昨日の「春一番」とは打って変わって、今朝はかなり冷え込みました。
三寒四温の始まりですね。風邪など引かないように特に気をつけねばならない時期です。
今日は第3回医進塾説明会が開催される日です。先週土曜に第2回が行われましたが、実際には全体会ではなく、個別面談を希望される方がほとんどでした。数日に分けてそれぞれ1時間半程度、細かいお話しをさせていただきました。長い方は3時間半近くに及んだこともあり、みなさんの熱意を改めて感じた次第です。
この季節は春に向かう再生の季節でもあると同時に「花粉」の季節でもあります。花粉症は本当に嫌なもので、頭はぼ~っとするし寝られないし、うっとおしいし、集中できないし、周りには迷惑だし・・・良いところなしです(笑)。
この症状が出てくるたびに私はかつて心理学を学んだときに覚えた「症状形成(能)力」という言葉を思い出します。
主として「不登校児」や特別なチックなどがある子供、あるいは一般の風邪などの症状すべてに対して、それが「解決すべき問題」であるとするのではなく「より大きな問題をそのような、比較相対的に軽微な症状として形成することによって、凌ごうとする身体的な傾向・能力」として捉えることを言います。
簡単に言えば「発熱」は嫌なものだけれど、「熱」という症状としてより深い問題を形成しなければ身体そのものが壊れてしまう、というような捉え方をするということでもあります。
より深く大きな問題に対する、身体の側の防衛機制の一つが「発熱」という形(症状)を形成しているのだという考え方です。
そう捉える(考える)ことによって問題が解決するわけではありませんが、気が楽になる(笑)のは事実のようです。
「不登校」は確かに困った問題です。でも不登校という形で身体が拒否しなければならないような問題がそもそも学校の側にあったとしたら、無理に登校することに大きな意味があるだろうか、とも思えます。
負荷をかけて鍛えるという考え方を取る場合と、負荷のない状況を与えてその中でその子の本来持つ(伸びようとする)力を引だして行くという考え方をとる場合とで、対応の仕方は180度異なります。
どちらを取るかは、病理の問題というより、その問題を抱えているクライアントと、その人を取り巻く社会との関係によって決まることがほとんどです。
花粉症という症状が、果たして私に何を語ろうとしているのか(笑)。
よくわかりませんが、確かにそう考えれば花粉症のうっとうしさも多少は軽減されてくるかもしれませんね。
※前回は「実存哲学入門」で、今回は「臨床心理入門」でした(笑)。
2011年2月26日土曜日
2011年2月25日金曜日
無我夢中・・・機能的自立性ということ
臨床心理学をやっていてよかったと思うことが何度もありました。
もともと「臨床心理」は特定分野に限定された心理研究というわけではありません。英文科で言えば「英語科教授法」にあたるもので、一種の応用分野です。
臨床(つまりクライアント・患者さん)に具体的に対応するための、心理学各分野の総合的な応用が臨床心理という分野ということになります。
臨床心理学は「純粋科学」とは言いがたい面もあります。でも人間に対する新しい切り口を教えてくれたという点では深い感謝の気持ちをもっています。
そこで学んだ事柄に、
「機能的自律性」
があります。Functional Autonomyの訳語です。
人間の持つ心的傾向の一つを的確に表したものとして、感心したものです。
スポーツや楽器の練習を思い起こしていただければよいと思います。始めた最初は何事もうまく行かないものです。身体は言うことをきかないし、楽器も思ったとおりの音をだしてはくれません。
無駄な部分に力が入ることで、かえって思ったとおりにならないことが、初心者であれば何度もあるのではないでしょうか。
それが、一定の時期を過ぎると「なぜあの時できなかったのか」が自分で不思議になるくらい、楽々と出来るように(音が出せるように)なっているものなのです。
これが「機能的自律性」という言葉の、一番簡単な意味です。
一つできるようになると、次が楽しみになります。今は出来なくても、今は分からなくても、練習をきちんと続けていれば必ず将来できるようになる、分かるようになる、と確信できるからです。
問題はそこに至るまでの「時間」です。
個体差がありますから一概には言えませんが、大体どんな分野のどんな項目・内容でも「数ヶ月単位」ということらしいですね。
そしてその時間を短くするコツは、
「無我夢中になる」
このことらしいのです。
子供が遊びに夢中になることはよくあることです。でも興味がなくなるとすぐにやめてしまいます。大人の「無我夢中」はそれとは違います。
子供の「無我夢中」とは違う、大人の無我夢中は「意思」の力だからです。自分で「無我夢中」に「なる」のです。そこまで自分を持ってゆくのです。
そのためには、毎日一定時間、定まった場所で自分の努力を積み重ねられるような「外的環境」も必要です。
医進塾にはそのすべてがそろっています。
新しい年の受験生諸君が、そこでどのような勉強の姿勢を見せてくれるのか、楽しみにしているところです。
もともと「臨床心理」は特定分野に限定された心理研究というわけではありません。英文科で言えば「英語科教授法」にあたるもので、一種の応用分野です。
臨床(つまりクライアント・患者さん)に具体的に対応するための、心理学各分野の総合的な応用が臨床心理という分野ということになります。
臨床心理学は「純粋科学」とは言いがたい面もあります。でも人間に対する新しい切り口を教えてくれたという点では深い感謝の気持ちをもっています。
そこで学んだ事柄に、
「機能的自律性」
があります。Functional Autonomyの訳語です。
人間の持つ心的傾向の一つを的確に表したものとして、感心したものです。
スポーツや楽器の練習を思い起こしていただければよいと思います。始めた最初は何事もうまく行かないものです。身体は言うことをきかないし、楽器も思ったとおりの音をだしてはくれません。
無駄な部分に力が入ることで、かえって思ったとおりにならないことが、初心者であれば何度もあるのではないでしょうか。
それが、一定の時期を過ぎると「なぜあの時できなかったのか」が自分で不思議になるくらい、楽々と出来るように(音が出せるように)なっているものなのです。
これが「機能的自律性」という言葉の、一番簡単な意味です。
一つできるようになると、次が楽しみになります。今は出来なくても、今は分からなくても、練習をきちんと続けていれば必ず将来できるようになる、分かるようになる、と確信できるからです。
問題はそこに至るまでの「時間」です。
個体差がありますから一概には言えませんが、大体どんな分野のどんな項目・内容でも「数ヶ月単位」ということらしいですね。
そしてその時間を短くするコツは、
「無我夢中になる」
このことらしいのです。
子供が遊びに夢中になることはよくあることです。でも興味がなくなるとすぐにやめてしまいます。大人の「無我夢中」はそれとは違います。
子供の「無我夢中」とは違う、大人の無我夢中は「意思」の力だからです。自分で「無我夢中」に「なる」のです。そこまで自分を持ってゆくのです。
そのためには、毎日一定時間、定まった場所で自分の努力を積み重ねられるような「外的環境」も必要です。
医進塾にはそのすべてがそろっています。
新しい年の受験生諸君が、そこでどのような勉強の姿勢を見せてくれるのか、楽しみにしているところです。
2011年2月24日木曜日
ゼロ学期の様子
2月7日から開講されている「ゼロ学期」もちょうど半分が終わりました。
新高3生だけでなく、来年の入試を目指して捲土重来を期す既卒生もたくさん参加してくれています。
この時期に特徴的なことは、基礎的事項の暗記をまずは徹底してやってゆこうという生徒が多いことです(もちろんこちらもそのように指導しているのですが)。
基礎単語4000語の暗記や、基礎構文100の暗記(これが英語SUP講座です)、それに数学SUP(基礎計算練習問題のプリントが100枚の講座)が入り、生物・化学の「基礎事項一覧表」の暗記で仕上げとなります(笑)。
この時期の目的は、基礎的事項の確認に加えて、何よりも「勉強の型」を身に着けることですので、いろいろな暗記のやり方を紹介し、自分にあった方法を選ぶよう薦めています。
書いて覚えるタイプの人もいれば、声に出して覚える人もいます。先日中庭の「くすのき広場」で、ベンチに座りながらしきりに足を動かしている人がいましたので、「何してるの」と聞くと、
「僕はスペリングを足で書いて覚えるんです」
どんな覚え方をしてもよいけれど、試験場ではやらないでね、と言っておきましたが(笑)。
ゼロ学期に加えて「プレ個別(事前個別指導)」で自分の弱い部分をピンポイント学習している人もいます。
4月からの授業の前に、できるだけのことをしておこうという彼ら、彼女らを見ると、もう12年度の入試は始まっているのだなぁという思いが強くなります。
いよいよ明日は国公立の試験です。私立獣医学部の二期試験もこれからです。
それと平行して、来年度入試を目指す生徒たちを見ると、ひとつの目的を持って勉強に情熱をもってぶつかる若者の存在というのは、
「実によいもの」
なのだと改めて思います。
私が今の仕事をやめられないのは、それが理由なのかもしれませんね。
新高3生だけでなく、来年の入試を目指して捲土重来を期す既卒生もたくさん参加してくれています。
この時期に特徴的なことは、基礎的事項の暗記をまずは徹底してやってゆこうという生徒が多いことです(もちろんこちらもそのように指導しているのですが)。
基礎単語4000語の暗記や、基礎構文100の暗記(これが英語SUP講座です)、それに数学SUP(基礎計算練習問題のプリントが100枚の講座)が入り、生物・化学の「基礎事項一覧表」の暗記で仕上げとなります(笑)。
この時期の目的は、基礎的事項の確認に加えて、何よりも「勉強の型」を身に着けることですので、いろいろな暗記のやり方を紹介し、自分にあった方法を選ぶよう薦めています。
書いて覚えるタイプの人もいれば、声に出して覚える人もいます。先日中庭の「くすのき広場」で、ベンチに座りながらしきりに足を動かしている人がいましたので、「何してるの」と聞くと、
「僕はスペリングを足で書いて覚えるんです」
どんな覚え方をしてもよいけれど、試験場ではやらないでね、と言っておきましたが(笑)。
ゼロ学期に加えて「プレ個別(事前個別指導)」で自分の弱い部分をピンポイント学習している人もいます。
4月からの授業の前に、できるだけのことをしておこうという彼ら、彼女らを見ると、もう12年度の入試は始まっているのだなぁという思いが強くなります。
いよいよ明日は国公立の試験です。私立獣医学部の二期試験もこれからです。
それと平行して、来年度入試を目指す生徒たちを見ると、ひとつの目的を持って勉強に情熱をもってぶつかる若者の存在というのは、
「実によいもの」
なのだと改めて思います。
私が今の仕事をやめられないのは、それが理由なのかもしれませんね。
「あきらめる」は弱気??
先日のブログ「選択の時」⇒http://wasedazemi-ishinjuku.blogspot.com/2011/02/blog-post_17.htmlで、私は「あきらめる」ことも立派な価値判断の一つと書きました。
それに関して塾生の一人から質問がありました。
「あきらめることは弱気ではありませんか。塾長は日ごろから『勇気をもって、最後まであきらめるな』と言っているじゃありませんか」
と言うのです。
「よく読んでいる」
と感心する反面、これは説明が足りなかったかな、と反省した次第です。
「あきらめる」には「諦める」と「明らめる」の二つの言い方があり、後者の「明らめる」は決して弱気の表現ではないと書いたつもりだったのですが、もともとの語感を凌ぐには至らなかったようです。
私が本当に書きたかったこと、分かって欲しかったことは、
「捨てる勇気がなければ、選ぶことはできない」
このことでした。
人の一生は「選ぶこと」の連続でできています。生きることは「選ぶこと」です。小は昼食に何を食べるかの選択から、大は自分の結婚相手に誰を選ぶかに至るまで、選択の連続がすなわち「生きること」なのです。
選択の主体が自分であるならば大きな問題はありません。「今日のお昼はカレーかラーメンか」という「選択」ならば、「ラーメン」を「捨て」て「カレー」にする、このことにそれほど大きな困難が伴うわけではない。
でも、人生必ずしもそういう選択ばかりではないですよね。たとえば「この人と結婚したい」と思ったとしても、相手が自分を選んでくれなければ、そもそも婚姻は成立しません。
人生は選択の連続であり、主体が自分のこともあれば他人のこともある、選択主体が他人の場合、選んでもらうための最善の努力を自分は重ねるにせよ、選択そのものに決定的・最終的な影響を与えることはできない、そのことを「あきらかなものとして積極的に受け入れる」ことが「明らめる」ということの本当の意味だと、私は考えています。
先ほど「捨てる勇気がなければ選ぶことはできない」と書きました。「捨てる」というのは、他者の選択に意図的な影響を与えたいという、「自我」からくる欲求を「捨てる」ということでもあります。
「自我」は何よりも自分の存在の永続性を希求します。そのために周りの存在すべてを「自分の尺度」で測り、すべてを自己の存在の下部構造として位置づけるのです。エゴイズムとはそのようなものです。
先ほどの例を敷衍すれば、選択権が他者にある選択項目をも、すべて「カレーかラーメンか」という、自己中心の選択行為として考えてしまう傾向を持つものが「自我」だとも言えるでしょう。
それに関して塾生の一人から質問がありました。
「あきらめることは弱気ではありませんか。塾長は日ごろから『勇気をもって、最後まであきらめるな』と言っているじゃありませんか」
と言うのです。
「よく読んでいる」
と感心する反面、これは説明が足りなかったかな、と反省した次第です。
「あきらめる」には「諦める」と「明らめる」の二つの言い方があり、後者の「明らめる」は決して弱気の表現ではないと書いたつもりだったのですが、もともとの語感を凌ぐには至らなかったようです。
私が本当に書きたかったこと、分かって欲しかったことは、
「捨てる勇気がなければ、選ぶことはできない」
このことでした。
人の一生は「選ぶこと」の連続でできています。生きることは「選ぶこと」です。小は昼食に何を食べるかの選択から、大は自分の結婚相手に誰を選ぶかに至るまで、選択の連続がすなわち「生きること」なのです。
選択の主体が自分であるならば大きな問題はありません。「今日のお昼はカレーかラーメンか」という「選択」ならば、「ラーメン」を「捨て」て「カレー」にする、このことにそれほど大きな困難が伴うわけではない。
でも、人生必ずしもそういう選択ばかりではないですよね。たとえば「この人と結婚したい」と思ったとしても、相手が自分を選んでくれなければ、そもそも婚姻は成立しません。
人生は選択の連続であり、主体が自分のこともあれば他人のこともある、選択主体が他人の場合、選んでもらうための最善の努力を自分は重ねるにせよ、選択そのものに決定的・最終的な影響を与えることはできない、そのことを「あきらかなものとして積極的に受け入れる」ことが「明らめる」ということの本当の意味だと、私は考えています。
先ほど「捨てる勇気がなければ選ぶことはできない」と書きました。「捨てる」というのは、他者の選択に意図的な影響を与えたいという、「自我」からくる欲求を「捨てる」ということでもあります。
「自我」は何よりも自分の存在の永続性を希求します。そのために周りの存在すべてを「自分の尺度」で測り、すべてを自己の存在の下部構造として位置づけるのです。エゴイズムとはそのようなものです。
先ほどの例を敷衍すれば、選択権が他者にある選択項目をも、すべて「カレーかラーメンか」という、自己中心の選択行為として考えてしまう傾向を持つものが「自我」だとも言えるでしょう。
少し難しい話しになったでしょうか(笑)。
受験というものを通じて、単なる自我表出形式としての選択から、社会性を意識した「自己=Self」による選択のプロセスに至ってもらいたい、と、私は強く願っています。
なんだか実存哲学の入門講座のようになってしまいましたね(汗)。
2011年2月23日水曜日
三昧(さんまい)ということ
私が英語・英文学についての勉強に一段落つけ、高校の現場で仕事をするようになったのは25歳の時でした。大学院へも並行して通っていましたので時間的なゆとりという点から言えばかなり大変でした。
でも心の中はなかなか豊かなものでした(笑)。何よりも教える現場で実際の生徒の生の声、生きた反応を聞きながらする授業は、それなりの緊張感もありましたし、大学で一方的に講義を聴いたり、概念だけが先行するゼミでの話し合い、議論などより、ずっと「やりがい」があったのです。
私が初めて「社会」というものと接点を持った瞬間でした。最初の授業のことは今でもよく覚えているくらいです(笑)。
その後、哲学、心理学、キリスト教思想史、神学というふうに興味の変化に応じて勉強の場所を変えましたが、私の頭の中にあったのは「教わったことを、実際の現場でどう生かすか」ということに尽きていたと思います。
二番目の大学・大学院は国際基督教大学(ICU)でした。臨床心理学の専攻生として入学しました。平行して勤めていた学校は全寮制の高校でした。週に二回宿直がある代わりに、平日三日は休めるという、思えば変な学校でした(笑)。その時間を使って大学に通ったのですが、これは自宅がICUキャンパスのすぐそばにあったからできたことで、遠い場所ならば不可能だったでしょう。
それでも宿直明け、睡眠不足であまり働かない頭を何とか働かせて、他の大学生、大学院生と混ざって朝一番から授業を聞くのは、慣れるまでは非常に大変だったことをよく覚えています。
職場での定期考査と、ICUでの定期考査が重なったときなどは、一週間くらい一日の睡眠時間3-4時間で勉強しました。今日は教える側として問題を作り、明日は教えられる側としての勉強をしているというようなわけでした。徹夜することも何度もありました。
今でも覚えているのは、1学期最後の試験の時のことです。
勤務校で自分の科目の試験を行い、それを自宅で採点、平均点等の統計をとり一覧表に記入します。それがすべて終わった段階で翌日の自分の試験のための勉強に手をつけました。
すべての学問・勉強は基礎的な専門用語の概念が明確に把握されていることを前提とします。そのためには正確な暗記しかないわけで、その時も心理学の全範囲にわたって500ほどの専門用語を一晩か二晩で確実に頭にいれることが求められていました。
午後の10時ころから勉強を始め、終わったら寝ようと思っておりましたが、敵もさるもの(笑)、真夜中の12時を回ってもまだ全体の四分の一も終わりません。
2時、3時ころになるともう頭が呆然としてきて、自分で自分が何をやっているのかがわからなくなってくるほどでした。
それでも翌日に試験がある以上、やめるわけには行かず、そのまま4時過ぎまで勉強を継続しました。
夏ですから日の出は早く、4時半ころだったでしょうか、なんとなく東の方が薄明るくなってきたときでした。私は一種の強烈な「幸福感」に襲われたのでした。
理由はよくわかりません。ひたすら勉強に打ち込んでいる自分がそこにいる、まさにそのことが大変に幸福な状態なのだという、一種異様なまでの「存在への信頼」が私の心の中に生じたのです。
言葉で説明することができないほどの「満足感」と言ってもよいかもしれません。
睡眠不足も疲労も、すべて忘れました。
同時に、翌日(実際には当日でしたが)の試験が、まったく怖くなくなりました。よく人は熱心に勉強した後の気持ちを「自分はこれだけやったのだから・・・という自信」などと言います。
私のそのときの感覚(ではないのかもしれませんが、それしか言葉が見つかりません)は、そのような「小賢しい」(笑)ものとはまったく異なったものでした。
一番近い言い方は「大きな肯定」だと思います。
この世の中には試験をする人もいれば、受ける人もいる。受かる人も落ちる人もいる。喜怒哀楽、栄枯盛衰は世の習い、それに間違いはない。でもそれらのすべてを「大きく肯定する」ことができれば、すべてのものの意味がはっきりとわかる。その意味がわかった人間には、もはや合格とか不合格という判断基準は当てはまらない。合否すら問題にならないような「試験に対する態度」を可能にするものが、その「大きな肯定」です。
ちょっと難しい言葉かもしれませんが、存在すべてに対する絶対的肯定ということもできるかもしれません。
私があの瞬間に味わったものは、紛れもなくその「絶対的存在肯定」の一部であったようです。
ほぼ徹夜に近い状態でしたが、疲れを感じることもなく私は翌朝ICUの試験会場に向かいました。他の学生60人ほどと一緒に、普通どおり試験を受けました。試験問題が配られて問題を見た瞬間、私は驚愕しました。その問題を出題した先生の「気持ち」が、ストレートにわかった気がしたからです。
これは不思議な体験でした。
試験問題を見て、出題者が「なぜここにこの問題を出したか」がわかってしまう経験というのは、後にも先にもあの時くらいしか私は思い出せません。
でも私が驚いたのは、改めてよく考えてみると、出題者の意図・気持ちがわかったからという理由からではなかったと思います。
むしろ出題の先生の意図がストレートに実感できたこと、そのことにあまり「驚いていない自分に驚いていた」ということだったように思うのです。
なかなか言葉にするのは難しいのですが、まさにそんな体験でした。
私は後年、諸宗教神学の勉強の過程で「禅仏教」を取り上げました。仏教の奥義が理解できたなどと大それたことを言うつもりはまったくありません。
でもそこで学んだ「三昧(さんまい)の境地」が、案外それに近いのかな、などと考えています。
同じような体験を、実は私はその前、大学の空手部での練習中にしているのですが、その二つが似た体験であったことに気がついたのは、ずっと後になってのことでした。
その話しは、また後日・・・(笑)。
でも心の中はなかなか豊かなものでした(笑)。何よりも教える現場で実際の生徒の生の声、生きた反応を聞きながらする授業は、それなりの緊張感もありましたし、大学で一方的に講義を聴いたり、概念だけが先行するゼミでの話し合い、議論などより、ずっと「やりがい」があったのです。
私が初めて「社会」というものと接点を持った瞬間でした。最初の授業のことは今でもよく覚えているくらいです(笑)。
その後、哲学、心理学、キリスト教思想史、神学というふうに興味の変化に応じて勉強の場所を変えましたが、私の頭の中にあったのは「教わったことを、実際の現場でどう生かすか」ということに尽きていたと思います。
二番目の大学・大学院は国際基督教大学(ICU)でした。臨床心理学の専攻生として入学しました。平行して勤めていた学校は全寮制の高校でした。週に二回宿直がある代わりに、平日三日は休めるという、思えば変な学校でした(笑)。その時間を使って大学に通ったのですが、これは自宅がICUキャンパスのすぐそばにあったからできたことで、遠い場所ならば不可能だったでしょう。
それでも宿直明け、睡眠不足であまり働かない頭を何とか働かせて、他の大学生、大学院生と混ざって朝一番から授業を聞くのは、慣れるまでは非常に大変だったことをよく覚えています。
職場での定期考査と、ICUでの定期考査が重なったときなどは、一週間くらい一日の睡眠時間3-4時間で勉強しました。今日は教える側として問題を作り、明日は教えられる側としての勉強をしているというようなわけでした。徹夜することも何度もありました。
今でも覚えているのは、1学期最後の試験の時のことです。
勤務校で自分の科目の試験を行い、それを自宅で採点、平均点等の統計をとり一覧表に記入します。それがすべて終わった段階で翌日の自分の試験のための勉強に手をつけました。
すべての学問・勉強は基礎的な専門用語の概念が明確に把握されていることを前提とします。そのためには正確な暗記しかないわけで、その時も心理学の全範囲にわたって500ほどの専門用語を一晩か二晩で確実に頭にいれることが求められていました。
午後の10時ころから勉強を始め、終わったら寝ようと思っておりましたが、敵もさるもの(笑)、真夜中の12時を回ってもまだ全体の四分の一も終わりません。
2時、3時ころになるともう頭が呆然としてきて、自分で自分が何をやっているのかがわからなくなってくるほどでした。
それでも翌日に試験がある以上、やめるわけには行かず、そのまま4時過ぎまで勉強を継続しました。
夏ですから日の出は早く、4時半ころだったでしょうか、なんとなく東の方が薄明るくなってきたときでした。私は一種の強烈な「幸福感」に襲われたのでした。
理由はよくわかりません。ひたすら勉強に打ち込んでいる自分がそこにいる、まさにそのことが大変に幸福な状態なのだという、一種異様なまでの「存在への信頼」が私の心の中に生じたのです。
言葉で説明することができないほどの「満足感」と言ってもよいかもしれません。
睡眠不足も疲労も、すべて忘れました。
同時に、翌日(実際には当日でしたが)の試験が、まったく怖くなくなりました。よく人は熱心に勉強した後の気持ちを「自分はこれだけやったのだから・・・という自信」などと言います。
私のそのときの感覚(ではないのかもしれませんが、それしか言葉が見つかりません)は、そのような「小賢しい」(笑)ものとはまったく異なったものでした。
一番近い言い方は「大きな肯定」だと思います。
この世の中には試験をする人もいれば、受ける人もいる。受かる人も落ちる人もいる。喜怒哀楽、栄枯盛衰は世の習い、それに間違いはない。でもそれらのすべてを「大きく肯定する」ことができれば、すべてのものの意味がはっきりとわかる。その意味がわかった人間には、もはや合格とか不合格という判断基準は当てはまらない。合否すら問題にならないような「試験に対する態度」を可能にするものが、その「大きな肯定」です。
ちょっと難しい言葉かもしれませんが、存在すべてに対する絶対的肯定ということもできるかもしれません。
私があの瞬間に味わったものは、紛れもなくその「絶対的存在肯定」の一部であったようです。
ほぼ徹夜に近い状態でしたが、疲れを感じることもなく私は翌朝ICUの試験会場に向かいました。他の学生60人ほどと一緒に、普通どおり試験を受けました。試験問題が配られて問題を見た瞬間、私は驚愕しました。その問題を出題した先生の「気持ち」が、ストレートにわかった気がしたからです。
これは不思議な体験でした。
試験問題を見て、出題者が「なぜここにこの問題を出したか」がわかってしまう経験というのは、後にも先にもあの時くらいしか私は思い出せません。
でも私が驚いたのは、改めてよく考えてみると、出題者の意図・気持ちがわかったからという理由からではなかったと思います。
むしろ出題の先生の意図がストレートに実感できたこと、そのことにあまり「驚いていない自分に驚いていた」ということだったように思うのです。
なかなか言葉にするのは難しいのですが、まさにそんな体験でした。
私は後年、諸宗教神学の勉強の過程で「禅仏教」を取り上げました。仏教の奥義が理解できたなどと大それたことを言うつもりはまったくありません。
でもそこで学んだ「三昧(さんまい)の境地」が、案外それに近いのかな、などと考えています。
同じような体験を、実は私はその前、大学の空手部での練習中にしているのですが、その二つが似た体験であったことに気がついたのは、ずっと後になってのことでした。
その話しは、また後日・・・(笑)。
医進塾スカラシップ(特待生)試験実施のお知らせ
来週の月曜日、2月28日に、第1回医進塾スカラシップ(特待生)試験を実施いたします。
時間割は以下のとおりです。
##############
09時集合(501教室)
09時20分-10時40分 英語(80分)
10時55分-12時15分 数学(80分)
13時00分-14時00分 理科1科目
14時15分-15時15分 理科2科目
※理科は医学部コース「生物・化学」の2科目、獣医学部コースは「生物・化学」より一科目選択です。
15時30分-16時30分 小論文
※医学部コースの方、獣医学部コースでAO入試、推薦入試を受験する方の中から希望者。
##############
総合点だけでなく、特定科目で高得点を取得した場合も、何らかのスカラシップを取得することが可能です。
全科目できないとだめ・・・ということはありません(笑)。
実力確認とスタートダッシュのためにも、非常によい機会です。
よろしければチャレンジしてみませんか?
なお、スカラシップテストは「完全定員制・予約制」です。
詳しくは医進塾事務局(03-3205-4308)までご連絡ください。
時間割は以下のとおりです。
##############
09時集合(501教室)
09時20分-10時40分 英語(80分)
10時55分-12時15分 数学(80分)
13時00分-14時00分 理科1科目
14時15分-15時15分 理科2科目
※理科は医学部コース「生物・化学」の2科目、獣医学部コースは「生物・化学」より一科目選択です。
15時30分-16時30分 小論文
※医学部コースの方、獣医学部コースでAO入試、推薦入試を受験する方の中から希望者。
##############
総合点だけでなく、特定科目で高得点を取得した場合も、何らかのスカラシップを取得することが可能です。
全科目できないとだめ・・・ということはありません(笑)。
実力確認とスタートダッシュのためにも、非常によい機会です。
よろしければチャレンジしてみませんか?
なお、スカラシップテストは「完全定員制・予約制」です。
詳しくは医進塾事務局(03-3205-4308)までご連絡ください。
第3回学校説明会開催迫る!
2月26日(土)の14時から、医進塾第3回学校説明会が開催されます。
今月12日から実施している説明会ですが、第1回、第2回とも大変に好評で、多くの方にご参加いただきました。
※第2回は参加者のご希望ですべて個別面談形式にしましたので、全体会は行わず、モデル授業はゼロ学期の実際の授業に参加していただくことで(もちろん無料です)代えさせていただきました。
一般の予備校の説明会と医進塾の説明会は、
「とても違う」
という評価をよくいただきます。
特に変わったことをしているつもりはないのですが、もし医進塾に特徴的な「何か」があるとすれば、それは「細かい数値や統計、受験一般の情報を最小限にし、実際に合格した人がどのような勉強の軌跡をたどっていったのかについてのストーリーを中心とした説明会」だという点かも知れません。
以前のブログ⇒http://wasedazemi-ishinjuku.blogspot.com/2011/02/blog-post_14.htmlに書いたように、受験生にとって必須の情報というものは、実際にあるとしても、ごく限定されたものなのであって、受験生が「受験評論家」になる必要はまったくないのです。
そしてそのような情報収集は4月になってからでも十分に間に合うことがらです。
現時点での学校説明会で一番大事なことは、「自分はいかにすれば来年の4月、第一志望大学・学部に合格できるか」ということへの、具体的、かつ「夢」のあるロードマップ提示だと思います。
具体的な、はよく分かっていただけます。大事なことは「夢」のある、という部分です。
受験勉強というものは「味気なく、苦痛に満ちた」ものであり、予備校生活とは「呪詛と怨嗟に満ちた暗闇」であるというイメージをお持ちの方は、実際にはそう多くはないと思いますが、まだおります(笑)。「受験戦争」などという60年代から70年代にはやった言葉をまだ新聞紙上で見かけることがあるほどです。
確かにそういう面はあります。
でもそれは「一面」なのであって「全面」ではない。
見方によればそうも見えるけれど、そう見ないことも出来るし、そう見ないほうがずっと健全で建設的です。
スポーツの練習であっても、やり方によって自己実現に向けてのクリエイティブな訓練にもなりますし、そうならないこともあります。勉強もまったく同じことなのです。
ではその違いは何か?
「指導者の資質と指導の方法」
に尽きるのではないでしょうか?
医進塾にはその「指導者」がおり、「指導法」があります。
その指導の総合的な力を理解していただくためには、そこで学んだ方々のサクセスストーリーをお話するのが一番よいと私は考えています。
自分の「夢」を実現するために、先輩がたの具体的なお話しを聞きにきませんか?(笑)。
お待ちしています。
※医進塾の説明会は完全定員制です。予約は医進塾事務局(03-3205-4308)までお気軽にご連絡ください。
今月12日から実施している説明会ですが、第1回、第2回とも大変に好評で、多くの方にご参加いただきました。
※第2回は参加者のご希望ですべて個別面談形式にしましたので、全体会は行わず、モデル授業はゼロ学期の実際の授業に参加していただくことで(もちろん無料です)代えさせていただきました。
一般の予備校の説明会と医進塾の説明会は、
「とても違う」
という評価をよくいただきます。
特に変わったことをしているつもりはないのですが、もし医進塾に特徴的な「何か」があるとすれば、それは「細かい数値や統計、受験一般の情報を最小限にし、実際に合格した人がどのような勉強の軌跡をたどっていったのかについてのストーリーを中心とした説明会」だという点かも知れません。
以前のブログ⇒http://wasedazemi-ishinjuku.blogspot.com/2011/02/blog-post_14.htmlに書いたように、受験生にとって必須の情報というものは、実際にあるとしても、ごく限定されたものなのであって、受験生が「受験評論家」になる必要はまったくないのです。
そしてそのような情報収集は4月になってからでも十分に間に合うことがらです。
現時点での学校説明会で一番大事なことは、「自分はいかにすれば来年の4月、第一志望大学・学部に合格できるか」ということへの、具体的、かつ「夢」のあるロードマップ提示だと思います。
具体的な、はよく分かっていただけます。大事なことは「夢」のある、という部分です。
受験勉強というものは「味気なく、苦痛に満ちた」ものであり、予備校生活とは「呪詛と怨嗟に満ちた暗闇」であるというイメージをお持ちの方は、実際にはそう多くはないと思いますが、まだおります(笑)。「受験戦争」などという60年代から70年代にはやった言葉をまだ新聞紙上で見かけることがあるほどです。
確かにそういう面はあります。
でもそれは「一面」なのであって「全面」ではない。
見方によればそうも見えるけれど、そう見ないことも出来るし、そう見ないほうがずっと健全で建設的です。
スポーツの練習であっても、やり方によって自己実現に向けてのクリエイティブな訓練にもなりますし、そうならないこともあります。勉強もまったく同じことなのです。
ではその違いは何か?
「指導者の資質と指導の方法」
に尽きるのではないでしょうか?
医進塾にはその「指導者」がおり、「指導法」があります。
その指導の総合的な力を理解していただくためには、そこで学んだ方々のサクセスストーリーをお話するのが一番よいと私は考えています。
自分の「夢」を実現するために、先輩がたの具体的なお話しを聞きにきませんか?(笑)。
お待ちしています。
※医進塾の説明会は完全定員制です。予約は医進塾事務局(03-3205-4308)までお気軽にご連絡ください。
2011年2月22日火曜日
現役コース担当の阿部先生より
仕事と私用で先週末は長崎でした。
そんなこんなで、少しブログの更新をサボってしまいました・・・(汗)。
長崎での出来事は別にアップすることにして、今回は医進塾現役コース担当の阿部先生から投稿です。
###########
昨年の春から現役コースに通っていたDさんが、見事麻布大学獣医学科に合格!医進塾に来た当初は、英語はまずまず出来たけど、数学が「うーん」とこちらが唸ってしまうような成績でとっても心配でしたけど、こつこつこつこつ……と勉強を続けたお陰で二学期から数学も伸び、「現役での獣医合格を達成」しました。やっぱり努力は裏切らないなあ!
苦手だった確率も個別授業で克服できたし…。
でも、彼女の第一志望は国立大の獣医学科。この良い流れに乗って、ぜひ「第一志望合格!」を成し遂げてほしいです。
###########
医進塾には現在続々と合格情報が届けられているところです。
詳しくは医進塾の合格者ページをご覧ください⇒http://ishinjuku.ac.jp/tigauzo-ishinjuku.html#2011years
2011年2月17日木曜日
凛として・・・
今の時期の塾生には多くの、それも単純に解決のつかない悩みがあるということを前回書きました。
解決するためのアドバイスも書いたのですが、私が一番強調したかったことは書きませんでした。主旨がぼけるといけないと思ったからです。
前回書いた三つのアドバイスを総合・統合するものとして私が塾生の皆さんに伝えたかったことは、いついかなる場合であっても、自分がどんな選択をしようとも、常に「凛として」いてほしい、ということだったのです。
皆さんがこの一年、どんなに苦しい思いをして勉強に励んできたかを、私はよく知っています。この期間の努力はまさに驚異的ですらありました(冬期合宿を思い出してください)。
これだけの努力を重ねてきた皆さんに、今の時点で臆すること・恐れることは何もないのです。
自分の考えどおりに行かないこともあるでしょう。
希望が通らないこともあるかもしれません。
あるいは希望通り行過ぎて、かえって難しい問題を抱えている人もいるかもしれません。
でもそれらすべてに『凛として』向き合って欲しいのです。
何一つ恐れる事はありません。
堂々と、真正面を向いて結果を受け止め、自分の出した結論・選択を胸を張って受け取りましょう。
その結論・選択に従って、自分の人生の新しい一歩を、勇気を持って踏み出しましょう。
2月3月は冬の季節です。
でもWinter has come...Can Spring be so behind? 「冬が来ている・・・春が近い証拠だ!」と言うではありませんか。
笑顔を忘れず、常に前を向いて、冬の風を真正面から受け止めて、凛として先に進みましょう!
春の風の暖かさを一番知る人は、冬の風の冷たさを知っている人なのです。
最後まで、全力を尽くしましょう!
解決するためのアドバイスも書いたのですが、私が一番強調したかったことは書きませんでした。主旨がぼけるといけないと思ったからです。
前回書いた三つのアドバイスを総合・統合するものとして私が塾生の皆さんに伝えたかったことは、いついかなる場合であっても、自分がどんな選択をしようとも、常に「凛として」いてほしい、ということだったのです。
皆さんがこの一年、どんなに苦しい思いをして勉強に励んできたかを、私はよく知っています。この期間の努力はまさに驚異的ですらありました(冬期合宿を思い出してください)。
これだけの努力を重ねてきた皆さんに、今の時点で臆すること・恐れることは何もないのです。
自分の考えどおりに行かないこともあるでしょう。
希望が通らないこともあるかもしれません。
あるいは希望通り行過ぎて、かえって難しい問題を抱えている人もいるかもしれません。
でもそれらすべてに『凛として』向き合って欲しいのです。
何一つ恐れる事はありません。
堂々と、真正面を向いて結果を受け止め、自分の出した結論・選択を胸を張って受け取りましょう。
その結論・選択に従って、自分の人生の新しい一歩を、勇気を持って踏み出しましょう。
2月3月は冬の季節です。
でもWinter has come...Can Spring be so behind? 「冬が来ている・・・春が近い証拠だ!」と言うではありませんか。
笑顔を忘れず、常に前を向いて、冬の風を真正面から受け止めて、凛として先に進みましょう!
春の風の暖かさを一番知る人は、冬の風の冷たさを知っている人なのです。
最後まで、全力を尽くしましょう!
選択の時・・・
今私は医進塾の塾長・早稲田ゼミナール教務課長という立場にいますが、この職に着く前は中高の現場におりました。30年ほどになります。思えば長い期間でしたが・・・^_^;。
出会った生徒の数は男女合わせて2800名。
またそのちょうど二倍の数の保護者の方とお話しをしてきたことになります。
高校であれば3年の後半、予備校であっても今頃から本当に悩ましい「進路選択」の問題が生じてきます。
「どこにも行くところがないから、もう一年・・・」というような悩みは、むしろ単純な悩みなのであって、実際には、「合格することはしたけれども、合格大学のどれに入学するか迷う」、「第一志望大学には入ったが、家庭の事情で第二志望校にすることを両親から希望された」「ある医学部(獣医学部)には入れたが、、自分としては別のところに行きたい気持ちを抑えられない。もう一年勉強を継続したいとも思うが、もう一年やって希望のところに行ける保証がないのが不安」・・・等々、選択することが途方もなく難しく見えることばかりです。
30年間、そのような相談の相手となり、一緒に問題を考えてきました。その結果の経験則にしか過ぎませんが、個々の場合すべてに当てはまる大原則というようなものはないにせよ、一生懸命いろいろと考えているうちに忘れがちな法則・原則のようなものは、確かにあるように思います。
1.進路選択に「正・誤」はあり得ないということ。
センターテスト形式の試験になれてきているためか、若い世代は目の前にいくつかの選択肢を並べられた場合、ひとつが「正解」でほかは「間違い」という思考方法を、なんとなくとってしまうことが多いように思います。
人生の選択は四択正誤問題ではないのです。
どの選択肢を選んでも「正解」になり得ます。今「なります」ではなく「なり得ます」と書いた点に注意してください。小さなことのようですが、大事な点です。
どの選択肢をとってもよいのです。その選択肢を選ぶことでその人が本当に自分のうちにうずく「成長への願い」を実現できるかどうかが、判断の基準なのです。
一般に入試の偏差値が高いところに受験生は行きたがります。受験が競争である以上、それは当然なことかもしれません。
でも「入試のレベル」は、イコール「大学の教育レベル」ではないのです。関連がないとは言いません。でもストレートに関係があるかといえば、疑問の余地なしとしないのです。
無理に無理を重ねて偏差値の高い大学にゆき、今までは「自分が一番」だったところから「勉強はできてあたりまえ」という世界に入り、その結果失望と劣等感から大学を中退しなければならなくなった人を、私は何人も知っています。
反対に、自分のやりたいことを専門に研究している先生がいるからという理由で、偏差値で言えば比較的入りやすいところに入り、悠々と余裕を持って大学生活を送り、大学卒業後、日本で有数の難易度を持つ大学院に行き、そこを出てから自分の母校の大学に教授職で迎えられた人もいます。
進路選択に「正・誤」はあり得ない、その進路が自分をどう生かすか、その進路で自分をどう生かして行くかという自分の決意・決断に、すべてがかかっているということなのです。
逆に言えば、外的にはどんなに立派な選択肢であったとしても、自分を生かして行く決意がもてない選択をすることは、誤りとはいえないまでも、後から振り返って「ミス」したと思う可能性が高いということでもあるでしょう。
2.「あきらめる」ことは、立派な価値判断です。
人の生涯にはいろいろな制約が付きまといます。地域的な制約、金銭的な制約、年齢的な制約、親族的な制約、数え上げたらきりがありません。
そのような制約の中で、それを受け入れつつ生きて行くのが人間というものです。自分のしたいこと、自分の希望がそのままの形で実現することは、まずあり得ないと言ってよいでしょう。
塾生の皆さんは、今まで自分の希望をそのまま実現させるために勉強を続けてきました。それは悪いことではないし、また実現可能なことです。なぜなら「勉強」は自分だけの事柄だからです。
今皆さんが直面している問題は、その「自分だけの問題・事柄」と、大きく言えば自分だけではない「社会」との接点の問題だともいえるのです。
社会との接点の問題である以上、自分だけで解決はできません。
特に金銭的な面で負担をかける、ご両親との話し合いが大きな意味を持ってくるだろうと思います。
話し合いの結果、自分の最初の希望が通らないこともあるかもしれません。でもそれにはそれなりの意味があるのです。「社会的な制約」に直面した結果自分の当初の希望のとおりにならないことを「受け入れる」=「あきらめる」ことは、立派で積極的な「価値判断」だからです。
制約を自分から堂々と受け入れ、「あきらめる」ことは、きわめて高度な、人間にしかできない積極的な価値判断・決断なのです。
「あきらめる」を辞書で引くと「諦める」という漢字以外に「明らめる」が出てきます。これはきわめて象徴的な事柄ではないでしょうか。
「あきらめる」ことは、決して悲観的・消極的な態度ではないのです。むしろ人生の先を見て、その先をしっかりと「明らめる」=「明らかにする」態度に通じるものなのです。
3.感謝のうちに選択をする人はよい選択ができ、その結果幸せになるということ。
先ほど「その選択肢を選ぶことでその人が本当に自分のうちにうずく「成長への願い」を実現できるかどうかが、判断の基準」と書きました。
それと同時に、「自分をここまで育ててくれた人への感謝の気持ち」をもてるかどうかも大事な基準となってきます。
「自分がしたいこと」を考えることが可能になったのは誰のおかげでしょう。両親であり指導してくださった先生方ではないでしょうか。友人の励ましもあったことでしょう。それらすべてに対する、心からの感謝の気持ちを持ち続け、その気持ちにうそをつかないような選択をする人は、大きな判断のミスをしないですむことが多いように思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上三点を書きました。
これ以外にも覚えておくべきことは多々あります。
ですが、まずこの三点がもっとも大事なことです。
塾生全員が、納得の行く、よい選択をすることができるよう、心から祈っています。
出会った生徒の数は男女合わせて2800名。
またそのちょうど二倍の数の保護者の方とお話しをしてきたことになります。
高校であれば3年の後半、予備校であっても今頃から本当に悩ましい「進路選択」の問題が生じてきます。
「どこにも行くところがないから、もう一年・・・」というような悩みは、むしろ単純な悩みなのであって、実際には、「合格することはしたけれども、合格大学のどれに入学するか迷う」、「第一志望大学には入ったが、家庭の事情で第二志望校にすることを両親から希望された」「ある医学部(獣医学部)には入れたが、、自分としては別のところに行きたい気持ちを抑えられない。もう一年勉強を継続したいとも思うが、もう一年やって希望のところに行ける保証がないのが不安」・・・等々、選択することが途方もなく難しく見えることばかりです。
30年間、そのような相談の相手となり、一緒に問題を考えてきました。その結果の経験則にしか過ぎませんが、個々の場合すべてに当てはまる大原則というようなものはないにせよ、一生懸命いろいろと考えているうちに忘れがちな法則・原則のようなものは、確かにあるように思います。
1.進路選択に「正・誤」はあり得ないということ。
センターテスト形式の試験になれてきているためか、若い世代は目の前にいくつかの選択肢を並べられた場合、ひとつが「正解」でほかは「間違い」という思考方法を、なんとなくとってしまうことが多いように思います。
人生の選択は四択正誤問題ではないのです。
どの選択肢を選んでも「正解」になり得ます。今「なります」ではなく「なり得ます」と書いた点に注意してください。小さなことのようですが、大事な点です。
どの選択肢をとってもよいのです。その選択肢を選ぶことでその人が本当に自分のうちにうずく「成長への願い」を実現できるかどうかが、判断の基準なのです。
一般に入試の偏差値が高いところに受験生は行きたがります。受験が競争である以上、それは当然なことかもしれません。
でも「入試のレベル」は、イコール「大学の教育レベル」ではないのです。関連がないとは言いません。でもストレートに関係があるかといえば、疑問の余地なしとしないのです。
無理に無理を重ねて偏差値の高い大学にゆき、今までは「自分が一番」だったところから「勉強はできてあたりまえ」という世界に入り、その結果失望と劣等感から大学を中退しなければならなくなった人を、私は何人も知っています。
反対に、自分のやりたいことを専門に研究している先生がいるからという理由で、偏差値で言えば比較的入りやすいところに入り、悠々と余裕を持って大学生活を送り、大学卒業後、日本で有数の難易度を持つ大学院に行き、そこを出てから自分の母校の大学に教授職で迎えられた人もいます。
進路選択に「正・誤」はあり得ない、その進路が自分をどう生かすか、その進路で自分をどう生かして行くかという自分の決意・決断に、すべてがかかっているということなのです。
逆に言えば、外的にはどんなに立派な選択肢であったとしても、自分を生かして行く決意がもてない選択をすることは、誤りとはいえないまでも、後から振り返って「ミス」したと思う可能性が高いということでもあるでしょう。
2.「あきらめる」ことは、立派な価値判断です。
人の生涯にはいろいろな制約が付きまといます。地域的な制約、金銭的な制約、年齢的な制約、親族的な制約、数え上げたらきりがありません。
そのような制約の中で、それを受け入れつつ生きて行くのが人間というものです。自分のしたいこと、自分の希望がそのままの形で実現することは、まずあり得ないと言ってよいでしょう。
塾生の皆さんは、今まで自分の希望をそのまま実現させるために勉強を続けてきました。それは悪いことではないし、また実現可能なことです。なぜなら「勉強」は自分だけの事柄だからです。
今皆さんが直面している問題は、その「自分だけの問題・事柄」と、大きく言えば自分だけではない「社会」との接点の問題だともいえるのです。
社会との接点の問題である以上、自分だけで解決はできません。
特に金銭的な面で負担をかける、ご両親との話し合いが大きな意味を持ってくるだろうと思います。
話し合いの結果、自分の最初の希望が通らないこともあるかもしれません。でもそれにはそれなりの意味があるのです。「社会的な制約」に直面した結果自分の当初の希望のとおりにならないことを「受け入れる」=「あきらめる」ことは、立派で積極的な「価値判断」だからです。
制約を自分から堂々と受け入れ、「あきらめる」ことは、きわめて高度な、人間にしかできない積極的な価値判断・決断なのです。
「あきらめる」を辞書で引くと「諦める」という漢字以外に「明らめる」が出てきます。これはきわめて象徴的な事柄ではないでしょうか。
「あきらめる」ことは、決して悲観的・消極的な態度ではないのです。むしろ人生の先を見て、その先をしっかりと「明らめる」=「明らかにする」態度に通じるものなのです。
3.感謝のうちに選択をする人はよい選択ができ、その結果幸せになるということ。
先ほど「その選択肢を選ぶことでその人が本当に自分のうちにうずく「成長への願い」を実現できるかどうかが、判断の基準」と書きました。
それと同時に、「自分をここまで育ててくれた人への感謝の気持ち」をもてるかどうかも大事な基準となってきます。
「自分がしたいこと」を考えることが可能になったのは誰のおかげでしょう。両親であり指導してくださった先生方ではないでしょうか。友人の励ましもあったことでしょう。それらすべてに対する、心からの感謝の気持ちを持ち続け、その気持ちにうそをつかないような選択をする人は、大きな判断のミスをしないですむことが多いように思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上三点を書きました。
これ以外にも覚えておくべきことは多々あります。
ですが、まずこの三点がもっとも大事なことです。
塾生全員が、納得の行く、よい選択をすることができるよう、心から祈っています。
2011年2月16日水曜日
面接受験報告
面接を受けてきた塾生と少し話しました。
以下がその概略です。
############
面接の前にアンケート用紙を配られました。
その中に『自分のアピールポイント』という欄があったんです。一瞬、自分が書きたいこと(自分の得意なことなど)を書こうと思いました。
でもそのときに思い出したのが、CP(コミュニケーションプログラム;医進のプレゼン対応のプログラムです)で習ったこと、『自分が言いたいことではなく、相手が聞きたいことを!』の原則でした。
大学はきっと、僕たちが大学生活でどのようなことをしたいと思っているか聞きたいのだろうと考え、小学校時代からやっている合気道を大学でも続けてやりたい、勉強だけでなく、たくさんの人と交わりを持ち皆で一緒に何か人のためになることをしたい、ということを書きました。
結果としてこれが大成功(笑)で、受験生何人かで一緒に面接を受けて、最初の質問が『大学でどんなことをしてみたいと考えているか』だったのです。やったね!と思いました。
僕は順番が最後だったのですが、試験官の先生が『もう君は、十分に考えているようだね』と言ってくれました。これは嬉しかったですね。
その後の質問も、たとえば『君はなぜこの学部に入りたいのか』とか『将来どのような医師でありたいのか』といった、こちらとしては、いうことがありすぎるような質問ばかりでした。
自分の前の人の答え方を聞く余裕もできましたし、自分の言うことの中に前の人が言った内容をそれとなく入れて、全体をまとめるような言い方もできました。
答えながらも、常に『相手は何を聞きたがっているのか』を頭におくことを忘れませんでした。面接官の先生の表情に合わせて、言うことの順序を変えたりもしました。
医進塾で一緒に面接練習をした時、その仲間の言ったことや、その場で学んだこと、ものの言い方、考え方、それらすべてが面接のときに役立ったと思います。
最後に、「一生勉強し続ける気持ちを持ったドクターでありたいと思います」なんて、結構かっこつけて言ってしまいましたが、終わった後に本当にこの面接を受けてよかった、と思いました。
医進塾のCPで勉強したことが、ここまで役に立つとは思いませんでした。
練習やっているときには「何でここまで深くやらなければならないのか、たかが15分程度の面接じゃないか」と思っていました。
でも実際に面接を受けてみて、練習段階で、本当にあそこまで深くやっておいてよかった!!
CPをちゃんと受けていなければ、たぶん自分のように自分中心の発言をし勝ちな受験生はぼろぼろになったと思います。
###############
聞いている私も嬉しかったし、それ以上に彼にとって大きな『乗り越え体験』だったことでしょう。
医進塾で学んだこと、それが塾生にとって一生の宝物になってくれることを期待しています。
以下がその概略です。
############
面接の前にアンケート用紙を配られました。
その中に『自分のアピールポイント』という欄があったんです。一瞬、自分が書きたいこと(自分の得意なことなど)を書こうと思いました。
でもそのときに思い出したのが、CP(コミュニケーションプログラム;医進のプレゼン対応のプログラムです)で習ったこと、『自分が言いたいことではなく、相手が聞きたいことを!』の原則でした。
大学はきっと、僕たちが大学生活でどのようなことをしたいと思っているか聞きたいのだろうと考え、小学校時代からやっている合気道を大学でも続けてやりたい、勉強だけでなく、たくさんの人と交わりを持ち皆で一緒に何か人のためになることをしたい、ということを書きました。
結果としてこれが大成功(笑)で、受験生何人かで一緒に面接を受けて、最初の質問が『大学でどんなことをしてみたいと考えているか』だったのです。やったね!と思いました。
僕は順番が最後だったのですが、試験官の先生が『もう君は、十分に考えているようだね』と言ってくれました。これは嬉しかったですね。
その後の質問も、たとえば『君はなぜこの学部に入りたいのか』とか『将来どのような医師でありたいのか』といった、こちらとしては、いうことがありすぎるような質問ばかりでした。
自分の前の人の答え方を聞く余裕もできましたし、自分の言うことの中に前の人が言った内容をそれとなく入れて、全体をまとめるような言い方もできました。
答えながらも、常に『相手は何を聞きたがっているのか』を頭におくことを忘れませんでした。面接官の先生の表情に合わせて、言うことの順序を変えたりもしました。
医進塾で一緒に面接練習をした時、その仲間の言ったことや、その場で学んだこと、ものの言い方、考え方、それらすべてが面接のときに役立ったと思います。
最後に、「一生勉強し続ける気持ちを持ったドクターでありたいと思います」なんて、結構かっこつけて言ってしまいましたが、終わった後に本当にこの面接を受けてよかった、と思いました。
医進塾のCPで勉強したことが、ここまで役に立つとは思いませんでした。
練習やっているときには「何でここまで深くやらなければならないのか、たかが15分程度の面接じゃないか」と思っていました。
でも実際に面接を受けてみて、練習段階で、本当にあそこまで深くやっておいてよかった!!
CPをちゃんと受けていなければ、たぶん自分のように自分中心の発言をし勝ちな受験生はぼろぼろになったと思います。
###############
聞いている私も嬉しかったし、それ以上に彼にとって大きな『乗り越え体験』だったことでしょう。
医進塾で学んだこと、それが塾生にとって一生の宝物になってくれることを期待しています。
2011年2月14日月曜日
「完璧」を目指す心構え
世の中は広いし、いろいろな職業のあることは知っていました。
でも数日前、この世に「受験評論家」なるものが存在し、しかもしっかり自分の肩書きにそれを使っている方がいると知り、本当に驚きました。
日ごろ医進の生徒には「評論家になるな。実力をつけろ!」と言っているからです。
もちろんその方々の仕事を貶めるつもりは毛頭ありません。この世に職業として成り立つ以上、ちゃんとした存在意義がある仕事なのだろうと思います。
それらの方々が書いたものを読むと、大学の競争率(倍率)の推移であるとか、人気大学・学部の変遷であるとか、これからの人気学部の予想であるとか、あるいは今年の(分かっている限りでの)入試倍率を基にした各大学1次選抜試験の合格者数の予想であるとか、確かに知っていて損になることはないだろうと思われる情報ばかりです。考えようによっては大変に貴重な資料だということにもなるでしょう。
でもそれをすべて「受験生」が知らねばならないかというと、「?」がついてしまいます。
進路指導に当たるわれわれが一応のことを知っておく必要はあるでしょうし、受験生が自分の受ける大学の基礎的な情報を知っておくのは「礼儀」でもあります。
でもこれらの資料・情報を知っていることは、その受験生の「学力」とは何の関係もありません。
私が心配するのは、これらの情報・資料を知っているということが「プロの受験生」の証明だといわんばかりの受験生がいることなのです。
「受験評論家」なる職業の方は、それがご自分の仕事ですから、社会に受け入れられている限り、それでよいと思います。でも受験生自身が受験評論家を気取る必要はまったくありません。
「〇〇大学の△△学部は、今年は例年以上に難しくなるらしいから、受験はひかえておいたほうがいい」
「××大学の面接は、圧迫面接だから、~の準備をしておくべき」
「□□大学の入試作成者が今年は大幅に変わるらしいから、出題傾向も変わる可能性がある」
などの「うわさ」に過ぎない事柄を教室内で吹聴することほど回りに迷惑になることはありません。それらは大体のところ、出処の怪しい「ネット情報」がほとんどで、真偽を確認することすらできないものが大部分だからです。
受験についての知識がまったくないのも困りますが、それをたくさん知っていたからと言って「合格」できるわけではありません。最終的に受験生を勝利に導くのは「確実な実力・学力」なのです。
たとえ競争率が何百倍になり、出題傾向が180度変わったとしても、受験科目すべてに100点を取れば、入れない大学・学部は存在しません!
※このあたりのことは以前「柔道部物語」というブログに書いたことがあります⇒http://wasedazemi-ishinjuku.blogspot.com/2008/07/blog-post_09.html
私は、医進塾の塾生には、常に「完璧を目指せ!8割、9割の得点で満足するな!結果としての点数は『合格最低点+1点』で十分だが、気持ちは常に『完璧・完全!』を目指せ!」と、叱咤激励しています。
これは受験勉強への心構えというだけではなく、将来「命」を対象にする仕事を目指しているものとしても当然持つべき心構えではないでしょうか。「命」には「生と死」しかあり得ず、「死」を自ら求めることは考えられないのです。「生」は100%「生」であり、「60%の生」とか「75%の生」はあり得ません。
気にすべきこと、傾向と対策。
気にすべきでないこと、「うわさと倍率」。
受験生にはこのことを本当の意味で理解してもらいたいものです。
でも数日前、この世に「受験評論家」なるものが存在し、しかもしっかり自分の肩書きにそれを使っている方がいると知り、本当に驚きました。
日ごろ医進の生徒には「評論家になるな。実力をつけろ!」と言っているからです。
もちろんその方々の仕事を貶めるつもりは毛頭ありません。この世に職業として成り立つ以上、ちゃんとした存在意義がある仕事なのだろうと思います。
それらの方々が書いたものを読むと、大学の競争率(倍率)の推移であるとか、人気大学・学部の変遷であるとか、これからの人気学部の予想であるとか、あるいは今年の(分かっている限りでの)入試倍率を基にした各大学1次選抜試験の合格者数の予想であるとか、確かに知っていて損になることはないだろうと思われる情報ばかりです。考えようによっては大変に貴重な資料だということにもなるでしょう。
でもそれをすべて「受験生」が知らねばならないかというと、「?」がついてしまいます。
進路指導に当たるわれわれが一応のことを知っておく必要はあるでしょうし、受験生が自分の受ける大学の基礎的な情報を知っておくのは「礼儀」でもあります。
でもこれらの資料・情報を知っていることは、その受験生の「学力」とは何の関係もありません。
私が心配するのは、これらの情報・資料を知っているということが「プロの受験生」の証明だといわんばかりの受験生がいることなのです。
「受験評論家」なる職業の方は、それがご自分の仕事ですから、社会に受け入れられている限り、それでよいと思います。でも受験生自身が受験評論家を気取る必要はまったくありません。
「〇〇大学の△△学部は、今年は例年以上に難しくなるらしいから、受験はひかえておいたほうがいい」
「××大学の面接は、圧迫面接だから、~の準備をしておくべき」
「□□大学の入試作成者が今年は大幅に変わるらしいから、出題傾向も変わる可能性がある」
などの「うわさ」に過ぎない事柄を教室内で吹聴することほど回りに迷惑になることはありません。それらは大体のところ、出処の怪しい「ネット情報」がほとんどで、真偽を確認することすらできないものが大部分だからです。
受験についての知識がまったくないのも困りますが、それをたくさん知っていたからと言って「合格」できるわけではありません。最終的に受験生を勝利に導くのは「確実な実力・学力」なのです。
たとえ競争率が何百倍になり、出題傾向が180度変わったとしても、受験科目すべてに100点を取れば、入れない大学・学部は存在しません!
※このあたりのことは以前「柔道部物語」というブログに書いたことがあります⇒http://wasedazemi-ishinjuku.blogspot.com/2008/07/blog-post_09.html
私は、医進塾の塾生には、常に「完璧を目指せ!8割、9割の得点で満足するな!結果としての点数は『合格最低点+1点』で十分だが、気持ちは常に『完璧・完全!』を目指せ!」と、叱咤激励しています。
これは受験勉強への心構えというだけではなく、将来「命」を対象にする仕事を目指しているものとしても当然持つべき心構えではないでしょうか。「命」には「生と死」しかあり得ず、「死」を自ら求めることは考えられないのです。「生」は100%「生」であり、「60%の生」とか「75%の生」はあり得ません。
気にすべきこと、傾向と対策。
気にすべきでないこと、「うわさと倍率」。
受験生にはこのことを本当の意味で理解してもらいたいものです。
2011年2月13日日曜日
自習時間の過ごし方
医進塾では現在、獣医学部・医学部Ⅱ期試験対策講座を開催しています。
塾生はみな、思い思いの勉強の仕方で最後の仕上げをしているところです。
先生方がほぼ毎日来校していますので、講師室は質問する塾生で終日にぎわっています。
それ以外に、「自主学習」と称して、問題を競争で解き、先にできたほうが解説をするというやり方をとっている人もいます。
これは昨年度大変に効果のあったやり方でした。
塾生はみな、思い思いの勉強の仕方で最後の仕上げをしているところです。
先生方がほぼ毎日来校していますので、講師室は質問する塾生で終日にぎわっています。
それ以外に、「自主学習」と称して、問題を競争で解き、先にできたほうが解説をするというやり方をとっている人もいます。
これは昨年度大変に効果のあったやり方でした。
空いている教室を使い、英語のシャドウイングをしています。 単語の暗記にも有効な方法です。 |
問題解説を、先にできたほうがします。 生徒同士なので、質問もシビアなものになるということです。 |
最後の最後、締めくくりの勉強です。各自がそれぞれ納得の行く形で終わらせてもらいたいと願います。
第1回学校説明会開催
昨日午後、第1回学校説明会が開催されました。
私の「合格するために、何が必要か!」の講義の後、数学モデル授業が行われました。
私の「合格するために、何が必要か!」の講義の後、数学モデル授業が行われました。
数学のI丸先生の授業です。 |
熱心にメモを取る受講生 |
あれ、答が合わないぞ、計算間違えたかな、とか言っています(笑)。 困ったものです(苦笑)。 |
今回は初回の説明会でしたので、参加者は比較的少なく、12名でした。
やり方に合わない人が自分だけの思い込みで無理に入学をしてきた場合、お互いに幸せになれないからです(笑)。
医進のような小さな塾の場合、何よりも「医進の方針が納得できる」「医進のやり方に合う」ということが大事なのです。そしてやり方を納得し、それを誠心誠意実行した人が合格して行くのです。例外はほとんどありません。
とは言っても、医進の方針は決して大げさなものではなく、今までブログに何度も書いたように「先生方と学校の指示に従ってひたすら勉強してくださいね」ということに尽きています。
塾生は医進塾で、高校3年間+αの内容が凝縮された1年間を駆け抜けます。
それは密度が極端に濃い分、迷いを持ちながらでは絶対に走り抜けることのできない一年間でもあるのです。
合格を果たした人が必ず言う言葉、「塾の方針と先生方を信用して本当に良かった!」は、このことを端的に表しているのでしょう。
もちろん医進でなければ「合格できない」ということではありません。合格に至る道はたくさんあります。他の方法を否定するつもりはまったくありません。
大事なことは自分の勉強の「足りない部分」と、医進塾が「提案できる部分」とが合致しているかどうかの見極めです。
その意味で、医進の学校説明会は、非常に大事なものだと考えています。
もう既に正式に入学願書を出していただいている方にも、学校説明会には必ず一度は参加をしてもらうようにしています。
ここまで書いてきて、改めて思いますが、医進のやり方は、そのくらい独特だということなのでしょうか?そんなこともないと思いますよ(笑)。
よろしければ、一度ご来校ください(笑)⇒http://ishinjuku.ac.jp/61.html
2011年2月12日土曜日
合格発表・・・生徒が1番気にすること
昨日からの雪も何とかやみましたが、気温は上がりません。
不安定な気候です。
現在、各大学の合格発表が連日行われています。
医学部はかなり苦労をしているようですが、獣医学部に関しては今年も快調です。
現時点で、獣医学部コース生のほぼ三分の二が合格しました。残りの生徒もこれからの発表で必ず合格を手にしてくれることと思います。
合格発表は集計が終わり次第、順次ウェブページでお知らせいたします。
⇒http://ishinjuku.ac.jp/tigauzo-ishinjuku.html
###############
合格と言えば・・・、
この時期、合格した彼らが非常に気にすることがあります。不合格の仲間に対してどう振舞うかということです。
合格していない仲間に会うのがいやだから、敢えて学校に来ないという人もいます。
会いたくないというより、まだ勉強を継続している仲間を邪魔したくないということなのでしょう。
その気持ちは十分に分かります。
でも私が彼らに期待するのは、受かっても落ちても「堂々としている」ことなのです。
難しいことであるのは承知しています。
でもそれを期待したい。
それが一年間一緒に一生懸命やってきた仲間に対する「礼儀」だと思うからです。「誠意」と言ってもよいかもしれません。
今までに何度も書いたように、人生にはプラスもあればマイナスもあります。マイナスだからと言って自暴自棄にならない、プラスだからと言って舞い上がらない、セルフコントロールの力が、医師・獣医師ほど必要とされる職業はないでしょう。
合格であれ、不合格であれ、自分たちの一年間の勉強を、どう締めくくるのか、これが案外一番難しいことなのでしょう。
自分の人生に責任をとるのは自分しかいないと思い定めた時、人は本当の力を出せます。
いつも思うのですが、これは人生全体に通じることでもあります。
医進の塾生が一年間の勉強の「晩節を汚す」ことなく、毅然としてまっすぐに進んでくれることを信じています。
不安定な気候です。
現在、各大学の合格発表が連日行われています。
医学部はかなり苦労をしているようですが、獣医学部に関しては今年も快調です。
現時点で、獣医学部コース生のほぼ三分の二が合格しました。残りの生徒もこれからの発表で必ず合格を手にしてくれることと思います。
合格発表は集計が終わり次第、順次ウェブページでお知らせいたします。
⇒http://ishinjuku.ac.jp/tigauzo-ishinjuku.html
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合格と言えば・・・、
この時期、合格した彼らが非常に気にすることがあります。不合格の仲間に対してどう振舞うかということです。
合格していない仲間に会うのがいやだから、敢えて学校に来ないという人もいます。
会いたくないというより、まだ勉強を継続している仲間を邪魔したくないということなのでしょう。
その気持ちは十分に分かります。
でも私が彼らに期待するのは、受かっても落ちても「堂々としている」ことなのです。
難しいことであるのは承知しています。
でもそれを期待したい。
それが一年間一緒に一生懸命やってきた仲間に対する「礼儀」だと思うからです。「誠意」と言ってもよいかもしれません。
今までに何度も書いたように、人生にはプラスもあればマイナスもあります。マイナスだからと言って自暴自棄にならない、プラスだからと言って舞い上がらない、セルフコントロールの力が、医師・獣医師ほど必要とされる職業はないでしょう。
合格であれ、不合格であれ、自分たちの一年間の勉強を、どう締めくくるのか、これが案外一番難しいことなのでしょう。
自分の人生に責任をとるのは自分しかいないと思い定めた時、人は本当の力を出せます。
いつも思うのですが、これは人生全体に通じることでもあります。
医進の塾生が一年間の勉強の「晩節を汚す」ことなく、毅然としてまっすぐに進んでくれることを信じています。
2011年2月10日木曜日
塾長ブログの意味
数日前にこのブログのPV(page view アクセス数)が5000を超えました。
大変に驚いています^_^;。
もともとこの『医進塾NOW』は、医進塾の中の様子を日記風に書き綴ることで、興味を持ってくださる人にリアルタイムで情報発信をして行こうという趣旨ではじめられたものです。
医進塾の広報担当者から、ある日突然「作っておいたから、よろしくね!」と引き渡され、そこから始まりました。現在も基本的な枠組みは広報が作成しています。私は文字を書いて載せるだけです(笑)。
医進塾そのものの存在が非常にマイナーですし(笑)、マイナーであることに誇りを持っている塾ですから、アクセス数などあまり気にしたことはありませんでした。
誰が読むかもあまり気にせずに始まったので、内容によっては塾生対象だったり、保護者対象だったり、一般の方対象だったりと、定まっていません。ある意味では、きわめていい加減なブログでもありました(笑)。
ところが・・・昨年の暮れ、ある保護者の方からこんなことを言われたのです。
「塾長ブログを大変楽しみにしています。塾生についてのことはもちろん、塾長がいろいろな機会に書かれることを読むと、今の医進塾がどの方向に向かっているのかがわかります。子供を預けている親として、子供の姿と同様に学校の姿勢というものがとても気になるものです。塾長の書かれる事柄のすべてに賛成というわけではありません。でも楽しみにしていることに変わりはありません」
思わず冷や汗が出ました^_^;(笑)。
それまでは、「どうせ誰も読んでいないのだろうから、ま、気が向いたときに書けばいいか」程度にしか思っていなかった面が、ないとは言えなかったのです・・・m(__)m(笑)。
自分の書いた駄文を「楽しみにして」くれている人がいる・・・、これはショックでした。
それからは、一日に一回は必ず何か書こうと思い定めました。その気になって回りを見ると、塾生や先生方が毎日きている学校という場所は、ひとつの「ドラマ」の舞台でもあるのですね。
その舞台の上でどんな劇が演じられているのか、これからもそれを気のついたことから書き続けて行きたいと思います。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
つたないブログではありますが、これからもよろしくお願いします。
そしてこの医進塾というステージで、明日を夢見てがんばっている塾生たちに、ご声援を!!
##################
※このブログは直接みなさんからのコメントがつけられないようになっています。
ご意見ご要望、ご感想などがありましたら、直接私のアドレスまでお願いいたします⇒megumi.toyama@gmail.com
大変に驚いています^_^;。
もともとこの『医進塾NOW』は、医進塾の中の様子を日記風に書き綴ることで、興味を持ってくださる人にリアルタイムで情報発信をして行こうという趣旨ではじめられたものです。
医進塾の広報担当者から、ある日突然「作っておいたから、よろしくね!」と引き渡され、そこから始まりました。現在も基本的な枠組みは広報が作成しています。私は文字を書いて載せるだけです(笑)。
医進塾そのものの存在が非常にマイナーですし(笑)、マイナーであることに誇りを持っている塾ですから、アクセス数などあまり気にしたことはありませんでした。
誰が読むかもあまり気にせずに始まったので、内容によっては塾生対象だったり、保護者対象だったり、一般の方対象だったりと、定まっていません。ある意味では、きわめていい加減なブログでもありました(笑)。
ところが・・・昨年の暮れ、ある保護者の方からこんなことを言われたのです。
「塾長ブログを大変楽しみにしています。塾生についてのことはもちろん、塾長がいろいろな機会に書かれることを読むと、今の医進塾がどの方向に向かっているのかがわかります。子供を預けている親として、子供の姿と同様に学校の姿勢というものがとても気になるものです。塾長の書かれる事柄のすべてに賛成というわけではありません。でも楽しみにしていることに変わりはありません」
思わず冷や汗が出ました^_^;(笑)。
それまでは、「どうせ誰も読んでいないのだろうから、ま、気が向いたときに書けばいいか」程度にしか思っていなかった面が、ないとは言えなかったのです・・・m(__)m(笑)。
自分の書いた駄文を「楽しみにして」くれている人がいる・・・、これはショックでした。
それからは、一日に一回は必ず何か書こうと思い定めました。その気になって回りを見ると、塾生や先生方が毎日きている学校という場所は、ひとつの「ドラマ」の舞台でもあるのですね。
その舞台の上でどんな劇が演じられているのか、これからもそれを気のついたことから書き続けて行きたいと思います。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
つたないブログではありますが、これからもよろしくお願いします。
そしてこの医進塾というステージで、明日を夢見てがんばっている塾生たちに、ご声援を!!
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※このブログは直接みなさんからのコメントがつけられないようになっています。
ご意見ご要望、ご感想などがありましたら、直接私のアドレスまでお願いいたします⇒megumi.toyama@gmail.com
2011年2月9日水曜日
ゼロ学期開講!
今週月曜日、2月7日から医進塾では「ゼロ学期」が開講されています。
詳しい時間割はこちら⇒http://ishinjuku.ac.jp/assets/2011pdf/timetable20110131.pdf
「ゼロ学期」はもともとは、新高3生に対して、4月から始まる本格的な受験勉強の準備をしてもらうと同時に、高校での成績を総括的に上げてもらおうというのが狙いでした。
今年から医進のゼロ学期は、新高3の現役生だけでなく広く既卒生にも公開するようになりました。
理由はいろいろあるのですが、大きく分けると次の点です。
1.4月からの勉強の本当の意味での準備期間にする。
一般的に4月新学期からの本格的な勉強の準備には「春期講習」が充てられることが多いと思います。これはどこの予備校でも同じでしょう。医進もかつてはそうしていました。
ですが、ここ数年の医学部・獣医学部の近年の難化傾向と、それに合わせた合理的な勉強のカリキュラムを考え合わせたとき、春期講習の2週間程度では到底基礎力確認に間に合わないということが分かってきたのです。
2月、3月の、まだ時間的、精神的に余裕のある段階で、高1、高2の学力総点検を行っておかないと、4月以降の勉強に負荷がかかりすぎてよい影響がでないということもだんだん分かってきました。
本当に意味のある「準備期間」としては2,3月を使わざるを得ないというのが私たちの結論です。
2.先生方と近い関係を作り、4月からの勉強へのスムーズな橋渡しをする。
勉強を効率よく進めるためには、先生方に対して近い関係を作り、いつでも質問ができるような体勢にしておくのがベストです。
近い関係と言葉では言いますが、お互いに人間ですからそれほど簡単にその関係に入れるわけではありません。授業を受けて、その質問を一つひとつ確認しながら作ってゆくのが一番自然な形です。
先生方もこの時期は受講生の力がはっきりとつかめているわけではありませんから、確認をしながら進むと思います。必要に応じて課題や問題プリントなども出すでしょう。
それらを着実にこなしながら先生と「よい関係」を作って行くことが、4月からの本格的受験勉強には一番必要なものなのだと私たちは考えています。
3.春期講習を本当に意味あるものにする。
春期講習の詳しい時間割はこちら⇒http://ishinjuku.ac.jp/assets/2011pdf/timetable2011-4.pdf
医進塾「春期講習」の基本は「医学部・獣医学部入試の『上限と傾向』を知り、的確な対策を立てる」です。
『上限と傾向』、つまり「何がどの程度出るか」ということです。
その『上限と傾向』に併せて、2月3月に蓄えてきた基礎力を、どう生かすか、また4月からどう勉強すればよいかを具体的に研究するのが「春期講習」の基本ですから、その前の段階である程度の基礎力が確認されていないと、「やることは分かったけれども、どうするかわからない」という、大変なことになってしまいます。
そうならないようにするためにも、この「ゼロ学期」は大変に大きな意味があるのです。
ゼロ学期は今書いたように、基礎力診断と勉強へのイントロダクションです。
受講が多少遅れてもかまいませんし、受ければ受けただけの意味があることは保証いたします(笑)。
興味のある方は、ぜひ医進塾事務局(03-3205-4308)にお問い合わせください。
詳しい時間割はこちら⇒http://ishinjuku.ac.jp/assets/2011pdf/timetable20110131.pdf
「ゼロ学期」はもともとは、新高3生に対して、4月から始まる本格的な受験勉強の準備をしてもらうと同時に、高校での成績を総括的に上げてもらおうというのが狙いでした。
K山先生の数学が始まりました。 |
授業の合間に勉強方法を個別に確認します。 |
熱が入ってきました(笑)。 |
1.4月からの勉強の本当の意味での準備期間にする。
一般的に4月新学期からの本格的な勉強の準備には「春期講習」が充てられることが多いと思います。これはどこの予備校でも同じでしょう。医進もかつてはそうしていました。
ですが、ここ数年の医学部・獣医学部の近年の難化傾向と、それに合わせた合理的な勉強のカリキュラムを考え合わせたとき、春期講習の2週間程度では到底基礎力確認に間に合わないということが分かってきたのです。
2月、3月の、まだ時間的、精神的に余裕のある段階で、高1、高2の学力総点検を行っておかないと、4月以降の勉強に負荷がかかりすぎてよい影響がでないということもだんだん分かってきました。
本当に意味のある「準備期間」としては2,3月を使わざるを得ないというのが私たちの結論です。
2.先生方と近い関係を作り、4月からの勉強へのスムーズな橋渡しをする。
勉強を効率よく進めるためには、先生方に対して近い関係を作り、いつでも質問ができるような体勢にしておくのがベストです。
近い関係と言葉では言いますが、お互いに人間ですからそれほど簡単にその関係に入れるわけではありません。授業を受けて、その質問を一つひとつ確認しながら作ってゆくのが一番自然な形です。
先生方もこの時期は受講生の力がはっきりとつかめているわけではありませんから、確認をしながら進むと思います。必要に応じて課題や問題プリントなども出すでしょう。
それらを着実にこなしながら先生と「よい関係」を作って行くことが、4月からの本格的受験勉強には一番必要なものなのだと私たちは考えています。
3.春期講習を本当に意味あるものにする。
春期講習の詳しい時間割はこちら⇒http://ishinjuku.ac.jp/assets/2011pdf/timetable2011-4.pdf
医進塾「春期講習」の基本は「医学部・獣医学部入試の『上限と傾向』を知り、的確な対策を立てる」です。
『上限と傾向』、つまり「何がどの程度出るか」ということです。
その『上限と傾向』に併せて、2月3月に蓄えてきた基礎力を、どう生かすか、また4月からどう勉強すればよいかを具体的に研究するのが「春期講習」の基本ですから、その前の段階である程度の基礎力が確認されていないと、「やることは分かったけれども、どうするかわからない」という、大変なことになってしまいます。
そうならないようにするためにも、この「ゼロ学期」は大変に大きな意味があるのです。
ゼロ学期は今書いたように、基礎力診断と勉強へのイントロダクションです。
受講が多少遅れてもかまいませんし、受ければ受けただけの意味があることは保証いたします(笑)。
興味のある方は、ぜひ医進塾事務局(03-3205-4308)にお問い合わせください。
2011年2月8日火曜日
2月という月
毎年のことですが、私にとって2月という月ほど「矛盾」した月はありません。在校生の受験-発表が続く一方、新入学希望の学生・保護者が引きも切らさず来校するからです。
私はそれを「発展的矛盾」と呼びます(笑)。西田幾太郎ならば「絶対矛盾の自己同一」というかもしれません(笑)。
#############
今週末に開催予定の「第一回学校説明会・模擬授業」は、すでに定員締め切りとなり、キャンセル待ちとなっています。
来校する方がたが、毎回必ず感心するのが、医進塾の学生の態度のよさです。「塾生さんたちの、予備校とは思えないフレンドリーで礼儀正しいところが、とても気に入りました」と、感想に書いてくださった方もいます。
何か特別な指導をしているのか、という質問もあります。
「特に何もしていません。医進の生徒は毎年みなこうです」
とお答えすることにしています。
というより、そうお答えするしかないのです(^_^;)。医進の塾生の礼儀正しさ、親しみやすさは、私が意識して作ったものではないからです。
強いて言うならば、医進塾の先生方との、本当に心の通った交流を一年間続けると、誰でもこうなるものなのだ、ということなのかもしれません。
その塾生の礼儀正しさと、その合格率とを見た後輩が「自分たちもああすれば合格できるのだ」と思い、先生方の指導に乗って努力を重ね、同じような見事な結果をだし、それを次の後輩がまねをする・・・そしてまた来年も同じ光景がくりかえされるということなのではないでしょうか。
合格して塾を去ってゆく塾生の後姿を見て、後輩がまた勉強を始めます。
先生方の、常に変わらぬ愛情あふれた、場合によっては厳しい指導を受けながら、塾生たちは互いに助け合い、励ましあい、刺激しながら目標を目指すことの大切さを、身をもって体験して行くのです。
これが「教育現場」の「あるべき姿」なのではないでしょうか?
医進塾には仰々しい教育目標があるわけではありません。私個人は特定の宗教を持っていますが(カトリックです)、塾として特別の宗教をバックグラウンドにしているわけではありません。
あるのは『「合格!」に向けて最善を尽くす』というだけのものなのです。
同じ目標に向けて走る仲間、それを誠心誠意支えて行こうとする先生方、それがあれば、そして、それさえあれば、今流行のいろいろな教育問題などは起こるはずがないのです。
医進塾には、不登校はありません。校内暴力も荒れる教室も、モンスターペアレンツ問題もありません。授業に対する満足度は、年間平均で4.7です(5段階評価、5が最高)。
予備校なのだからあたりまえ・・・とは必ずしも言い切れないのが昨今の事情のようです。その中にあって医進塾だけが、大きな問題もなく学校運営ができることに大きな感謝の気持ちを感じています。
2月はそれをシンボライズする月とも言えるかもしれませんね。
私はそれを「発展的矛盾」と呼びます(笑)。西田幾太郎ならば「絶対矛盾の自己同一」というかもしれません(笑)。
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今週末に開催予定の「第一回学校説明会・模擬授業」は、すでに定員締め切りとなり、キャンセル待ちとなっています。
来校する方がたが、毎回必ず感心するのが、医進塾の学生の態度のよさです。「塾生さんたちの、予備校とは思えないフレンドリーで礼儀正しいところが、とても気に入りました」と、感想に書いてくださった方もいます。
何か特別な指導をしているのか、という質問もあります。
「特に何もしていません。医進の生徒は毎年みなこうです」
とお答えすることにしています。
というより、そうお答えするしかないのです(^_^;)。医進の塾生の礼儀正しさ、親しみやすさは、私が意識して作ったものではないからです。
強いて言うならば、医進塾の先生方との、本当に心の通った交流を一年間続けると、誰でもこうなるものなのだ、ということなのかもしれません。
その塾生の礼儀正しさと、その合格率とを見た後輩が「自分たちもああすれば合格できるのだ」と思い、先生方の指導に乗って努力を重ね、同じような見事な結果をだし、それを次の後輩がまねをする・・・そしてまた来年も同じ光景がくりかえされるということなのではないでしょうか。
合格して塾を去ってゆく塾生の後姿を見て、後輩がまた勉強を始めます。
先生方の、常に変わらぬ愛情あふれた、場合によっては厳しい指導を受けながら、塾生たちは互いに助け合い、励ましあい、刺激しながら目標を目指すことの大切さを、身をもって体験して行くのです。
これが「教育現場」の「あるべき姿」なのではないでしょうか?
医進塾には仰々しい教育目標があるわけではありません。私個人は特定の宗教を持っていますが(カトリックです)、塾として特別の宗教をバックグラウンドにしているわけではありません。
あるのは『「合格!」に向けて最善を尽くす』というだけのものなのです。
同じ目標に向けて走る仲間、それを誠心誠意支えて行こうとする先生方、それがあれば、そして、それさえあれば、今流行のいろいろな教育問題などは起こるはずがないのです。
医進塾には、不登校はありません。校内暴力も荒れる教室も、モンスターペアレンツ問題もありません。授業に対する満足度は、年間平均で4.7です(5段階評価、5が最高)。
予備校なのだからあたりまえ・・・とは必ずしも言い切れないのが昨今の事情のようです。その中にあって医進塾だけが、大きな問題もなく学校運営ができることに大きな感謝の気持ちを感じています。
2月はそれをシンボライズする月とも言えるかもしれませんね。
2011年2月5日土曜日
獣医学部5連続入試終了!
今日の日本獣医生命の入試で、獣医学部5連続入試は終了します。
塾生の皆さん、お疲れ様でした。
いろいろな感慨もあると思います。今は少し休みましょう(笑)。
何人かの方に連絡を取り、受験状況を聞きました。
S子さんとH美さんはこんな風に言ってました。
「最初の日が一番厳しかったです。試験終了後、シバサブロー先生の銅像の前で二人で、涙しました」
「でもそれが終わったら、あとの4連続試験は、かえって開き直れたようで、初日が大変だった分、逆に堂々と受けられたような気がします」
「入試の本番に臨むたびに、自分が冷静になって行くんです。そのたびに自分が『あ、成長している!』って分かるんですよ。これはすごい発見でした」
「その代わりに、試験後は疲れましたねぇ~。受験前には試験が終わったらきちんと復習して、できなかった範囲をやって、応用問題もやって・・・なんて思ってたんです」
「実際に受けてみると、応用問題なんてトンでもない!復習するだけで精一杯!帰って食事して自分の部屋についたらもうバタンキューでした(笑)」
受験のたびの自己の成長・・・これはすごい言葉だと感動しました。何事によらず「真剣勝負」には「真剣」でしか体験できない、自分の身をを切り開くような緊張感が伴います。その緊張感が異常なほどの集中力を呼び覚まし、その集中力が普段では考えられないような記憶力や理解力・応用力を産むのです。
これから彼らは合格発表までの束の間の平安(笑)を得ます。
もう自分のできることはし尽くしました。
あとは自分が決めることではない。
結果を待ち、合否にかかわらず、それを素直に受け止めることが彼らに残された仕事なのです。
今日の午後はおそらくみな塾に来ると思います。
その時のために、これからお菓子を買出しに行ってきましょう(笑)。
塾生の皆さん、お疲れ様でした。
いろいろな感慨もあると思います。今は少し休みましょう(笑)。
何人かの方に連絡を取り、受験状況を聞きました。
S子さんとH美さんはこんな風に言ってました。
「最初の日が一番厳しかったです。試験終了後、シバサブロー先生の銅像の前で二人で、涙しました」
「でもそれが終わったら、あとの4連続試験は、かえって開き直れたようで、初日が大変だった分、逆に堂々と受けられたような気がします」
「入試の本番に臨むたびに、自分が冷静になって行くんです。そのたびに自分が『あ、成長している!』って分かるんですよ。これはすごい発見でした」
「その代わりに、試験後は疲れましたねぇ~。受験前には試験が終わったらきちんと復習して、できなかった範囲をやって、応用問題もやって・・・なんて思ってたんです」
「実際に受けてみると、応用問題なんてトンでもない!復習するだけで精一杯!帰って食事して自分の部屋についたらもうバタンキューでした(笑)」
受験のたびの自己の成長・・・これはすごい言葉だと感動しました。何事によらず「真剣勝負」には「真剣」でしか体験できない、自分の身をを切り開くような緊張感が伴います。その緊張感が異常なほどの集中力を呼び覚まし、その集中力が普段では考えられないような記憶力や理解力・応用力を産むのです。
これから彼らは合格発表までの束の間の平安(笑)を得ます。
もう自分のできることはし尽くしました。
あとは自分が決めることではない。
結果を待ち、合否にかかわらず、それを素直に受け止めることが彼らに残された仕事なのです。
今日の午後はおそらくみな塾に来ると思います。
その時のために、これからお菓子を買出しに行ってきましょう(笑)。
2011年2月4日金曜日
第1回学校説明会開催間近!
医進塾では、2月12日(土)より、毎週土曜日に「学校説明会」を開催いたします。
医学部・獣医学部入試に興味・関心をお持ちの方のご来校・ご参加をお待ちいたしております。
詳しくは医進塾ウェブページへ⇒http://ishinjuku.ac.jp/67.html
医学部・獣医学部入試に興味・関心をお持ちの方のご来校・ご参加をお待ちいたしております。
詳しくは医進塾ウェブページへ⇒http://ishinjuku.ac.jp/67.html
学校説明会内容
- .「本年度入試を振り返って」「《受かる》ためにしなければならない 『これだけは』と、これだけは『してはいけない』こと」
15分 塾長 外山 恩 - モデル授業見学⇒授業参加+勉強法の説明
- 個別面談(希望者のみ)
- 「合格者と話そう!」※受かった人はどういう勉強をしたのか、直接聞いてみましょう!!
- 5.参加特典
- ①「医進塾・医学部・獣医学部入試ガイド」(定価1900円)無料配布
- ②「医療系大学データブック」(定価1000円)無料配布
- ③参加回数に応じて、医進塾R春期講習に無料受講ができます。
※医進塾R春期講習(3/22-4/2)は「医学部・獣医学部入試問題の上限を知ろう!!」
というテーマで行われる、医学部・獣医学部入試特化講座です。
というテーマで行われる、医学部・獣医学部入試特化講座です。
★詳しい説明・参加ご予約は、医進塾事務局 ( 03-3205-4308 )まで
ご連絡ください(担当 外山、阿部)詳しくはまでご連絡ください。
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ご連絡ください(担当 外山、阿部)詳しくはまでご連絡ください。
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節分と豆まき・「合格しマス」(笑)
一昨日早稲田ゼミナールでは「節分」の豆まきをおこないました。
早稲田ゼミナールの「節分」と「豆まき」、それに「合格たまご」には逸話があります。
予備校早稲田ゼミナールが開校したのは昭和28年、1953年のことです。
当時は日本国中、戦争の傷がまだ完全に癒えてはいない時期でした。
池田首相の掛け声「所得倍増!もう戦後ではない!」に鼓舞された日本経済が、高度成長期に入るのが1960年あたりからです。
その直前、まだまだ日本が貧しい時代でした。
向学心に燃えて早稲田ゼミナールで熱心に学ぶ若者たちの中にも、一日一度の食事すら満足にとれないものが何人もいたそうです。
初代理事長の小山敬吾先生はその状態に大変に心を痛めました。そして、せめて「たまご」くらいは皆に食べてもらい、栄養をつけて勉強に励ませてやりたいと願ったのが、この「合格たまご」の始まりだったのです。
同時にそれは合格を邪魔する「鬼」を退治し、万全の気持ちで入試に向かおうという「豆まき」の行事につながりました。
爾来58年間、早稲田ゼミナールでは年毎に営々とこの行事を続けています。
以前書いたことのある「出陣式」にしても、この「節分・豆まき・合格たまご」にしても、「ずいぶんと時代がかかったことをやるなぁ」と思われる人も、中にはいるのではないでしょうか?
でも、私たちはそれでよいと思っています。
本物は本物として時代を超えて残ります。向学心に燃え、熱心に勉強する若者に対して、できる限りの援助をしたいという私たちの気持ちは、この先も変わることがありません。
その表れの一部としての「節分・豆まき・合格たまご」です。
今の若者には遠い昔の話しでしょう。
でも、貧しさの中でへこたれず、明日を夢見て今に全力を尽くすことで、日本人は今日の日本を築いてきました。先輩方のこの気持ちだけは忘れてはならない、私はそう思います。
そしてその思いを一番ストレートに感じることができるのが、自分の行きたい大学への入学のために全身全霊で勉強に打ち込んでいる、今も昔も変わらない「受験生」なのだということも私は確信しています。
そんな彼ら、彼女らを支援し、援助することが私に与えられた職務なのです。これはただの「職」の枠を超えた「神聖」な仕事ですらあると思います。
私が今の仕事を(つらいと思うことがないとは言えないにせよ)辞める気になれないのは、そんな理由からなのだと言ったら、格好つけすぎになるでしょうか・・・。
今の若者には遠い昔の話しでしょう。
でも、貧しさの中でへこたれず、明日を夢見て今に全力を尽くすことで、日本人は今日の日本を築いてきました。先輩方のこの気持ちだけは忘れてはならない、私はそう思います。
そしてその思いを一番ストレートに感じることができるのが、自分の行きたい大学への入学のために全身全霊で勉強に打ち込んでいる、今も昔も変わらない「受験生」なのだということも私は確信しています。
そんな彼ら、彼女らを支援し、援助することが私に与えられた職務なのです。これはただの「職」の枠を超えた「神聖」な仕事ですらあると思います。
私が今の仕事を(つらいと思うことがないとは言えないにせよ)辞める気になれないのは、そんな理由からなのだと言ったら、格好つけすぎになるでしょうか・・・。
2011年2月3日木曜日
医進塾コース説明
在校生の方にとっては当たり前のことですが、初めての方には医進塾のコース設定が少し分かりにくい点もあるようです。
詳しいコース説明は学校説明会(2/12から順次開催・定員10・完全予約制)ですることとして、ここでは簡単に各コースを説明させていただきます。
1.医進塾のコースは大きく分けて「医学部進学コース」と「獣医学部進学コース」とに分かれています。
※薬学部・歯学部を明記したコースは前期(4月-7月)には設定してありません。医学部・獣医学部に行けるだけの基礎的な勉強をしていれば、薬学部・歯学部には当然合格できるものと考えているからです。
※2学期になってから、薬学部用化学、歯学部用生物等を設けることがあります。人数が少ない場合は薬学部・歯学部入試の傾向と対策を「個別指導」で対応することもあります。
2.それぞれのコースには「レギュラーコース」「コンプリートコース」「パーフェクトコース」の三種類が用意されています。
①「レギュラーコース」は医進塾の全授業のうち、午前・午後の通常授業のみを受講するコースです。季節講習、季節合宿の参加費用、専有自習室ブースは含まれておりません。
ある程度の勉強は自分で出来ている人で、かつ、大手予備校の大人数授業や一方通行授業に満足できない人のためのコースです。
②「コンプリートコース」は医進塾全コースのうち、午前・午後の通常授業に加えて、夜の基礎クラスの受講が可能なコースです。また夜間時間帯に置かれている「セルフスタディ(プロ講師が質問対応に当たる自習時間)」を取る事ができます。季節講習受講料、専用自習室ブース使用料がすべて含まれています。
基礎から応用まですべてのレベルの授業を、一通り全部受けてみたいという人、これから受験科目を変更する可能性のある人、自分の決めたペースで勉強したいという人にぴったりのコースです。
③「パーフェクトコース」は、コンプリートコースに「個別指導」がついたコースです。80分×4コマの「パーフェクトA」と80分×2コマの「パーフェクトB」に分かれます。
「4コマ」(2コマ)は、必ずしも「4教科」(2教科)を取らねばならないというわけではなく、総コマ数の範囲で、苦手な教科に集中して(コマ数を)多く配分することができます。
学習の内容だけでなく、勉強の仕方そのものを、基礎からきちんと学びなおしたいという人にベストのコースです。
3.医進塾の授業料は「オールインワン」システムです。
各コース授業料には、通常授業、英語・数学SUP講座、全国模試、校内模試等がすべて含まれています。
例外として季節合宿(夏期・冬期)があります。
季節合宿は、例年8月末と12月末とに行われるもので、それぞれ一週間程度です。校内生は「特別料金」での参加が可能です。
###############
以上、概略を説明いたしました。
ご質問等は医進塾事務局までご連絡ください(03-3205-4308)。
詳しいコース説明は学校説明会(2/12から順次開催・定員10・完全予約制)ですることとして、ここでは簡単に各コースを説明させていただきます。
1.医進塾のコースは大きく分けて「医学部進学コース」と「獣医学部進学コース」とに分かれています。
※薬学部・歯学部を明記したコースは前期(4月-7月)には設定してありません。医学部・獣医学部に行けるだけの基礎的な勉強をしていれば、薬学部・歯学部には当然合格できるものと考えているからです。
※2学期になってから、薬学部用化学、歯学部用生物等を設けることがあります。人数が少ない場合は薬学部・歯学部入試の傾向と対策を「個別指導」で対応することもあります。
2.それぞれのコースには「レギュラーコース」「コンプリートコース」「パーフェクトコース」の三種類が用意されています。
①「レギュラーコース」は医進塾の全授業のうち、午前・午後の通常授業のみを受講するコースです。季節講習、季節合宿の参加費用、専有自習室ブースは含まれておりません。
ある程度の勉強は自分で出来ている人で、かつ、大手予備校の大人数授業や一方通行授業に満足できない人のためのコースです。
②「コンプリートコース」は医進塾全コースのうち、午前・午後の通常授業に加えて、夜の基礎クラスの受講が可能なコースです。また夜間時間帯に置かれている「セルフスタディ(プロ講師が質問対応に当たる自習時間)」を取る事ができます。季節講習受講料、専用自習室ブース使用料がすべて含まれています。
基礎から応用まですべてのレベルの授業を、一通り全部受けてみたいという人、これから受験科目を変更する可能性のある人、自分の決めたペースで勉強したいという人にぴったりのコースです。
③「パーフェクトコース」は、コンプリートコースに「個別指導」がついたコースです。80分×4コマの「パーフェクトA」と80分×2コマの「パーフェクトB」に分かれます。
「4コマ」(2コマ)は、必ずしも「4教科」(2教科)を取らねばならないというわけではなく、総コマ数の範囲で、苦手な教科に集中して(コマ数を)多く配分することができます。
学習の内容だけでなく、勉強の仕方そのものを、基礎からきちんと学びなおしたいという人にベストのコースです。
3.医進塾の授業料は「オールインワン」システムです。
各コース授業料には、通常授業、英語・数学SUP講座、全国模試、校内模試等がすべて含まれています。
例外として季節合宿(夏期・冬期)があります。
季節合宿は、例年8月末と12月末とに行われるもので、それぞれ一週間程度です。校内生は「特別料金」での参加が可能です。
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以上、概略を説明いたしました。
ご質問等は医進塾事務局までご連絡ください(03-3205-4308)。
医進塾周辺画像パート03
医進塾のある早稲田ゼミナールは、毎年大学入試の会場として貸し出されます。
JR高田馬場から歩いて3分という距離が好評を博しているからのようです。
JR高田馬場周辺というと「騒がしいのでは・・・」と心配されるかたもいますが、実際には驚くほど閑静な場所です。メインの通りである早稲田通りからはかなり離れており、敷地裏手は古くからの住宅街です。
さすがに表通りに面したいくつかの教室は各種の工事などで騒音に悩むこともありますが、医進の教室はすべて敷地奥の5号館にありますので、回りの音はほとんど聞こえてきません。
JR高田馬場から歩いて3分という距離が好評を博しているからのようです。
JR高田馬場周辺というと「騒がしいのでは・・・」と心配されるかたもいますが、実際には驚くほど閑静な場所です。メインの通りである早稲田通りからはかなり離れており、敷地裏手は古くからの住宅街です。
さすがに表通りに面したいくつかの教室は各種の工事などで騒音に悩むこともありますが、医進の教室はすべて敷地奥の5号館にありますので、回りの音はほとんど聞こえてきません。
駅から早稲田通りを戸塚第二小学校のところであがってくる道です。 ゆるい上り坂になっています。 |
校舎3階から見た早稲田方面です。 手前はお隣のマンションの屋上です。 |
エントランスを事務室側から見ます。 |
ごちゃごしゃしていますが(笑)、受付正面です。 |
〇たくさんの方が今まで早稲田ゼミナール・医進塾を訪れてくれました。その方々にとって高田馬場のこの地がよい思い出の場になるよう、心から祈っています。
2011年2月2日水曜日
医進塾周辺画像パート02
2011年2月1日火曜日
2次試験対策面接練習
2次試験対策の面接練習が始まりました。
今までCP(コミュニケーションプログラム)の一環としてさまざまな機会に行ってきたものを総合的にまとめる練習です。
きちんとしたプレゼンができれば面接は決して怖くありません。
覚えておかねばならない大事なことは「面接は自分の言いたいことだけを言う機会ではない」ということ、「過去問の暗記は百害あって一利なし」だということです。
もちろん過去にどのような質問がされたかを知ることは大事なことです。でもそれに縛られるほど危険なことはありません。
いつどこで、どのような聞き方をされても、終始一貫した内容を、相手が理解したいと思っている方向に乗せて話せる力が「面接力」です。
今までCP(コミュニケーションプログラム)の一環としてさまざまな機会に行ってきたものを総合的にまとめる練習です。
きちんとしたプレゼンができれば面接は決して怖くありません。
覚えておかねばならない大事なことは「面接は自分の言いたいことだけを言う機会ではない」ということ、「過去問の暗記は百害あって一利なし」だということです。
もちろん過去にどのような質問がされたかを知ることは大事なことです。でもそれに縛られるほど危険なことはありません。
いつどこで、どのような聞き方をされても、終始一貫した内容を、相手が理解したいと思っている方向に乗せて話せる力が「面接力」です。
1,2学期に実施したCP(communication program)を基にした面接練習です。 過去問を研究するだけでなく、どのような聞き方に対してもきちんとした受け答えができるように練習します。 |
ロールプレーイングで面接官の役割を取ります。 聞かれている受験生の気持ちと同様に、聞いている側の気持ちも理解できるようになります。 |
面接練習終了後の記念写真。 2次試験本番でもこうなるといいですね(笑)。 |
医進塾周辺画像
これから4月入学説明会その他で、たくさんの方が医進塾を訪れてくれるようになります。
昨年開講した「現役医進塾」にもお問い合わせをかなりの量でいただいています。
在校塾生にとっては見慣れた光景だと思いますが、初めての方のために、医進塾周辺を画像で説明させていただきます。
「医進塾」は学校法人湖南学園の一部門です。 文系予備校「早稲田ゼミナール」の正面。 「医進塾」はこの建物の奥の5号館にあります。 |
正面受付 銅像は初代理事長の小山敬吾先生。 早稲田ゼミナールはもうすぐ創立60周年を迎えます。 |
正面受付右側の通路を通って奥に向かいます。 |
正面の建物を抜けると「くすのき広場」。 右側が医進塾への入り口。 |
入り口を入ったところ。 |
通路突き当たりが医進塾です。 右側が教室セクションへの入り口。 左側ドアが事務局(私のいるところ)です。 |
医進塾からいま通ってきた通路を見ているところ。 左側手前が自習室入り口になります。 |
教室セクションへの通路。 左手前に塾生のタイムカードラックがあります。 |
入り口を入ったところ。ロッカースペースです。 ちょっと見にくいのですが、右側机上に給湯ポットが置かれています。 先生方がよく差し入れのお菓子をここにおいてくれます。 |
教室セクションの真ん中にある講師室。 いつもは生徒たちの質問でにぎわうところ。 |
入り口左側の事務局。私のいる部屋(笑)。 いつもはもっと乱雑で、ある生徒から「ゴミ箱みたいですね」(笑)といわれたこともあります(汗)。 これから順番にいろいろな画像を載せて行きます。人のいるときは撮りにくいのでどうしても人影がない、がらんとした絵柄になってしまいますが、できるだけ人も撮るようにしましょう(笑)。 |
今日から2月
昨日で1月が終了しました。
昨年12月末の合宿以来、本当にあっという間の一ヶ月でした。
一日が短いと感じるのは、生活の密度が濃いからです。
勉強した分の力は間違いなくついているはずですが、その力が顕在化するにはう少し待たねばなりません。それが「焦り」につながることが多いのです。
医進塾の塾生が、本当の意味のチームワークを発揮するのも、これからです。周りに仲間がいないときにこそ、本当の仲間意識が必要だからです。
昨日に引き続き、自習室の画像です。
ある塾生の机においてあるオブジェ?です。 いつも「ちゃんと勉強しているか?」とにらまれているようで、勉強がはかどるのだそうです(笑)。 どこまで本当なんだか・・・(笑)。 「ブログに載せるよ」と言ったら「特大でお願いします」とのことでした(笑)。 |
医進で一番の物持ち?S田君のブース |
・・・笑 |
たまたまいた4人にモデルになってもらいました。 もうこの仲間ともお別れの時期が近づいてきています。 1年という期間の短さを感じます。 ここまでついて来てくれた塾生の熱意とに心から感謝します。 |
全員が第一志望に合格できるよう、心から願っています。
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