2013年9月11日水曜日

2001.9.11

私が以前の学校に勤務している時のことでした。

隣に座っているアメリカ人講師が、私の前の席の同じくアメリカ人教諭(正式に日本で教員免許を取った人です)と真剣に何かを話し込んでいるのが耳に入りました。

「アメリカ東海岸でとんでもない事件が起こったらしい」

というものでした。いつもは人の顔を見るとジョークしか言わない二人の先生が、真剣な顔つきで話をしているのを見て、

「これはただ事ではないな」

と思ったのを覚えています。

これがあの2001年9月11日の事件でした。

まさに「ただ事」ではなかったのです。

私の前に座っていたアメリカ人の先生はご出身がニューヨークの近くで、ひょっとしたら関係者が巻き込まれたかもしれないというような話しをしていました。

WTCビルが黒煙を上げて燃え盛り、最終的に崩れ落ちるまで、テレビの画像は正確に映し出していました。3000人の犠牲者が出た事件でした。

事件の後、彼らとはずいぶんと話し合いました。誰がよいとか悪いとかではなく、犠牲になった人たちにはいったい何の罪があったのだろうという話しでした。

これが極めて悪質なテロ行為であり、アメリカがこの9.11以来テロ対策には神経質なほど気を使うようになったことは事実です。そのことの是非を彼らと論じたことはありませんでした。

彼らと、時には3時間近く話しあったのは、たった一つ、

「彼らの死に、意味があったのか否か」

このことでした。

アメリカがあの時以来

「断固としてテロは許さない」

という態度を取るようになったのは、彼らに言わせれば、そうしないと犠牲者の死が

「無意味になる」

というものだったのでした。

私は根が単純に出来ているので、それを聞いたとき、

「あ、これは『敵討ち』の発想なのかな」

と思いました。ところがそのことを彼らに言うと、

「そうではない」

というのです。私が重ねて訪ねると、彼らの曰く、

「世界には正義が必要で、今のところそれを体現できるのはアメリカしかいない。だからアメリカが正義を世界中に知らしめる必要がある。犠牲者の死はそのためのもので、そう考えて始めて彼らの死は意味を持つ」

それが正しいかどうか、私にはその時も、今も判断ができずにいます。ですが

「自分たちこそ世界の『警察』でなければならない」

という、彼らアメリカ人の強固に根ざした信念には感嘆の念を禁じえませんでした。

彼らとは2003年にお別れしたまま、未だにお目にかかる機会を得ておりません。もし会う機会があれば、あの時の彼らの信念に何か変化はないかどうか、改めて聞いてみたいと思うのです。