2008年6月4日水曜日

コストパフォーマンスと練習量

先週はメディカルテスト、今週は初の全国模試、来週は校内模擬試験(早稲田ゼミ到達度テスト)、最後の週にはメディカルの三回目が予定されており、今月はまさに試験の「嵐」のようです。

不順な天候のためか、体調を崩す人も目だってきております。先週から今週にかけて延べ人数で4人の方がお休みしたり早退したりしています。勉強に熱中するあまり自分の身体の具合の悪さを忘れてしまっているのかもしれませんね。大事な入試の前に風邪を引いたりしたら結果は見えています。体調の管理はなによりも普段の生活の管理から始めなければなりません。自分の普段の体温を把握し、のどが痛かったり、やたらに疲れがひどかったりした場合には早めにお医者様にかかるような配慮をしてもらいたいと思います。本当にこじらせてしまってからでは治りも遅くなります。ほんの初期であれば通常の買い薬でも十分に対応できるものです。

そんな話しを昨日ある数学の先生としているとき、その先生の一言が頭に強く残りました。

「数学はコストパフォーマンスの低い教科ですから・・・」

なるほどな、と思った次第です。確かに数学は抽象度の高い科目です。抽象度が高いということは別の言葉で言うと、具体的な問題の解決の方法・答えの出し方だけをそのまま暗記しても、応用が利かない、利きにくいということでもあります。本質のところで理解していないことには何もならないのだ、と、その先生は言いたかったのだと、私は理解しました。

私の教科は英語ですが、ある意味では英語もそうかもしれません。どれだけ単語を覚え、構文を覚え、長文を読んでも、できるようになった気にならないということは良くあることです。

個人的な体験ですが、一定の練習量を無我夢中でこなしているうちに、ある一線を越えた瞬間、全てが理解できるようになったことが何度かありました。英文法を半年間夢中でやり続けたときでした。

目の前の霧が晴れた、というのでしょうか、それまで分からなかったことが「なぜこんなことが分からなかったのだろう」と不思議になるほど、明確に、はっきりと理解できたのでした。今にして思えば、あれば確か「準動詞:不定詞、分詞、動名詞」の部分だったように思い出します。

数学の「微分・積分」でも同じことがおこりました。それまでどうしても理解できなかった数学Ⅱが、あるとき突然分かったのでした。立方体の体積を「底面積を積分する」ことで出したときの感激は、50歳を過ぎた今になっても忘れることができないほどです。

先に書いた先生の言ったことは正しいと思います。「ある一線」を越えるまでは英語も国語もひたすら問題を解かなければならない、練習をしなければなりません。その意味では英語も数学も「コストパフォーマンス」は低いものです。

でもその「一線」を越えた後は、実はその部分についてはほぼ全く疑問の余地なく理解できるし、その力は一生を通じてその人を支えるものになるのです。

受験勉強とは、その「一線」を越えることを目指してする「訓練の総体系」の別名かもしれませんね。そしてその一線を越えることのできた人だけが「合格!」を手にすることができるのだと思います。

そう思うと受験勉強というものは、決して否定されるべきものではなく、むしろ積極的に取り組んでゆくべきものであるし、貴重な青春の一時期をかけるにふさわしい「チャレンジ」でもあるように感じます。