人間の外界認識のプロセスってどうなっているのでしょうね。
全部間違っている字なのに,読めてしまう・・・・。「全体は部分の集合ではない」というゲシュタルト心理学の考え方が,基本的には正しいということだろうとは思います。
解説には「最初と最後の字があっていれば,人間は間を自動調節して読んでしまうものなので,実はケアレスミスはこういうふうに起こるのです」と書いてありました。
そうはそうだと思いますが,もしかしたら私たちはこの文章を「字」として認識していないのかもしれないとも思います。人間の脳には「空間補完能力」というものがあり,分かっているものである場合は最小限の情報からそれを再現します。
でもそれはあくまで,
「分かっているもの」
という限定がつきます。
上のパネルの文章も,私たちにとって日常茶飯に使っている文章だから読めるのであって,全く未知の内容であれば読めないと思います。
通訳や翻訳をしているときによく感じることと同じですね。Translateしたりinterpretしたりしているとき,私たちは決して新情報を字,あるいは音声という形で脳に伝達し,そこで「他言語への変換」をしているのではありません。
私たちの頭の中に
「既に形成されている知識」
を,その場に相応しい形に変えて,その文章に,
Read IN
しているだけなのです。
単語一つ一つを忠実に訳したら,とても読むに(聞くに)耐えない文章になってしまいます。
そんなことも含めて,パネルを見ながらいろいろと考えていました。