早稲田ゼミナールの「節分」と「豆まき」、それに「合格たまご」には逸話があります。
予備校早稲田ゼミナールが開校したのは昭和28年、1953年のことです。
当時は日本国中、戦争の傷がまだ完全に癒えてはいない時期でした。
池田首相の掛け声「所得倍増!もう戦後ではない!」に鼓舞された日本経済が、高度成長期に入るのが1960年あたりからです。
その直前、まだまだ日本が貧しい時代でした。
向学心に燃えて早稲田ゼミナールで熱心に学ぶ若者たちの中にも、一日一度の食事すら満足にとれないものが何人もいたそうです。
初代理事長の小山敬吾先生はその状態に大変に心を痛めました。そして、せめて「たまご」くらいは皆に食べてもらい、栄養をつけて勉強に励ませてやりたいと願ったのが、この「合格たまご」の始まりだったのです。
同時にそれは合格を邪魔する「鬼」を退治し、万全の気持ちで入試に向かおうという「豆まき」の行事につながりました。
爾来58年間、早稲田ゼミナールでは年毎に営々とこの行事を続けています。
以前書いたことのある「出陣式」にしても、この「節分・豆まき・合格たまご」にしても、「ずいぶんと時代がかかったことをやるなぁ」と思われる人も、中にはいるのではないでしょうか?
でも、私たちはそれでよいと思っています。
本物は本物として時代を超えて残ります。向学心に燃え、熱心に勉強する若者に対して、できる限りの援助をしたいという私たちの気持ちは、この先も変わることがありません。
その表れの一部としての「節分・豆まき・合格たまご」です。
今の若者には遠い昔の話しでしょう。
でも、貧しさの中でへこたれず、明日を夢見て今に全力を尽くすことで、日本人は今日の日本を築いてきました。先輩方のこの気持ちだけは忘れてはならない、私はそう思います。
そしてその思いを一番ストレートに感じることができるのが、自分の行きたい大学への入学のために全身全霊で勉強に打ち込んでいる、今も昔も変わらない「受験生」なのだということも私は確信しています。
そんな彼ら、彼女らを支援し、援助することが私に与えられた職務なのです。これはただの「職」の枠を超えた「神聖」な仕事ですらあると思います。
私が今の仕事を(つらいと思うことがないとは言えないにせよ)辞める気になれないのは、そんな理由からなのだと言ったら、格好つけすぎになるでしょうか・・・。
今の若者には遠い昔の話しでしょう。
でも、貧しさの中でへこたれず、明日を夢見て今に全力を尽くすことで、日本人は今日の日本を築いてきました。先輩方のこの気持ちだけは忘れてはならない、私はそう思います。
そしてその思いを一番ストレートに感じることができるのが、自分の行きたい大学への入学のために全身全霊で勉強に打ち込んでいる、今も昔も変わらない「受験生」なのだということも私は確信しています。
そんな彼ら、彼女らを支援し、援助することが私に与えられた職務なのです。これはただの「職」の枠を超えた「神聖」な仕事ですらあると思います。
私が今の仕事を(つらいと思うことがないとは言えないにせよ)辞める気になれないのは、そんな理由からなのだと言ったら、格好つけすぎになるでしょうか・・・。