2012年2月13日月曜日

医進12いよいよ・・・

獣医学部、医学部の発表が順次続くなか、いよいよ医進12が少しつづ動き始めました。今日は午前中に医進12の最初の塾生であるI垣くんが来校。割り当てられた自習室ブースに座り、k山先生の数学の指導を受け始めました。

高校卒業後、外国にしばらく出ていたこともあり、理系の勉強そのものからは遠ざかっていた期間が長いI垣くんですが、k山先生の指導で、徹底的に基礎からやり直すプログラムを組み、今日は一日中数学漬けだったようです。

明日は英語のh田先生の指導を受けることになっています。

非常に真面目で努力を厭わないI垣くんのようです。どこまで伸びるか楽しみでもありますね(笑)。

午前中、合格した塾生の保護者の方から大変に丁寧なお葉書を頂戴しました。とても嬉しい内容のお葉書でしたが、特に、

「医進塾でなければ、この結果はだせなかったとおもいます」

と書いていただいたところに、心を打たれました。

「お預かりして良かった!」

と思うと同時に、まだ合格まで達していない塾生のためにも、最後まで力をつくし指導に全力を上げたいと改めて心に決めた次第です。

医進塾は、

「去る者は追わず、来るものは、拒むこともある」(笑)

予備校です。

昨年もその前も、入塾希望があるからと言って全員を入学させるわけではありませんでした。今年もその方針は同じです。入学時の基礎学力も重視しますが,何より入学する本人の『勉強への誠意と努力を厭わない態度,志の高さ』を基準にします。

多少点数や学力が高くても,勉強への誠意の見られない子には,他の学校を勧めます。

こちらが選んで入って来てもらった以上、最後の最後まで徹底的に指導したいと考えています。

医進11が去り、新しく医進12がスタートします。

新しいドラマの始まりです・・・。

合格発表(2/13)

本日(2/13)までの合格者を『塾生専用ページ』に掲載しました。

ご確認ください。

まだ事務室に届けていない方は、大至急お願いします。

2012年2月12日日曜日

長崎で考えたこと

私が最初に長崎を訪れたのは,18歳のとき,家族旅行ででした。40年前のことになります。『雲仙・長崎・別府の旅』とかいうものだったように覚えています。

それ以来,何度訪れたことでしょう。おそらく30回くらいになると思います。

もちろんそのほとんどは『旅行』というよりも,当時長崎聖母の騎士学園にお世話になっていた息子たちの「保護者会」だったり「進路説明会」だったり,あるいは「文化祭」や「宗教劇」だったり・・・と,親としての学校訪問でした。

特に上の子は学校の先生がたに

「逆らいまくっていた」(本人の弁・笑)

ため,私は担任の先生や生活指導の先生にお目にかかるたびに,コメツキバッタのようにひたすら頭を下げてお詫びを申し上げていたような記憶しかありません(笑)。

今回は,半分は仕事でしたが,あとの半分で時間を自由に取り,今まで行けなかったところに足を伸ばしてみたりしました。

長崎というと,どうしても避けて通れないのが「キリシタン史」です。江戸末期,大浦に建てられた「フランス寺」のプチジャン神父のところに,浦上の寒村に住む農民が来て,「私の胸,貴方の胸と同じ」と,告白し,250年にわたる潜伏キリシタン史にピリオドが打たれたことは,余りにも有名な話です。

長崎のキリシタン史は,遠藤周作の作品『沈黙』で有名です。長崎を訪れる人は一度読んでから行かれるとよいと思います。私は一人のカトリック者として遠藤が描くところの「キリスト教」に,必ずしも賛成するものではありません。ですが,賛否を超えて心に訴える大きな『問』を投げかけられることは事実として認めねばなりません。その意味では「名作」と言ってよいのではないでしょうか。

キリシタンの歴史を見るとき,私たちが決して忘れてならないのは,

『許し』と『和解」,そして『平和』

だと思います。

そのどれもが「ただの許し,ただの仲直り,ただの平和」ではなく,信者としての「一生をかけた許しと和解と平和」であったことを,長崎という地は,私たちに教えてくれます。

イザヤ・ベンダサンという名前でも有名だった山本七平(『日本人とユダヤ人』の著者です)が,ある時,ある司祭との対談中に,

『カトリックには長崎があるからなぁ・・・かないませんよ』

と言ったことがあります。

彼自身はプロテスタントでしたが,一般的にカトリック教会に対しては批判的なはずのプロテスタント教会の方をも,感動させるような何かを,長崎という場所は持っているのです。

私にとって,長崎は,自分の故郷以上の場所でもあります。

合格おめでとう!!

獣医学部の合格発表が続いています。

合格!』を手にされた方,心から

おめでとうございます!


今までの苦しさが全て

「溶けてゆくようです!」

と言った人がいます。

「言いえて妙」

とはまさにこの言葉だと思いませんか?(笑)

順次『塾生専用ページ』にお名前を掲載させていただきます。

万が一,ミスや洩れがあった場合は,至急事務室にご連絡ください。

今の時点で,まだまだこれからに挑戦する人もいると思います。仲間の喜びは皆さんのこれからの喜びでもあります。

絶対に合格を手にする!!

という気持ちを忘れず,残された日々を過ごしましょう。

2012年2月8日水曜日

長崎行き

明日と明後日、長崎でプレゼンテーションのお話をしてきます。名古屋には何度か呼ばれて行ったことがありますが、長崎は初めてなので、楽しみです。

でも上の子も下の子も、両方とも『長崎の聖母の騎士学園高校』というところにお世話になって、学期が改まるたびに保護者会やらなにやらで東京ー長崎間を行ったり来たりしておりましたので、全く知らない場所というわけでもありません。

市内なら観光案内ができるくらいです(笑)。

そのため、明日と明後日はブログの更新もできなくなると思います。ご了承ください。

明日からは連続して獣医学部の合格発表ですね!結果を楽しみにしています!

2012年2月7日火曜日

考えてしまった画像

これは考えました。

人間の外界認識のプロセスってどうなっているのでしょうね。

全部間違っている字なのに,読めてしまう・・・・。「全体は部分の集合ではない」というゲシュタルト心理学の考え方が,基本的には正しいということだろうとは思います。


解説には「最初と最後の字があっていれば,人間は間を自動調節して読んでしまうものなので,実はケアレスミスはこういうふうに起こるのです」と書いてありました。

そうはそうだと思いますが,もしかしたら私たちはこの文章を「字」として認識していないのかもしれないとも思います。人間の脳には「空間補完能力」というものがあり,分かっているものである場合は最小限の情報からそれを再現します。

でもそれはあくまで,

「分かっているもの」

という限定がつきます。

上のパネルの文章も,私たちにとって日常茶飯に使っている文章だから読めるのであって,全く未知の内容であれば読めないと思います。

通訳や翻訳をしているときによく感じることと同じですね。Translateしたりinterpretしたりしているとき,私たちは決して新情報を字,あるいは音声という形で脳に伝達し,そこで「他言語への変換」をしているのではありません。

私たちの頭の中に

「既に形成されている知識」

を,その場に相応しい形に変えて,その文章に,

Read IN

しているだけなのです。

単語一つ一つを忠実に訳したら,とても読むに(聞くに)耐えない文章になってしまいます。

そんなことも含めて,パネルを見ながらいろいろと考えていました。


done is better than perfect

フェイスブックの創始者の言葉だそうです。

常に・・・ということではないのですが,勉強にも同じようなことが言える場合があります。

男なら・・・(笑)。

この画像も似たようなものでしょうか(笑)。

思わず悪いほうに「頑張れ!」って言ってやりたくなります。

正義の味方・・・?

笑ってしまった画像です。

確かに「正義の味方」よりも「悪の組織」のほうが,きちんとした経営・営業努力を重ねているようですよね(笑)。

2012年2月6日月曜日

医者の決意

FBに載せた記事ですが、こちらにも再録します。

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上山博康さん(旭川赤十字病院第一脳神経外科部長脳卒中センター長)

秋田脳血管研究センターの伊藤善太郎先生から学んだことはたくさんあります。
まず伊藤先生に接していて一番違和感があったのは、患者さんが亡くなると深々と頭を下げて

「力及ばず申し訳ございませんでした」

と謝るんですよ。

それまで、謝るなんて言葉は僕の辞書にはなかった。重症で手の施しようのない患者さんに対て、

「そうやって謝ったら、こっちに落ち度がないのに医療ミスのように取られてしまいませんか」

と言ったんです。

すると伊藤先生はこうおっしゃったんです。

「それは上山、医者の論理だろう。医者にはダメだと分かっても、患者さんの側には分かるわけない。助けてほしいから来ているんだよ。俺たちに力がないから助けられないんだよ」

衝撃でした。

その時の伊藤先生の言葉はいまでも忘れません。

それから、

「目線の高さを変えるな」

とも言われました。

「患者は人生を懸けて手術台に上るんだ。俺たちは何を懸ける。おまえのプライドを懸けろ。医者としてのすべてのプライドを懸けろ。それしか患者の信頼に応える方法はないんだ」

普段は穏和な伊藤先生が、その時ばかりはゾッとするくらいの気迫でした。伊藤先生は44歳の若さで亡くなられましたが、先生のバトンを本当の意味で受け取れたのは、その後北大に戻って、ある脳腫瘍の患者さんの手術を行ってからだと思います。

伊藤先生が亡くなった後、退官前の都留先生が「戻ってこい」と声を掛けてくださいましてね。再び北大で頑張っているところにその患者さんは来られたのです。

それまで何度も開頭手術をしたけど腫瘍が取れない。

僕とは妙に気が合いましてね。難しい症例でしたがなんとか助けてあげたかった。それで、腫瘍に通じる内頸動脈からカテーテルを通して特殊な接着剤を入れ、腫瘍を固めて壊死させる特別な手術を行うことにしたんです。

手術は順調に進み、終盤に差し掛かっていよいよ接着剤を注入する段階に来ました。四ccほど問題なく入りました。そこでやめればよかったんですが、腫瘍が大きかったのでさらに注入したんです。

その瞬間、接着剤がよそに流れ込まないよう留めていた二本のクリップが開いたんだと思います。
接着剤は全部脳幹に流れていきました。顕微鏡を見て分かりましたよ。

あっ、これはダメだって……。

あの時の感覚は生涯忘れません。空気が凍りついたというか、時間が停止して違う次元へ飛んでいったというか。もう手術室にも、自分の個室にも、どこにも行き場がないんです。脳裏には手術前の彼の笑顔が浮かんでいました。

「俺には独り立ちできていない子どもが二人いるから、まだ死にたくないんだ。俺、先生に任せるから、頼むよ」

自分の愚かさが歯がゆくて、悔しくて……

そのままご家族のところに行き、土下座して謝りました。奥様は泣いたままでした。ご長男が涙を拭きながら言ってくれました。

「……父は先生のことが好きで、先生を信頼して手術を受けると言いました。父の信じた先生が、一所懸命やってこうなったんだから、悔しいけど仕方ありません……」

あの時ですよ、伊藤先生の言葉の重さを本当に理解できたのは。

患者さんは命を懸けて僕たちを信頼する。手術前に遺書を書く人もいますが、患者さんはそのくらいの覚悟で手術台に乗るんです。

医者にもそれと同等の覚悟が要るんです。

「先生に任せるから」

と言ってくれた彼の悔しさが、僕にはどうしても忘れられません。いまでもあの笑顔が脳裏から離れません。だから僕は手を抜けないんです。

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