2011年3月11日金曜日

将棋の話し


私は将棋に関してはほとんど知りません。コマの動かし方をしっているくらいです。
それでも、将棋の世界の勝負が大変に厳しいということは知っています。

ではどのくらい厳しいのか・・・。

なんと!選び抜かれた少年棋士たち(20歳までに4段位)であっても、その最高の「名人位」まで上り詰めることができるのは、たった4%に過ぎないというのです。

小学校のころから頭角をあらわし、それがプロの集団で鍛えぬかれ、その人のいる町、地域、都市、地区では「無敵の天才」といわれるような人たち、その人たちの中から、さらに選びぬかれた4%、これはもう「競争」という名で呼ぶのすらふさわしくない、一種の「殺し合い」のようなものだと思います。

肉弾相打つ実際の戦争・戦闘であっても、部隊の兵の損傷が1割を超えると「大敗北」ということになったのだそうです。1割の「死傷者」ですから死者数の割合はもっと低くなります。

その割合から考えるとき、選び抜かれた100人の中で最後まで残れるのが4人にしかすぎないという「勝負」の、途方もない厳しさが改めて理解できるようにも思います。

プロの棋士たちと比較するつもりはありませんが、大学に行ってもそれがストレートに自分の一生の職業選択とはならない文系の生徒に比べて、やはり理系(医進塾)の学生の真剣さが目立つように思います。

一見過酷なまでの競争というものがその人の人柄に及ぼす影響というのは、無視できないものなのです。

そんなことを考えていたら、かつて書いたブログのことを思い出しました。
サンケイ新聞のコラムの引用でした。改めて読んでみて「よい文章だなぁ」と思います。

採録いたします。

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今日のサンケイ新聞の「めざましカフェ」に大変感動的な記事がでていました。漫画家のさかもと未明さんが棋聖戦直前の佐藤康光棋聖にインタビューをした、その時の感想です。私がヘタな要約をするよりも、一部を引用させていただきます。

『驚いたのは対戦相手に恐怖を感じることがないというひと言だ。

「理由は自分でもわかりません。恐ろしく単純な人間なのか。けれど、勝負というのは負けたらアウトなので、間違っていないという確信がなければ指せないんですね。ですから、常にベストという自負をもって勝負に挑んでいます」

聞いていて舌を巻いた。それだけ徹底的に準備するということなのだろう。負けることが一番の厳しい教師です、と氏は続けたが、どんなに努力しようと必ずどちらかが負ける勝負というものに磨かれた棋士の、なんと潔いことか。

最近の「敗者をつくらない」競争を否定した教育文化では、決してこういう人間はつくれまい。負けの屈辱を知らずに済んでしまっている代わりに、われわれは礼節や自制、胆力を、きっと学び損ねている。』

この記事を読み、やはり私の頭に浮かんだのは医進塾の塾生のことでした。「敗者を作らない」どころか「敗者のほうが多い」勝負に向って、彼らはこの一年をかけているのです。

もちろんそのかけ方には千差万別があります。ですが、ここに集う受験生が、途中で進路変更をしない限り、来年2月~3月には間違いなく全員が「合格か不合格か」の二つしかない試験に挑むことだけは間違いがありません。

考えようによっては棋聖戦よりも厳しい勝負だともいえそうです。彼らの一生がかかった勝負の場だからです。

その場に向う今の時点を、自分に妥協なく過ごすことで、学力だけでなく「自制心、向上心、胆力と礼儀」とを身につけていってもらいたいものだと、強く感じました。