2012年5月7日月曜日

連休を終えて

長距離バスの事故、スーパームーン、竜巻・・・と、いろいろなことがあった連休でした。特にバスの事故で被害にあわれた方、ご家族の皆様、竜巻の被害に巻き込まれた方には心からお悔やみを申し上げます。

医進塾への連休明け登校状況は全く問題ないようで、一応安心しました。

遅刻が若干名いましたが、以前からわかっている理由で、本人の不注意による遅れは1名のみです。前回書いたように次第に早朝一斉学習が定着してきているようです。

連休中、南千住の実家に夫婦で遊びに行きました。マンションの17階なので風当たりが強く、昼過ぎに突風のような大風と、なんと「雹」が降ってきたのには驚きました。それが通り過ぎた後は快晴で、きれいな夕日が見られたので、それは良いのですが、昨日の天気は「晴れ⇒曇り⇒突風⇒雹⇒快晴」という、なんともいえずすさまじい一日ではありました。

実家でなんとなく見ていたテレビで、「記憶障害を持つピアニスト」という番組を見ました。佐藤香織さんという方の特集番組でした。

その番組によると、佐藤香織さんは11歳の時に交通事故にあい、その後遺症として「記憶障害」を持つようになってしまったのだそうです。幼い頃からピアノが好きで将来はプロのピアニストになるという夢があった彼女にとって、「暗譜ができない」ことは半ば致命的でもあることです。

番組では香織さんがそのハンディを努力と周囲の方の励ましで乗り越えてゆく様が描かれていました。

その中で私が一番心打たれたのは、最後の発表会(プロになるための審査会も兼ねており、聴衆に聴かせるというよりも審査員の先生方に聞いていただくというもの)での演奏シーンでした。

10分以上にも亙る曲を暗譜で弾かなければならない、それは普通の人には普通の練習でできることかもしれない、でも自分には人の三倍、四倍の練習が必要だ、そう思ってくじけそうになった時、まさにそのときに香織さんの先生の言葉が彼女を力づけます。

人の三倍かかるなら、三倍練習すればよい、四倍かかるのなら四倍練習すればよい

香織さんはその言葉をかみ締めるようにピアノに向かうのでした。結果として香織さんは、入賞は逃したものの、見事に10分以上かかる難局を弾きこなします。終わったときの香織さんとお母さん、それにピアノの先生の晴れ晴れとした表情が大変に印象的でした。

先ほどの言葉をテレビで聞いたとき、私は中学時代に聞いたある手品師の言葉を瞬間的に思い出しました。

「手品師」と書きましたが本職は東京のある私立中高の校長先生でした。たまたま私の中学校の校長先生と友達で、私たちに講演をしにきてくれたのでした。

講演の内容で覚えていることは「人と同じことを、人の倍の手間隙をかけてすることの大事さ」でしたが、それ以外に次のように言われたことをはっきりと覚えています。

講演の最後に私たち全員の前で、今思い出しても見事な「手品」の技を見せてくれた、その後の言葉です。

「今皆さんの前でマジックを一つ披露しました。驚いた人もいると思います。でも私は最初から上手だったわけではないのです。むしろ子供のころはぶきっちょで周りの笑いものでした。

その私が、ある時プロのマジシャンの技を見て自分もやりたいと思ったのです。生来のぶきっちょが災いしてか、練習しても練習しても出来ませんでした。一つのマジックを覚えるのに人の3倍も4倍も時間がかかります。しかも完璧ではない。

情けなくて、情けなくて・・・。そのとき私にマジックを教えてくれた先生が私に言いました。

『どれだけたくさんのマジックを覚えるかが問題ではない。たくさん覚えても雑ならば観客からバカにされる。少なくてもよいから完璧をめざしなさい。一つ覚えるのに人の3倍かかるなら練習を3倍やればよいではないか。4倍かかるのなら4倍やればいい。人と比べるのではなく自分で納得できることが大事なのだ。人の4倍かかるということは、人の4倍練習すれば人と同じことができるということではないか、何を悲しむ必要がある!』

それが私の一生を決めたのです」

「人の三倍かかるなら、三倍練習すればよい、四倍かかるのなら四倍練習すればよい」という全く同じ言葉を、私は40数年ぶりに聞いたのでした。

佐藤香織さんの場合も、その校長先生の場合も、共通していることは「自分の運命に負けない」ということです。

自分に降りかかった出来事や自分の意思ではどうすることもできない宿命から逃げない、真正面からぶつかり乗り越えること、そのことの大事さを私は改めて実感することができたのでした。