひそうなるように努力の方向を考えなおしましょう。
みなさんが一人の例外もなく自分の力で空に向かって飛び立てる日が,一日も早く来ることを祈っています。