2012年2月12日日曜日

長崎で考えたこと

私が最初に長崎を訪れたのは,18歳のとき,家族旅行ででした。40年前のことになります。『雲仙・長崎・別府の旅』とかいうものだったように覚えています。

それ以来,何度訪れたことでしょう。おそらく30回くらいになると思います。

もちろんそのほとんどは『旅行』というよりも,当時長崎聖母の騎士学園にお世話になっていた息子たちの「保護者会」だったり「進路説明会」だったり,あるいは「文化祭」や「宗教劇」だったり・・・と,親としての学校訪問でした。

特に上の子は学校の先生がたに

「逆らいまくっていた」(本人の弁・笑)

ため,私は担任の先生や生活指導の先生にお目にかかるたびに,コメツキバッタのようにひたすら頭を下げてお詫びを申し上げていたような記憶しかありません(笑)。

今回は,半分は仕事でしたが,あとの半分で時間を自由に取り,今まで行けなかったところに足を伸ばしてみたりしました。

長崎というと,どうしても避けて通れないのが「キリシタン史」です。江戸末期,大浦に建てられた「フランス寺」のプチジャン神父のところに,浦上の寒村に住む農民が来て,「私の胸,貴方の胸と同じ」と,告白し,250年にわたる潜伏キリシタン史にピリオドが打たれたことは,余りにも有名な話です。

長崎のキリシタン史は,遠藤周作の作品『沈黙』で有名です。長崎を訪れる人は一度読んでから行かれるとよいと思います。私は一人のカトリック者として遠藤が描くところの「キリスト教」に,必ずしも賛成するものではありません。ですが,賛否を超えて心に訴える大きな『問』を投げかけられることは事実として認めねばなりません。その意味では「名作」と言ってよいのではないでしょうか。

キリシタンの歴史を見るとき,私たちが決して忘れてならないのは,

『許し』と『和解」,そして『平和』

だと思います。

そのどれもが「ただの許し,ただの仲直り,ただの平和」ではなく,信者としての「一生をかけた許しと和解と平和」であったことを,長崎という地は,私たちに教えてくれます。

イザヤ・ベンダサンという名前でも有名だった山本七平(『日本人とユダヤ人』の著者です)が,ある時,ある司祭との対談中に,

『カトリックには長崎があるからなぁ・・・かないませんよ』

と言ったことがあります。

彼自身はプロテスタントでしたが,一般的にカトリック教会に対しては批判的なはずのプロテスタント教会の方をも,感動させるような何かを,長崎という場所は持っているのです。

私にとって,長崎は,自分の故郷以上の場所でもあります。