もう10年くらい前のことです。
1月中旬のある日の放課後、私が英語科準備室で休んでいると、ドアをトントンとノックする音が聞こえました。なんだか心細げな音だったので(大体準備室にまで来る生徒はドアが壊れるのではないかというような音を立ててノックし、こちらの都合も聞かないで一方的に『失礼します~!!』と言って入ってくることが多いものですから・笑)、ちょっと気になって自分でドアを開けにゆきました。
そのドアの向こうにぽつんと立っていたのはAさんでした。彼女は学年でも上位三位から下に下がったことのない、大変に優秀なお嬢さんでした。センターテストもほぼ第一志望(国立大医学部)OKというような成績でした。
その彼女が二次試験を一ヵ月後にひかえてこんなにさびしそうな表情をしているということは「何かある!」と思い、面接室に連れて行ってゆっくり話しを聞いたのです。彼女は次のように言いました。
「センターテストが終わって、二次試験の準備をしようと思い、過去問題をやり始めたのです。ところがぜんぜんできません。数学も理科も社会も、壊滅的な点数です。このままでは現役合格は無理だと思い、絶望してしまいました。死にたくなりました・・・」
彼女はそういって涙を流しました。
「過去問は昨年の夏から、早めにやっておきなさいって言って来たよね。君くらいの学力ならば十分に時間がとれたのではないかな?どうしたんだろうね」
と私が聞くと、彼女は答えました。
「何度もやろうと思ったのです。でも、もし過去問ができなかったら、自信がなくなってしまうのではないかと思い、恐ろしくてできませんでした。ついつい先延ばしになって今になってしまったのです・・・」
『怖くて過去問に手が付けられない』というのは、学校秀才型の生徒には非常に多いパタンです。いわゆる「現役病」のひとつです。でも今の時点で「それは現役病です」と「診断」したところで、何にもなりません。彼女に必要なのは、その状況を何とかするための「処方箋」だからです。
模擬試験では全教科の偏差値が常に70の後半で、一番悪いときでも「B判定」以下を取ったことのない彼女に、「基礎学力」のないはずはありません。数学の先生に手伝ってもらって過去問をもう一度目の前でやらせ、結果を詳細に分析しました。その結果分かったことがありました。
①問題への取り組みが、あまりに「センターテスト」的になっており、テクニックに走りすぎている。問題の見極め(何が聞かれているか、を的確に理解する)が不十分。
②二次試験に求められているレベル(解答作成の要求水準:要するにいろいろな答え方があった場合、どれをどこまで答えればよいのか、ということ)がわかっておらず、簡単な問題に難しく答え、逆に難しい問題には不十分な答えしか出していない。
③時間に追われているという意識が強すぎて、とにかく早く終わらせたいという気持ちが先行し、じっくりと問題に取り組めていない。
この三つが大きな問題であることが分かりました。
それから1ヶ月間、彼女はこちらで用意した数学と英語の問題を中心に、1日10時間以上学校で勉強して行きました。全て演習中心の授業でした。もちろん英語、数学、理科の先生方が交代で指導にあたり、彼女の弱点を徹底的に矯正してゆきました。私たちも大変でしたが、彼女のほうがもっとつらかったことでしょう。
試験の前日、私は彼女に電話してこういいました。
「君はできるだけのことをやった。恐れることはない。やるべきこと全てをやったものに、恐れるものは何一つない。勇気をもって前にすすみなさい」
「分かりました。平常心で向かいます」
という彼女の声は、全く落ち着いた、普段の彼女の声そのままでした。
その結果、彼女は見事に第一志望だった東京医科歯科大医学部に合格。私立でも上位数校(慶応医、慈恵、東京医科、昭和医)の全てに合格という快挙を成し遂げました。
彼女は今東京近郊の総合病院で若きドクターとして将来を嘱望されながら、医師としての第一歩を踏み出しています。
私はこの時期になると彼女のことを思い出します。彼女ほどの力がある子であっても、適切でタイムリーなアドバイスがないと、つい問題演習から逃げてしまうのです。またそれと同時に、的確なアドバイスと指導さえあれば、どんなことがあってもダメージを最小限に抑えて将来につなげてゆけるのだということも、彼女は自分の身をもって私たちに教えてくれたのでした。
医進塾に『1コマ3時間単位の演習中心の授業』を導入した理由はこれでした。また『練習量が全てを決定する!!』を医進塾の授業の基本運営方針にしたのもこれが理由でした。
先日彼女から葉書がきました。今年の秋に結婚するということでした。『小児科医と産婦人科医、絶滅危惧種どうしが結婚することになりました』という、ほのぼのとした葉書でした(^^♪。