2012年1月31日火曜日

明日から獣医学部入試5日連続!

明日から5日間、私立獣医学部の5連続試験です。先ほどまで自習室まえで獣医学部コースの女の子たちが明日に備えて「語って」いました(笑)。

そばには明日の医学部を受験するS木さんや、現役生のO江さんがいて、本当に今が、

「受験真っ最中」

なのだなぁと改めて感じました。

こういう時、友達の大事さがしみじみとわかります。医進の仲間は競争相手でもあり、一緒に今まで走ってきた

『仲間』

です。

受験するのは

「一人だが、一人ぼっちではない」

このことだと思います。

明日の朝も寒いようです。
ホカロンを今日のうちに買って、ちゃんと明日に備えておきましょう。

2月9日以降が、獣医学部の発表日です。

そのころには医学部も大体の結果は出ているころです。

これから2週間が山場のようですね。

皆が、合否を必要以上に意識せず、

「よい戦い」

をしてくれることを期待しています。

集中力の大事さ!

私は格闘技以外のスポーツにはほとんど興味がありません。興味がないというとやっている人に失礼かもしれませんね(笑)。「出来ないから見てもよくわからない」というのが本当のところだろうと思います。

自宅にテレビがないからかもしれないのですが、野球も見ませんし、サッカーもよくわかりませんから見ないし、ラグビーやアメリカンフットボールに至っては、どうすれば点数が入るのかもわからない、要するに「運動音痴」なのだと思います(苦笑)。

そんな私ですが、今朝の新聞のニュースには驚きました。全豪テニストーナメントで、ジョコビッチ選手とナダル選手が戦った決勝戦のことです。

テニスの試合そのものについてではありませんし、どちらが勝ったかということでもありません。私が驚愕したのは、

「29日の午後8時前に始まった試合は、4大大会(グランドスラム)史上最長となる5時間53分にも及び、試合終了時には30日の午前1時40分を回っていた」

という部分でした。

5時間53分の試合時間!!

これは私の理解を超えています!

空手の試合はせいぜい2分(伝統空手の場合)。ちょっとした大会でも5試合やれば大体「優勝」ですので、試合時間は合計で10分。延長を加えても、まぁ大体長くて15分から20分というところでしょうか。

それでも終わったときには疲労困憊で、まともに立てないくらいになります。15分でそうなのですから、5時間53分、つまり約6時間の試合など、考えることもできません。

空手とテニスとの違いはあったにせよ、テニスの場合は向こうから飛んでくるテニスボールを打ち返すわけですので、その間の緊張感は決してどちらが上ということにはならないのではないでしょうか。

6時間の試合の間、両選手が疲れを感じなかったといえば嘘になるでしょう。おそらく両方とも終わったときには大変な疲労感が襲ってきたに違いないと思います。

それが試合のときに出なかったとすれば、おそらくそれは

「緊張感」

のなせる業だといえるのではないでしょうか。

「プロだから当たり前」

とはいえない、まさに超人的な緊張感の維持だったと思うのです。

この1年、塾生からよく聞いた言葉に、

「疲れてしまって、緊張感が続きませんでした」

というのがありました。

そうだろうなぁとは思いつつも、もしかしたらこれは逆ではないか、と思わないこともありません。

「緊張感が続かないから、疲労を感じるのだ」

というふうにも考えられるからです。

そこまで持ってゆくのは至難の技かもしれませんが、

「勉強のプロ」

である医進塾の塾生に、できないわけはありません。

今試験を受けている人、これから受ける人、皆に言いたいことです。

「最後まで緊張感を持って試験を終わらせよう!!」

テニスの試合についての記事から、こんなことを考えた次第です。

1年の終わり・・・。

本日1月31日で、医進11の一年間の授業が、すべて終了します。午前中に理科と英語のSSが置かれ、これが最終回です。

明日、2月に入ると、午前中には医学部・獣医学部のⅡ期試験を対象にした個別指導を中心とする「SC」(Study Check)が始まります。2期まで残る人は毎年それほど多くはないので、あとは次第に閑散としてくる自習室や教室に、医進12の生徒が来るのを待つ日々になります。

昨年の今頃、早い人は2月上旬から、遅い人でも3月末には「医進11」の仲間になりました。それから1年が過ぎようとしています。

この一年を振り返ってみて、塾生はどんなことを感じているのでしょう。始まったばかりの授業、夏期講習、夏期合宿、2学期の演習授業、冬期講習、そして冬期合宿、正月特訓、それらの合間に行われた単語暗記講座、計算力特訓講座、など。

授業の合間、tea-breakに友達といろいろなことを語った思い出、合宿の最後の打ち上げの楽しかったこと、正月特訓の厳しさ・・・。

思い出はきりがないほど続くことでしょう。通常授業だけでなく、個別指導の先生方にしごかれたことが大切な思い出になっている人もいるはずです。毎時間怒鳴られ続けたけれど、最後までめげなかったT尾くんの姿が私の頭にも浮かびます(笑)。

それらの授業と大事な仲間、講師の先生方とのふれあい、それらが凝縮した1年でしたね。

その結果を胸に、堂々と試験を受け、結果を受け止めましょう。精一杯やった結果であるならば、合格であれ、不合格であれ、恥じることなく自分のものとすればよいのです。

3月31日に予定されている「医進11解散式」で、4月からの1年を自分がどのように過ごすか、友人の前でプレゼンをします(笑)。各自が自分の4月からの1年をはっきりと宣言する、医進11の最後のチャンスとなります。

それにしても、昨年の今頃、医進10を送り出し、医進11を迎えたとおもったら、もう医進12のメンバーと向かい合う時期となりました。

時の過ぎ去る速さに驚くとともに、だからこそムダにはできない時間をこのようにすばらしい生徒たちと共有できたことを、私は心からうれしく、誇りに思っています。

2012年1月30日月曜日

感度を上げる。

入試期間真っ最中です。今週末で医学部入試が一段落し、平行して獣医学部入試が目白押しになります。

医進の授業はSSを中心にずっと行われています。今日は午前中に「数学SS」が組まれており、先生方が待機することになります。過去問の演習を中心に、質問の内容によって集団(といっても生徒は数名を対象にするものですが)の授業に切り替えます。

「個別質問対応⇒範囲を限定しての授業⇒課題を指定して演習⇒再度個別質問対応」が、この時期は特に効率が良いようで、生徒もみな喜んでいるようです。

先週土曜日28日の午後、ある生徒と何気ない話を教室でしました。

Aさん「来週第一志望の試験です。困ってます」

外山「何を困っているの?」

Aさん「試験直前に、何をやったらよいのかわからないんです。難しい問題をやって自信をなくすのはいやだし、かといって易しい問題ばかりやったのでは自信がつかないし・・・」

外山「いままでやってきたことを復習するということだけでいいんじゃないのかな」

Aさん「一度やった問題が解けても、うれしくないんです。」

外山「うれしくない・・・」

Aさん「はい、それってできてあたりまえじゃないですか、一度やってあるんだから」

外山「できることはできるんだよね。じゃやっぱりうれしいんじゃないのかな」

Aさん「でも一度出題された問題(過去問)は、結局二度と出題されない問題っていうことですよね。意味ないんじゃないですか、出ないものをやったって」

外山「そうなんだけれどね、でも予想問題(初見の問題)ができなかったら自信をなくすんでしょ(笑)」

Aさん「そうなんです、そうなんです。だから困っているんです、何をやったらよいのかわからなくて・・・」

・・・さて、いかがですか(笑)。皆さんならこのAさんにどのようなアドバイスをあげるでしょう。

Aさんは完全な

「受験病」

です。

「受験勉強は『こうでなければならない』という「決まった型」があり、それに合わない限り「自信」を持ってはならない」

と思いこんでいるのです。

確かに受験勉強には、「範囲」も「上限」も、またあえていえば「下限」もある、勉強です。やることは決まっています。それをどれだけの時間でどれだけ効率・能率よく頭に入れるかという競争が「受験勉強」というものの本質だと言ってよいでしょう(ですから受験勉強は大学入試に限らず、いわゆる資格試験と呼ばれているものの勉強には全部当てはまるものなのです)。

Aさんにいまこの時点で必要なことは、

「心の感度を上げること」

なのです。

「一度やった問題なのだから、できてもうれしくない」

これが「受験病の典型的な症状です。問題が解けてうれしくないはずはありません。Aさんはその「うれしさ」を、無理に感じないように自分を持っていっているだけなのです。

もちろん、1回目に1時間かかった問題を解くのに2回目も同じ時間かけたとしたら、それはうれしくないでしょう。

だから2回目には「負荷」をかけます。前回の三分の二の時間でやってみる、またその次はその半分の時間でやってみる、というふうに、自分に負荷をかけて問題を

「解き込む」

ことが大事なのです。

そうすることによって、前回は気がつかなかった「自分の弱点」が自然に見えてきます。「解けた」ことに満足するのではなく、「より上手に解く」「より早く解く」「より応用が利くように解く」ということを繰り返すことによって、過去問演習は本当に意味のあるものになります。

そのような解き方をいろいろ

「意識してやる」

ことに、感動がないはずがありません。

問題を見て、見慣れているようなタイプのものであれば、あえて時間を最短に切ってやってみる、できれば感動でしょうし、できなくても、そこまでの負荷が自分には重すぎたのだ、時間さえあればできたのだから、という気持ちを持てる、このような「クリエイティブ」な勉強の仕方にたどり着いて初めて、試験勉強の

「醍醐味」

が味わえるのだと思います。

そのためにも、Aさんのように心を「鈍麻」させてはなりません。今まで以上にこころの

「感度を上げる」

ことで、勉強にも新しい側面が見えてくるのです。

よく

「現役生は試験の前日まで、やったことが力になるが、既卒生・浪人生にはそれがない」

といわれるのは、このことなのです。

ここさえ理解していてくれれば、既卒生・現役生の区別無く、試験の前日・当日の朝まで

「実力のつく」

勉強ができるのです。

医進塾の全員が、今までの試験の合否にかかわり無く

「こころの感度を上げる」

ことに真剣になり、この時期を乗り切ってもらいたいものだと私は考えています。

先ほどのAさんには、以上のことを、わかるように説明し、納得してもらいました(笑)。

2012年1月28日土曜日

医学部の2次試験

現在私立医学部入試が順次行われており、平行して合格発表も出始めました。医学部の場合1次試験合格は「最終合格」の前の一段階に過ぎないので、結果は2次発表まで待たねばなりません。

本来2次試験は、1次試験(学力テスト)を通過した受験生の『人物、人柄、ものの考え方』などを確認する試験のはずです。1次試験では見られない側面を見るのが、この2次試験(面接・小論文)のはずなのです。

人物評価は、学力試験ほどには差が出ないのが普通です。明確な基準がおきにくいからです。当然1次試験よりは競争倍率などが低くなる傾向があり、大学によっては1次試験の「10数倍」が、2次試験では「数倍」にまで落ちます。

だからと言って2次試験が簡単かというと、

「とんでもない!」

学力考査で一回は選抜を受けてきた人たちの、改めての「競争」となるわけで、決して気を抜けません。今まででも何人もの医進の生徒が2次試験で苦杯をなめてきています。

1学期からずっとC/Pで自分の意見や考えの伝え方を学んできた塾生たちではありますが、改めて2次試験が目前に迫ると、緊張もします。複数の大学を受ける人は、くれぐれも受験大学の混乱をしないようにしなければなりません(自分の受けている大学とは違う大学の医学部のことを2次試験で話してしまったという、落語のような話が実際にありました)。

自分の感情のコントロールということも大切です。数年前1次試験をかなりの高得点で通過したはずの人が、2次試験で質問に答えられずに泣き出してしまったことがありました(結果は不合格でした)。わからないはわからないでよい、大事なことはそこからどのようにリスタートするかということだ、ということを、その人は忘れてしまったのでしょう。

後から言えば「あ、そうだった」と思い出すことでも、面接の場ではなかなか思い出しにくい面もあるように思います。それを可能にするのが、

「練習の量」

というものなのです。

さまざまな医療問題を抱えている現在の医学界においては、何よりも精神的に安定した、向学心の強い、タフな人材が求められています。2次試験を通じて、それに値するようなメンタリティを形成してもらえることを望んでいます。

2012年1月26日木曜日

電波障害で思うこと

昨日はほぼ半日に亙って携帯電話の電波障害が生じていたそうです。医進の事務室からU先生に連絡と取ろうとしても、どうしてもつながらず、つながっても突然切れたりノイズがひどかったり、混線して話ができなかったりと、散々でした。

「一体U先生はどこにいるのかな」

と心配していたところ、夜になって大規模な電波障害があったことが判明した次第です。

わかってしまえば「な~んだ」の世界ですが、改めて考えてみて、ちょっと恐ろしくなりました。大規模電波障害に大規模自然災害が重ならないという保証が何一つないからです。

「杞憂」という言葉に象徴されているような、なんら根拠の無い心配や不安は、確かにいらないものでしょう。でも現代の社会においては、「杞憂だよ」と笑う前に、まずは、

Anything is possible in this modern world.
「現代社会では起こりえないことはない」


と考えてみるほうが良さそうです。特に9.11の同時多発テロ、オウム真理教のサリン事件以後は、何をおいても、

「危機管理」

といわれている通りです。

危機管理の本質は前述のAnything is possible in this modern world.を徹底することに尽きます。そのために一番大事なことは、正しい根拠に基づいた

「想像力」

です。

この場合の「根拠」とは、いわゆる「物的証拠」や「科学的統計」だけでなく、人間の本質への洞察も含みます。

「凶悪犯罪を犯した犯人が人間である以上、自分も同じ状況に置かれたら同じことをするかもしれない」

という可能性への直視がそれにあたります。

直視を唯一可能にするのが、

「冷静さ」

です。パニックに陥った頭では自体を正確に把握できないからです。

・・・と、ここまで書いてきて思うのですが、今書いた「危機管理に必要とされること」は、勉強に必要とされることとほぼ同じではないでしょうか。

目の前に置かれた解決の対象とされるものが、実際の社会の事件か、たとえば数学の問題か、の違いしかないのでは、とも思います。

未知の問題を冷静に読み解いてゆく作業は、まさに実際の社会での「危機管理」のプロセスと通じるものがあるようです。

そう思うと医進での勉強も、より大きな可能性へ向けての訓練だということができるかもしれませんね。

2012年1月25日水曜日

2月からの授業予定

1月31日で「直前講座」は終了します。2月からは主として新高3生,新卒生のための「ゼロ学期」と,既卒生のための「数学SC」「英語SC」が午前中に置かれます。

今年度「SS」(Self-Study)としたクラスは,2012年度から「SC」(Study-Check)という呼称となります。

同時に,今まで「自由質問時間」としておいてあった「SS」の時間が,2012年度からは,全員が必ずその時間中に1度は担当の先生のところに行き,自分の勉強の進度をチェックしてもらうための時間となります。

変更のある可能性もありますので,その場合は別途お知らせいたします。

2月から4月当初までの「授業予定」を,『塾生専用ページ』に掲載しました。これからの勉強計画の参考にしてください。

人のこころが決められないもの

今日も医学部の入試が続いています。発表もそろそろですね。
結果がどうなるか、ドキドキしながら待っています(笑)。

私はいままでこのブログで「すべてはひとのこころが決める」ということを書いてきました。私たちの周りにあるものの99%が、その存在に先立って「ひとのこころ」があったということも指摘した通りです。いま私は自分のオフィスの机に座ってこの文章を書いています。目の前にあるもので、「ひとのこころ」によらずにできたものは、何一つありません。

パソコンも、デスクライトも、座っている椅子も机も、キーボードも、コーヒーカップも、あるいはその中身のコーヒーも、暖房も、応接セットとその上の加湿器も、これらはすべてこの世に存在する前に「ひとのこころ」があったのです。人がそういうものを欲しいと思わなければ、そもそも存在しなかったものなのです。

でもこの世の中に「ひとのこころ」に因らないものがひとつだけあります。それは

『生命(いのち)』

です。

人間や動物、植物のすべてに共通する『生命(いのち)』だけは、私たちの心では作り出すことができません。

世の中には「唯物論者」という種類の人がいて、この世の中のすべてのものは「科学」で説明がつくし、また説明しなければならないという主張をします。

さすがに最近はあまりにいろいろなことが起こりすぎて、素朴な唯物論を説く人は少なくなっているようです。それでも形を変えた唯物論者は私たちの周りにたくさんいます。

以前そのようなタイプの方(ある研究所で細胞の研究をしている人でした)と話をする機会がありました。その方の「純粋唯物論」的なものの考え方があまりに極端(この世のすべてのことは科学の理論と法則で説明がつく)だったので、私は半ばふざけて次のように聞きました。

「わかりました。では『生命の生成と存在』について説明してください」

その方はしばらくうなって、最後にこのように答えてくれました。

「まだ今の科学ではそこまでのことを説明することはできないが、科学がもっと発展すれば必ずできるようになる」

このような議論を一般的には

「詭弁」

といいます(笑)。

科学が発達すれば「生命の『現象』」がどのようなものであるかということは説明がつくかもしれません。でもそれがなぜ「今」「ここに」存在するようになったのかということは、「記述(説明)」を前提とする『科学』一般では答えることができないのです。

「生命」について微細に説明・解説することと、「生命」を作りだすこととは根本的に範疇の違う事柄だということに、先ほどの研究者が気づいていれば、自分の説明できる範囲でならば解説可能だと答えたでしょう。

でもそう答えるとそれは「科学ですべてが説明できる」という彼自身の前提と矛盾することになってしまいます。

ひとのこころが決められない唯一のもの、

『生命(いのち)』

に直接かかわる仕事につこうとしている医進塾の塾生たちに、私が倫理的に非常に高いものを要求しているのには、こんな理由があるのです。

2012年1月24日火曜日

新入生募集について

先週末から、医進への入学を希望する方からの問い合わせが増えてきております。中には「このブログを読んで、興味をもったので」という方もおり、ありがたいやら、恐縮するやら、いろいろと大変です(笑)。

人間関係はすべて「縁」でできていると考えれば、それも実は大変に得がたい機会だということでもあり、順次お目にかかってお話をさせていただく準備を整えているところです。

医進塾は、他の医系予備校にはないさまざまな特徴を備えています。それらは目に見える部分もあれば、目に見えない部分もありますが、やはり直接お話をさせていただき、入学を希望されているご本人とface-to-faceでコミュニケーションをとってからでないと、「お金を払っていただければ誰でもどうぞ」というわけには行きません。それは双方にとって「不幸せ」な状態を作ることがあるからです。

もしかしたら、新年度の入学を考えている方が、今日のこの記事を読まれているかもしれません。医進塾への入学・入塾について気をつけていただく点を書いてみたいと思います。

1.学校説明会・入塾説明会は2月中ごろから順次開催いたします。

医学部・獣医学部の一般入試が一段落した段階から開催して行きます。2月18日(土)が初回です。

なお医進塾の場合、集団説明会と言っても参加定員は7~8名です。定員になり次第締め切らせていただきますので、ご希望の方はお早めに医進塾事務局(03-3205-4308)までご連絡いただき、空席状況をご確認ください。

2.2月18日以前に説明をご希望の方には、個別面談形式で承っています。

直接医進塾事務局(03-3205-4308)までご連絡ください。

3.説明会は、全体会、個別面談を問わず『保護者同伴』です。

医進塾では、朝の8時過ぎから夜の9時過ぎまで、ほぼまる一日塾生をお預かりします。塾生にとってはご家庭でご両親と過ごす時間よりも長い時間を、医進塾で過ごすわけです。そのために、お預かりする私たちにとっても、保護者の方と直接お話をさせていただくことが何よりも大事なことになります。

時間の都合がつかない場合は、保護者とご本人様の面接は、それぞれ別の時間で結構です。事務局とご相談ください。

また、いったん社会に出られてお仕事をされてから再受験を考えている方のように、勉強のインフラの部分(住居や学費、食費など)をご自分で負担される方の場合は、保護者面談は特に必要ではありません。

4.面接においでになった方にはさまざまな特典があります。

2月上旬から始まる『ゼロ学期』の受講が優待受講料で受けられます。また3月中旬に開講予定の『春期講習』にも優待受講料での受講が可能です。

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医進塾は広告や広報などに費用をかけるより、実際の授業や学習環境などを充実させてゆきたいという趣旨で、あまり積極的な宣伝活動をしておりません。

その分、数ある学校の中から医進塾を選んでおいでいただく方とは、時間をゆっくりとってお話させていただきたく思っております。

結果として医進塾への入学を選ばれなかった方にも、「入学はしなかったけれど、説明会には行ってよかったね」と言っていただけるような内容のものを用意したいと考えております。

医進塾事務室(03-3205-4308)へのご連絡をお待ちしております。

2012年1月23日月曜日

ちょっと付け加え・・・

先ほどの「ちょっとよい話」への、蛇足的付け加えです。

「彼女はポロポロと泣き崩れたまま
レジを打つことができませんでした
仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと
初めて気づきました
すでに彼女は昔の自分ではなくなっていたのです」

の部分に関してです。

『仕事というのはこれほどすばらしいものなのだ』

ここは

『仕事というのは、これほどすばらしいものにできるのだ』

と言い換えたほうがよいと思います。

どんな仕事でも、最初は決して楽しくないのです。最初から、

「楽しくて、楽しくてしょうがない」

という仕事も、無いとはいいませんが、例外です。また最初は「楽しくて」しかたない仕事も、最初の楽しさなどは長続きしません。すぐに

「飽きて嫌になる」

のが本当のところだと思います。

どんな仕事でも最初は大変なのです。

最初大変な仕事であっても、それをする人間の「こころの持ち方一つ」で

「苦しいが、やりがいのある」

ものになるのでしょう。

「やりがいがある」からこそ、その結果として

「楽しいもの」

になるのではないでしょうか。

そこに至るまでには、必ずかなりの年月の

「修行」

が必要なのだと思います。

私は池波正太郎の作品が好きなのですが、彼の文体の特徴に副詞の使い方があります。

「一生懸命働く」

のではなく、

「一生懸命、働き抜く」

のです。

とてもよく感じが出ているのではないでしょうか。

前回の話の主人公の女性は、レジのキー打ちにピアノの練習を思い重ねて、「働き抜く」ことを知り、その結果それ以外のことができるようになった、そしてそのことが彼女の一生を変えていったのだということなのではないでしょうか。

英語の教師としてはたいしたこともない私ですが、それでも最初の高校のS学園での体験(1週25時間の授業と10時間の放課後補講、それに土日の勉強合宿を月に3回)がなければ、今程度にもなれなかったに違いありません。朝の6時半から夜の11時まで学校におり、『泊まっていったほうがはやいんじゃないか』と校長から何度言われたことか・・・(笑)。

英語に限らず、何かを自分が学び、それをよりわかりやすい形で生徒の前に提示することのすばらしさを知ったのは、そんな体験があったからです。

最近は就職難ということもあり、ちょっとばかり他人より英語ができる人が英語教師の職を求めてくることが多いようです。

でも教職を本当にやりがいのあるものにするためには、単なる教科指導以上にしなければならないことが山積しているのだということは、知っておいてよいことでしょう。

そしてそれは英語教師に限らず、医師、獣医師にとっても言えることなのではないか、と思うのですが・・・。