堂々たる体躯の志賀先生は、発音こそめちゃくちゃでしたが(笑)-openは「オーペン」、particularは「パッチキュラー」、doorは「ド~ル」と言った具合でした-文章読解については非常に厳しく、正確な日本語にできないと、それは叱られたものでした。
志賀先生には一種のカリスマ的な「志賀哲学の伝道者」の趣がありました。授業の合間に「志賀自然(じねん)哲学」の一端を披露されたことが忘れられません。
それは体系的哲学というよりはむしろ、志賀先生が独学で英語を学ばれてきた過程で身につけた、一種の「直感的世界観」とでもいうべきものだったと思います。
「あ~、ちみたち、早稲田ゼミナール入学おめでとう! ここに来たおかげで志賀先生の授業が受けられることになって、本当~によかったね。ちみたちは、バカなんだから、ここにいるんだね。でも志賀先生の授業を一年間聞けば、きっと頭が良くなって来年は第一志望合格間違いなしだからね!」
今だったら「差別用語ですよ!」といわれかねない言葉を連発しながら、あの独特のアクセントの日本語で受講生に語りかけます。書き言葉では再現できないのがとても残念です。
政治の季節といわれ、逆にしらけ世代などといわれた1970年代の若者全てに対して、一歩も退くことなく、真剣に対峙し、本気で自分の哲学をつたえようとしたところに、私たちは他では知ることのできない「熱い情熱」を感じていました。
それが当時の「早稲田ゼミナール」の雰囲気だったのです。
その本質は今でも全く変わっていないと私は改めて思います。