2011年3月12日土曜日

地震again

11日の午後の授業が終わりに近づき、夕刻のゼロ学期準備にかかろうかと思っていたときでした。

いきなりかなり強い横揺れを感じました。思ったより長く続くのに不安を感じ、教室と自習室のドア開放に行こうかと思ったとき、大揺れが来ました。

幸いに教室も自習室も大きなダメージもなく、人的被害もゼロでした。

文系事務室のテレビをつけて被害の様子を目にしたとき、思わず声を呑みました。地震の被害そのものよりも、津波の恐ろしさでした。7~10メートルの大波が、堤防を乗り越え建物を呑み込み田畑を侵食するように奥へ奥へと進んでゆくさまは、何か邪悪な怪物が犠牲の獲物を噛み砕いて行く様子を連想させました。

規模において阪神・淡路大震災を凌ぐこの大災害が、どの程度の犠牲を要求したのか、それは時間が明らかにしてくれることだと思います。

今はただ犠牲になった方々のご冥福をお祈りし、残された方の一日も早い救出と地域の復旧を願うばかりです。

医進塾には、ほぼ全員の塾生がおりました。JRが止まり、復旧のめどが立たないという段階で、自宅に歩いて帰れる人は帰る、友人の家に泊まれる人はお願いする、どちらもできない人は塾の教室か自習室を使って一夜を過ごしてもらう、という方針が決まりました。

近くのコンビニでとりあえずの食料や水、洗面道具などを揃えさせ、あとは時間をどう使うかでした。
先生方にもなるべく早くお帰り願いました。最初は、

「合宿のパート2だね」

などと言ってふざけてはおりましたが、各自の携帯、iPhoneなどに飛び込んでくる現地の惨状に、私たちは皆は次第に言葉を失って行きました。

おそらく彼らは、

「いまこの段階で、自分たちにできることは何か」

を考えたのだと思います。

その結果彼らの出した結論は、

「今できること、しなければならないこと、自分たちにとっては『勉強』すること」

だったのだと思います。最後まで静かに黙々と勉強に励んでおりました。

一晩明けて、朝の8時ころJRが動きだし、半数が帰宅の途につきました。残りの生徒は今日の1,2時間目予定されていた授業を現在も淡々と受講しています。

今回の被害が果たしてどの程度のものになるのか、今はまったくわかりません。
でもどんな状況にあっても、まずはその時、その場で自分たちの出来ることを、精一杯やるという精神を医進の生徒が持っていてくれたことを、私は心から嬉しく思っています。