2012年7月26日木曜日

「失敗」ということ。

私が高校に入ったころ,私は「英文法」がとても苦手でした。中学校のころから「英語は覚えるもの」というような勉強をしてきたので,英語について「考える」ことに慣れていなかったのです。

中学校の時にはそれでよかったのですが,高校に入るとさすがにそれでは通用しないことを思い知らされました。何より

「難しい文章が読めない」

のです。

中学校のときの教科書は,難しいと言っても

「高が知れて」

いるものです。せいぜい

「Jack と Mary が散歩に行ったら,公園に犬を連れたおじいさんとおばあさんがいて,話をした」

というようなレベルですから,単語さえ理解できれば内容で困ることはありません。

高校に入ると,たとえば高3の教科書には哲学者のバートランド・ラッセルの文章がそのまま載っていたりして,中学校とは

「レベルが違う」

ことを思い知らされたものでした。(私の入った高校はとても変わっていて,1年生の最初に3年分の全ての教科書をくれたのです。途中で文部省の指導要領が変わったらどうするつもりだったのだろうと,今にして不思議になります・笑)

高3でそれですから,高2,高1といえども決してバカにできない英文が載っていました。それらの難しい文章を

「読み解く」

ためには,何をおいてもまず正確な

「文章解析力」

がなければなりません。そしてそれは100%「文法力」と同義だったのです。

英語は一応得意科目でしたから,余り回りに差をつけらえるのは面白くありません。かといって勉強の仕方も(英文法に関しては)あまり良く分かりません。

いろいろと考えた結果,私は比較的薄い英文法の参考書兼問題集を先生から紹介してもらい,そこに書かれている英文をそのまま

「覚える」

勉強をすることにしました。

今それを考えると,なんとまぁ悠長なことをしたものだと,笑いたくなります。

薄い参考書兼問題集ではありましたが,英文の数(問題も含みます)は2000くらいはあったように覚えています。それを最初から覚えこもうとしたのでした。

毎日々々,多い日は一日40くらいの英語の文章を覚えようとしました。声に出して書いて,日本語を見てもう一度書いて,それを声に出して・・・。あの当時は英語しかやっていなかったように覚えています。

でもその結果は・・・英文法に関しては

「失敗」

でした。

英文法が

「理解できた!」

という気には結局ならなかったし,試験の点数も目に見えて上がることはありませんでした。

「考える科目」である英文法に対して「考えずに覚える」方法で立ち向かったのですから,成功するはずはないのです(笑)。私が英文法の壁を乗り越えるまでには,全く別の勉強方法に切り替えた,その後の7ヶ月の勉強が必要となりました。

では,私のその英文法の勉強法は

「間違い」

だったのでしょうか。

「決してそうではない」

と,私は自信を持って言えます。

確かに英文法の勉強としてやったことが,英文法の点数の向上をもたらさなかったのですから,その点から見ると「失敗」といわれるかもしれません。でも私の心の中は,なかなかに

「豊かなもの」

だったのです。

まず,一定数の英文がそのまま頭に入っていることで,英文を読むスピードが格段に早くなりました。英語を「英語のまま」理解することができるようになり,「英語で分かった後に,それを改めて日本語に落とし込む」ことが普通になったのです。

また基本的な英文が自分の自由に使えることで,「英作文」(当時は「英文読解」「英文法」「英作文」が明確に分かれており,だれもそれを疑問に思いませんでした)に全く違和感がなくなりました。英作文に違和感がないということは,英語を勉強するものにとって大変な自信となるものです。

難しい英文を読むときにも,一応の意味がおぼろげながらも分かっている英文を解析するのと,全く理解できない文章を「暗号解読」のように分析するのとでは,理解の深まりとかかる時間に雲泥の差が出てきます。

そう思うと,私の「英文法」の当初の勉強方法は,必ずしも「間違い・失敗」だったとは言えず,むしろそれから後の私の英語の勉強に,大きな弾みをつけてくれたのだともいえるものとなったのでした。

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「失敗」と「成功」の差とは,そもそも

「何だろう・・・」

と私は自分の体験を振返り,改めて考えます。

確かに私の最初の勉強方は,直接「英文法」の得点を上げるものにはなりませんでした。そう思うとそれは「失敗」なのかもしれません。でも『そう考えなければ良いだけ』なのではないか,とも言えると思います。

途中で何が起こるかわからないのが勉強というものです。

一つの「試み」として,ある勉強法をとってみて,ダメなら直ぐに方向転換をするのもよいでしょう。でもそれだけではなく,自分に合った勉強法ならば(私の場合,英文を覚えるということに抵抗はありませんでした)とことんまでやってみることで,また新しい方向が見えてくることもあるのではないでしょうか。

簡単に「成功」「失敗」と分けてしまうこと自体,あまりよいことではなさそうです。

そこから自分が何を学ぶか,それが一番大事なことです。外見的にうまく行ったことであっても,そういう視点からみれば「失敗」もあると思います。

私の経験のように,最初は「失敗」と思われることが,最終的には成功への近道になるということもあるようです。

どんなことからでも

「学べる!」

これが人間の勉強の

「すごいところ」(笑)

のように思えてなりません。