昨日、このブログのPVが90000を超えました。
今まで何度か書きましたが、このようなマイナーなブログを、累計とは言え合計で90000人もの方に見ていただいたことに、心から感謝申し上げます。
このブログは純粋に医進塾の生徒の日々をそのままお伝えしたいと思って始まったものです。そのうちに私の「日記」風駄文記載場になってしまいました(汗)。これは真っ先に反省しなければならない部分だと思っております。
PV数が増えることに、単純にうれしさを感じていた時期もありましたが、最近ではむしろ「怖さ」を覚えることもあります。
「誰に読まれているかわからない」というSNS特有の怖さではなく、「自分が読むに値するものを書いているのかどうか」という自分に対する「怖さ」です。
こんなに多くの方に目を通していただき、場合によれば直接メールをいただいたりFBにMSGが入っていたりする現在のこの状況は、私にとって
「本当に幸せ」
な状況です。
でも同時にそれらの方々に
「馬鹿にされないような文章を書かねば」
と思うと、
「さて今日はどんなことを書こうか」
と思い悩むこともあります。
私はもともとそれほど突き詰めて考えるタイプの人間ではなく、最後は、
「ま、いっか」(笑)
と、開き直ってしまう性格特性を持っているようです。
常に前向きに、クローズド・エンドではなく、オープンエンドで物を考えてゆくこと、理論的に突き詰めて結論を出すのではなく、別の解答の可能性をいつも心のどこかにおいておくこと、それが「ま、いっか」の文章の特徴でもあるのかもしれません。
私の文章の深みに「限界」があるとすればそこでしょうし、またわずかながらも『とりえ』があるとすれば、同じくそこだろうと思います。
これからも医進塾の塾生の日々の生活を描写しつつ、折々に心に浮かぶ事柄を書き続けてゆければと願っています。
どうぞこれからもお付き合いをよろしくお願いいたします。
毎回繰り返すことで恐縮ですが、このブログには直接コメント等がつけられないような設定となっています。ご意見、ご感想などがありましたら、私のアドレスまで直接お願いいたします。
⇒ megumi.toyama@gmail.com
※このブログは私のFaceBookと連動しています。こちらのブログにはできるだけオフィシャルな記事を、FBには個人的な感想を書くようにしていますが、その差はそれほど明確なものではありません。この曖昧さをむしろ「ゆとりと余裕」としてご理解いただきますよう、合わせてお願いいたします。
2012年8月10日金曜日
2012年8月9日木曜日
致知の記事again
前回と同じ,雑誌『致知』の記事からです。
私のつまらない感想などはいらないと思います。
################
渕上貴美子(杉並学院中学高等学校合唱部指揮者)さんに、20年間の合唱指導の中で、
特に忘れられない出来事をお聞かせいただきました。
7年前、小児科の末期がん患者の病棟に演奏をしに行った時のことです。
学校のある卒業生の方から
「病院にいる子供たちに、あなたたちの天使の歌声を
聴かせてあげてもらえないか」
とお話があり、私も「ぜひ」と言って 受けさせていただいたんです。
病院には全員ブレザーを着ていったのですが、
黒っぽい服では威圧感があるからと、その場で上着を脱がされて、
全身に消毒液をかけられました。
寒い時期だったんですが、扉を開けると、物凄く暑くて、
狭い部屋だったんです。
目の前には、本当にこの子がもうがんなんだろうか、
と思うような赤ちゃんから、
放射線で髪の毛がぼさぼさになってしまっている子、
頬全体が陥没して顔が半分ない子だとか、
もうそれは、見ただけでも体に震えがくるような
ひどい状態の子たちがたくさん……。
その子たちの前で、私たちは部屋の隅っこのほうに
へばり付くように立ちました。
敷かれたホットカーペットの上には、
お母さん方も座っていたり、
廊下にはドクターや看護師さんの姿も見えました。
私は壁の一番端に行って、指揮棒を振ったんですが、
もう涙が止まらなくて、本当に……。
私の目の前で、お母さんが乳飲み子をギューッと抱えながら、
涙をポロポロ零すんですよね。
あぁ、自分の子はこんなに
大きくまで育つことができないんだ、とか、
いろいろ思われたんじゃないかと思うんですが、
看護師さんもドクターも皆泣いていらして、
泣いていなかったのは、当のがんの子供たちだけで。
私も我慢しなくちゃ、と思うんですが、
もう悲しくて悲しくて、
生徒たちも涙をポロポロ零しながら、
でも必死に笑顔をつくって、一所懸命歌って。
そしたら歌が終わった後に、
髪の毛のない子や顔の陥没した子たちが
「お姉ちゃんたち、どうして泣いてるの」
って言うんです。看護師さんが
「あなたたちがあんまり一所懸命聴いてくれるから、
お姉ちゃんたち感動しちゃったのよ。楽しかった?」
と尋ねました。するとその中の一人が
「凄く楽しかったぁ。大きくなったらお姉ちゃんと一緒に歌いたい」
って、もう私、本当に胸が張り裂けそうで…。
その時に、心から、あぁ歌は素晴らしいと思いましたし、
いま生きていて、自分のできることを一所懸命やることが、
どんなに大切なことかを凄く強く感じました。
その帰りの電車の中で、ある生徒が
「先生、あんなに皆を悲しませちゃって、私たちが合唱をしに行ったことは
本当によかったんだろうか?」
と言ったんです。何しろあの場にいた大人たちが
あまりにも涙を流していましたから。
その時に私は
「うん、よかったんだよ。
たぶん、お母さんも、病院の先生も、看護師さんも、
皆悲しくて、もう泣きたくて、泣きたくてね。
でも、いま一所懸命生きている子たちの前で泣けないでしょ?
それを、あなたたちの歌で感動したふりをしてね、
思いっきり泣くことができたからよかったのよ。
明日からまた笑顔で頑張っていけると思う」
と言ったんです。すると生徒が
「そうか。じゃあ私たちの歌で少しは楽になったのかな?」
と言うから
「そうよ。そして歌を聴いていた子たちが
『お姉ちゃんと一緒に歌いたい』と言った。
生きよう、って。
いや、生きるということは分からないかもしれないし、
もしかしたら一か月後には命がない体かもしれないけれど、
少しでも希望を持って生きようとしたということは、
素晴らしいことだから」
と話して、お互いに感動しながら学校に戻ったことがあるんです。
私は、生きているということは、
自分一人がここに存在して、
ただ呼吸をしているのではなく、
いろいろな人と出会って、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、
苦しみを分かち合ったりして、
相手の心や周りにいる人たちの心を、
ちゃんと感じられることではないかと思うんです。
私が慰問演奏に行った時に、
「いまを大切に生きなければ」と強く思ったのは、
幼くして亡くなってしまう子たちもいるんだから
頑張って生きよう、という思いではなくて、
あの時、あの部屋の中で、
それぞれの人の心がうごめいていたんですね。
無邪気に喜んでいる子供や、
日頃泣けない家族の人たち……、
そういう、たくさんの思いが
満ち溢れている中に入ったから、
あぁ、ちゃんと生きていかなくちゃ、
神様から与えられたこの命を、
大切にしなくちゃいけないと感じたのだと思うんです。
谷川俊太郎さんの詩に
「生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ」
という言葉がありますが、本当にそんな思いですね。
そうやって、いろいろな人の思いを感じられることで、
人間は生きている価値が生まれてくるものだと思います。
2012年8月8日水曜日
先生という職業・・・。
『致知』という雑誌があります。
私はこの雑誌を大変に高く評価するものです。
その雑誌の記事の一部です。「教師とは何か、先生とはどのような存在か」を、この記事ほどはっきりと教えてくれるものはないように思います。
『教育原理』だの『教育心理』だのの本を何百冊読んでも、この一本の記事にはかなわないでしょう。
##########
その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。
・。。・゜゜・。。・゜・。。・゜゜・。。・゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・
本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。
たった一年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、 それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
『致知』2005年12月号 総リード
私はこの雑誌を大変に高く評価するものです。
その雑誌の記事の一部です。「教師とは何か、先生とはどのような存在か」を、この記事ほどはっきりと教えてくれるものはないように思います。
『教育原理』だの『教育心理』だのの本を何百冊読んでも、この一本の記事にはかなわないでしょう。
##########
その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。
・。。・゜゜・。。・゜・。。・゜゜・。。・゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・
本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。
たった一年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、 それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
『致知』2005年12月号 総リード
「ありがとう!」そして「また会いましょう!」
皆様,暖かいレスポンスをありがとうございます。
彼女の葬儀以来,ワイフと二人して何か身体全体のおかしさ,精神的な面でのアンバランスを感じていました。余りに早い彼女の帰天に,たぶんこちらのメンタルとフィジカルのバランス維持システムがついて行けなかったのだと思います。
同時に,人の心を本当に癒せるものは「感謝」の気持ちであることも,実感として分かりました。だから・・・『ありがとう!』って,すばらしい言葉なのですね。
私よりも年下のくせに先に逝ってしまった彼女ですが,でもやっぱり今までの全てのことに『ありがとう!』です。
いつかまた天国でお目にかかりましょう!
※彼女の「天国行き」は保証されていますが,私の場合は危ないかもしれません(汗)。悪いことはもうできませんね・・・(笑)。
2012年8月7日火曜日
友人との別れ
先週末,わたしとワイフの共通の友人を一人亡くしました。
大学生時代からの友人でしたので,付き合いはもう35年以上になります。わたしたちは結婚が比較的早く,子供もその分若いうちに授かったので,看護師をしていた彼女にずいぶんと助けられました。
特に上の子は,幼いときお風呂に入れてもらったりオムツを取り替えてもらったり,親代わりとなって散々お世話になっています。
ワイフがパリにしばらく「子連れ留学」をしていたときも,まだ幼い彼は,たまたま同じ時期にパリにいた彼女に遊んでもらい,食事につれていってもらい・・・と,言葉にはできないほど面倒を見てもらったりしていました。
彼女は私より二つ下で,ワイフと同い年です。看護師としての仕事が大変に忙しくなり,最近は年に何回かしか会えませんでしたが,会えば家族同然の付き合いとなり,それは楽しい時間を過ごしたものでした。
その彼女が身体の不調を訴えて,M病院に入院したのがちょうど一ヶ月前。
「腹痛がおさまらない」
というのが主訴でした。
当初は
「腸炎らしい」
という診断でした。
決して「腸炎」を軽んずるつもりはないにせよ,
「まぁ,絶食して腸の調子を整えて,だんだんに普通食に戻せばいいんじゃないの」
というような素人考えをしているうちに,
「食物を一切受け付けない,無理に食べると強烈な吐き気と腹痛でどうにもならなくなる」
という知らせがご家族から届きました。7月27日,ちょうど10日ほど前のことです。
「何か悪い病気では・・・」
と心配をしているうちに,先週の金曜日,全く突然,
「意識混濁に陥ったので,今のうちにあわせる人がいたら会わせておくように」
という知らせが舞い込みました。
友人間に大至急連絡を取り,同じ昔からの仲間5人と枕元に駆けつけたのがその日の16時。そのまま夜の10時過ぎに眠るように息を引き取ったそうです。
ドクターからは『上腸管膜動脈血栓症』という病名・死因を聞かされました。大変厄介な病気だといこと以外,私には(あるいはご家族の方にも)何の知識もありません。
おそらく彼女自身も(看護師でしたから病名を聞けば理解はできたと思いますが),自分がそのような病を得ているということを意識することすらなかったと思います。
それほどに急な,全く予想もしない他界でした。
学生時代に出会った友人が,年に一度全員で会い,静かな時間をともに過ごし,最後は楽しく食事をしてまた来年の再開を約すというような会を,ここ数年行っています。今年は12月の2日です。
「それまでには治したいねぇ。皆にもう一度会いたいよ」
この言葉が,彼女交わした殆ど最後の言葉となりました。
何の前触れもなく大部屋から個室に移されたこと,急に回りがあわただしく騒がしくなったこと,それにも関わらず点滴以外に特に治療法に変化がなかったことなどから,自分自身が大きな病院の看護師でしたから,彼女にはもうある程度のことが自覚できていたのでは,とも今になって思います。
確認する術もありませんし,今となっては確認できても仕方のないことです。
私は今までに肉親,親族,友人,教え子を含めてかなりの数の人の死に立ち会ってきました。いつかは私も見送られるほうになるのだと思いつつ,それでもやはり一人の人の「死」とは,
「悲しいもの」
なのだと思わずにはいられません。
残されたものが,先に逝った人の分まで生きなければならないことは当然のことです。ですが,それでもやはり,別れは
「悲しい」
ものですね。
大学生時代からの友人でしたので,付き合いはもう35年以上になります。わたしたちは結婚が比較的早く,子供もその分若いうちに授かったので,看護師をしていた彼女にずいぶんと助けられました。
特に上の子は,幼いときお風呂に入れてもらったりオムツを取り替えてもらったり,親代わりとなって散々お世話になっています。
ワイフがパリにしばらく「子連れ留学」をしていたときも,まだ幼い彼は,たまたま同じ時期にパリにいた彼女に遊んでもらい,食事につれていってもらい・・・と,言葉にはできないほど面倒を見てもらったりしていました。
彼女は私より二つ下で,ワイフと同い年です。看護師としての仕事が大変に忙しくなり,最近は年に何回かしか会えませんでしたが,会えば家族同然の付き合いとなり,それは楽しい時間を過ごしたものでした。
その彼女が身体の不調を訴えて,M病院に入院したのがちょうど一ヶ月前。
「腹痛がおさまらない」
というのが主訴でした。
当初は
「腸炎らしい」
という診断でした。
決して「腸炎」を軽んずるつもりはないにせよ,
「まぁ,絶食して腸の調子を整えて,だんだんに普通食に戻せばいいんじゃないの」
というような素人考えをしているうちに,
「食物を一切受け付けない,無理に食べると強烈な吐き気と腹痛でどうにもならなくなる」
という知らせがご家族から届きました。7月27日,ちょうど10日ほど前のことです。
「何か悪い病気では・・・」
と心配をしているうちに,先週の金曜日,全く突然,
「意識混濁に陥ったので,今のうちにあわせる人がいたら会わせておくように」
という知らせが舞い込みました。
友人間に大至急連絡を取り,同じ昔からの仲間5人と枕元に駆けつけたのがその日の16時。そのまま夜の10時過ぎに眠るように息を引き取ったそうです。
ドクターからは『上腸管膜動脈血栓症』という病名・死因を聞かされました。大変厄介な病気だといこと以外,私には(あるいはご家族の方にも)何の知識もありません。
おそらく彼女自身も(看護師でしたから病名を聞けば理解はできたと思いますが),自分がそのような病を得ているということを意識することすらなかったと思います。
それほどに急な,全く予想もしない他界でした。
学生時代に出会った友人が,年に一度全員で会い,静かな時間をともに過ごし,最後は楽しく食事をしてまた来年の再開を約すというような会を,ここ数年行っています。今年は12月の2日です。
「それまでには治したいねぇ。皆にもう一度会いたいよ」
この言葉が,彼女交わした殆ど最後の言葉となりました。
何の前触れもなく大部屋から個室に移されたこと,急に回りがあわただしく騒がしくなったこと,それにも関わらず点滴以外に特に治療法に変化がなかったことなどから,自分自身が大きな病院の看護師でしたから,彼女にはもうある程度のことが自覚できていたのでは,とも今になって思います。
確認する術もありませんし,今となっては確認できても仕方のないことです。
私は今までに肉親,親族,友人,教え子を含めてかなりの数の人の死に立ち会ってきました。いつかは私も見送られるほうになるのだと思いつつ,それでもやはり一人の人の「死」とは,
「悲しいもの」
なのだと思わずにはいられません。
残されたものが,先に逝った人の分まで生きなければならないことは当然のことです。ですが,それでもやはり,別れは
「悲しい」
ものですね。
2012年8月4日土曜日
今日の欠席数
今日は欠席数が全体の三分の一に上りました。
夏の期間は土曜日にオープンキャンパス等が集中することが多く、そちらに参加するため授業は欠席という人もいますが、それにしても三分の一とは・・・(苦笑)。
先生方も心配しているところです。
欠席のほとんどが「体調不良」です。身体の状態が悪いということであれば欠席は止むをえません。
でもそれが土曜日に集中するのは不自然です。
受講生が何らかの理由で休もうと、授業は通常通り行われます。もちろん授業に一回欠席したからと言って、学力が目に見えて落ちるというような性格のものではありません。でも私がここで強調しなければならないことは、
「授業に継続して出席する」
という
「事実のもつ重み」、
まさにこのことなのです。
試験場で自分を支えてくれるものは、偶々良かった一回や二回の模擬試験の成績ではありません。
暑かろうと寒かろうと、具合が多少良かろうと悪かろうと、
「どんなことがあっても、自分は一年間を必死に駆け抜けた!やり抜いた!」
という、嘘偽りのない
「事実」
なのです。
その事実の重みを、自分で今から壊すようなことをしては、何のためにご両親から医進塾での勉強のチャンスを与えてもらったのか分からなくなります。
もちろん、授業にちゃんと出たからと言って、それが合格を
「『保証』するわけではない」、
これも否定できない事実の一部でしょう。医学部・獣医学部の入学試験とは、単に授業になんとなく出るだけで受かるほど甘くはありません。
ですが逆に、
「受かっている人は、授業にちゃんと出続けた人」
ということも、医進塾や私が今まで指導するチャンスを与えられたいくつかの高校で、私が実際にこの目で見てきた決定的な
「事実」
でもあるのです。
そのあたりのことを、もうそろそろ塾生にも心底理解してもらってよい時期なのではないかと、先ほども理事長と話をしてきたところです。
夏の期間は土曜日にオープンキャンパス等が集中することが多く、そちらに参加するため授業は欠席という人もいますが、それにしても三分の一とは・・・(苦笑)。
先生方も心配しているところです。
欠席のほとんどが「体調不良」です。身体の状態が悪いということであれば欠席は止むをえません。
でもそれが土曜日に集中するのは不自然です。
受講生が何らかの理由で休もうと、授業は通常通り行われます。もちろん授業に一回欠席したからと言って、学力が目に見えて落ちるというような性格のものではありません。でも私がここで強調しなければならないことは、
「授業に継続して出席する」
という
「事実のもつ重み」、
まさにこのことなのです。
試験場で自分を支えてくれるものは、偶々良かった一回や二回の模擬試験の成績ではありません。
暑かろうと寒かろうと、具合が多少良かろうと悪かろうと、
「どんなことがあっても、自分は一年間を必死に駆け抜けた!やり抜いた!」
という、嘘偽りのない
「事実」
なのです。
その事実の重みを、自分で今から壊すようなことをしては、何のためにご両親から医進塾での勉強のチャンスを与えてもらったのか分からなくなります。
もちろん、授業にちゃんと出たからと言って、それが合格を
「『保証』するわけではない」、
これも否定できない事実の一部でしょう。医学部・獣医学部の入学試験とは、単に授業になんとなく出るだけで受かるほど甘くはありません。
ですが逆に、
「受かっている人は、授業にちゃんと出続けた人」
ということも、医進塾や私が今まで指導するチャンスを与えられたいくつかの高校で、私が実際にこの目で見てきた決定的な
「事実」
でもあるのです。
そのあたりのことを、もうそろそろ塾生にも心底理解してもらってよい時期なのではないかと、先ほども理事長と話をしてきたところです。
2012年8月3日金曜日
夏期講習第2週目後半へ
先日始まったばかりだと思っていた夏期講習会が,既に第2週の後半に入っています。並行して実施している「単語暗記チェック」も,次第に熾烈さを増してきました。単語の暗記チェックには文系コースの生徒3名も参加しています。合宿に参加し,同じ単語暗記確認テストを受ける以上,
「文系の自分たちだけうかうかしてはおられない」
と,意を決して参加。スタートは若干遅かったものの,かなりの成績をあげています。
文系のコースと医進塾の生徒とは,実際のところ(隣の校舎を使って,物理的には近くにいるのですが)今まであまり接点がありませんでした。教科・科目の違いといえばそれまでですが,同じところで勉強していて,何にも関係がないというのもまた寂しいものです。
その意味で今度の合宿は,互いに切磋琢磨するという意味においても,非常によい機会だと言えると思います。
医進の塾生は
「受験科目が多い分,限られた時間を120%使わねばならない」
というプレッシャーがあります。
文系コースの生徒は
「文系なのだから英語ができて当たり前と思われる。出来なかったら恥ずかしい」
という別のプレッシャーがあります。
両方の立場の生徒が,自然な形で競いあい,それぞれに成果を上げていってくれるとしたら,こんなにすばらしいことはないと思います。
お互いに
「負けるものか!」
という健全なライバル意識が育っていってくれることを期待しています。
「文系の自分たちだけうかうかしてはおられない」
と,意を決して参加。スタートは若干遅かったものの,かなりの成績をあげています。
文系のコースと医進塾の生徒とは,実際のところ(隣の校舎を使って,物理的には近くにいるのですが)今まであまり接点がありませんでした。教科・科目の違いといえばそれまでですが,同じところで勉強していて,何にも関係がないというのもまた寂しいものです。
その意味で今度の合宿は,互いに切磋琢磨するという意味においても,非常によい機会だと言えると思います。
医進の塾生は
「受験科目が多い分,限られた時間を120%使わねばならない」
というプレッシャーがあります。
文系コースの生徒は
「文系なのだから英語ができて当たり前と思われる。出来なかったら恥ずかしい」
という別のプレッシャーがあります。
両方の立場の生徒が,自然な形で競いあい,それぞれに成果を上げていってくれるとしたら,こんなにすばらしいことはないと思います。
お互いに
「負けるものか!」
という健全なライバル意識が育っていってくれることを期待しています。
2012年8月2日木曜日
近畿大学医学部入試が医進塾で!
来年の1月27日(日)に医進塾校舎を使ってで『近畿大学医学部入学選抜試験』が実施されることになりました。
普段自分たちが勉強をしている場所で,実際の入学試験が受けられるというのは,医学部コースの皆さんにとって最大のメリットです。
来年度受験の日程もほぼ全部(医学部・獣医学部については)出揃っています。昨日のAO入試対策講座に見られるように,
「既に受験は始まっている!」
ということなのだと思います。
近畿大学医学部の過去問(解等・解説付き)が,近々届けられる予定です。到着次第,配付いたしますので,目を通しておいてください。
医学部受験日程一覧表は一両日中に各自にお渡しします。
普段自分たちが勉強をしている場所で,実際の入学試験が受けられるというのは,医学部コースの皆さんにとって最大のメリットです。
来年度受験の日程もほぼ全部(医学部・獣医学部については)出揃っています。昨日のAO入試対策講座に見られるように,
「既に受験は始まっている!」
ということなのだと思います。
近畿大学医学部の過去問(解等・解説付き)が,近々届けられる予定です。到着次第,配付いたしますので,目を通しておいてください。
医学部受験日程一覧表は一両日中に各自にお渡しします。
2012年8月1日水曜日
AO入試対策特別講座
今日は14時30分から,5号館3階の会議室に麻布大学企画室課長の中山浩一先生をお招きし,「麻布大学獣医学部AO入試対策個別指導会」(長くてすみません・笑)を開催しました。
AO入試の受験を希望している塾生に対し,一人30分~40分の時間をかけて,エントリーシートの書き方や,それがどのように実際の大学の先生方から評価されるか,等の解説と指導をしていただきました。
今日の指導を元に,エントリーシートの最終チェックを明日から行い,提出した人から,今度は「面接対策」に入ることになります。
それらの最終的な結果が出るまにではまだ数ヶ月あるにせよ,来年度入試は,
「既に始まっている」
と言っても良いでしょう。
一日一日を
「大事に過ごす」
ことを,次回HRで塾生には強調して話したいと思います。
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