2008年6月25日水曜日

サンケイ新聞から

今日のサンケイ新聞の「めざましカフェ」に大変感動的な記事がでていました。漫画家のさかもと未明さんが棋聖戦直前の佐藤康光棋聖にインタビューをした、その時の感想です。私がヘタな要約をするよりも、一部を引用させていただきます。

『驚いたのは対戦相手に恐怖を感じることがないというひと言だ。

「理由は自分でもわかりません。恐ろしく単純な人間なのか。けれど、勝負というのは負けたらアウトなので、間違っていないという確信がなければ指せないんですね。ですから、常にベストという自負をもって勝負に挑んでいます」

聞いていて舌を巻いた。それだけ徹底的に準備するということなのだろう。負けることが一番の厳しい教師です、と氏は続けたが、どんなに努力しようと必ずどちらかが負ける勝負というものに磨かれた棋士の、なんと潔いことか。

最近の「敗者をつくらない」競争を否定した教育文化では、決してこういう人間はつくれまい。負けの屈辱を知らずに済んでしまっている代わりに、われわれは礼節や自制、胆力を、きっと学び損ねている。』

この記事を読み、やはり私の頭に浮かんだのは医進塾の塾生のことでした。「敗者を作らない」どころか「敗者のほうが多い」勝負に向って、彼らはこの一年をかけているのです。

もちろんそのかけ方には千差万別があります。ですが、ここに集う受験生が、途中で進路変更をしない限り、来年2月~3月には間違いなく全員が「合格か不合格か」の二つしかない試験に挑むことだけは間違いがありません。

考えようによっては棋聖戦よりも厳しい勝負だともいえそうです。彼らの一生がかかった勝負の場だからです。

その場に向う今の時点を、自分に妥協なく過ごすことで、学力だけでなく「自制心、向上心、胆力と礼儀」とを身につけていってもらいたいものだと、強く感じました。

2008年6月24日火曜日

夏至

先日が夏至でした。今が一番昼間の時間帯が長い時期で、あとは短くなるばかりです。

日の長さなど、勉強に関係ないだろうという人もいますが、実際にはとても深く関係してくるのです。
外気が暖かく、日の光が強いときは意識も上向きになります。「暑い、暑い」と言いながらも「がんばるぞ!」という気持ちが、太陽の光で引き出されてくるような印象です(笑)。

これが秋になり、冬になり、外気温が下がり曇りの日が多くなるに連れて、全く逆になってきます。試験で予想もつかない悪い点をとった場合なども、夏であれば「ま、いっか」となるのですが(笑)、冬ですと(試験が近いことも理由のひとつではありますが)「もうだめだ~」となりがちです。

私のような歳になると、照ろうが降ろうが関係ない、やることをやるだけさ、というフテブテシさも身につけますが、まだまだ若い受験生はそう簡単に気持ちをコントロールできないのです。

平常心を養う・・・というと聞こえはよいのですが、要するにそれは、夏には夏の、冬には冬の特徴があり利点があることを知り、それを意識的に自分のために使う癖をつけるということなのだと思うのです。

夏は暖かい分開放的であり、気持ちがちり勝ちにもなるでしょう。冬は寒くて家に閉じこもりがちになってしまうものですが、その分何かに集中するにはよい季節でもあると思います。

自分が置かれた立場、ポジション、場所の全てを自分にとって有利になるように利用することができれば、それはただ単に「勉強」のみならず「人生の達人」とも言えそうです。受験勉強はそのための絶好の訓練の場だ、などと言うと、「勝手なことを言うな」(笑)と怒られますでしょうか(^_^;)。

そういえば私の宗教哲学の恩師であるY先生は、授業中、「蚊に絶対さされない方法を知っているか?」と私たちに問いかけ、誰も分からないでいると「それは、蚊に『ささせる』ことさ」と言って笑っておられました。

同じ状況であっても、それに対する自分の気持ちの持ちようで結果は180度変わってくるということをY先生はおっしゃりたかったのだと思います。今にして思えば良くわかることですが、あの頃は何もわからずお互いに顔を見合わせては、不満そうな表情を浮かべていた青二才でありました。もう今から30年以上前のことです。

2008年6月23日月曜日

情熱・努力・実力

神田にある老舗のお寿司屋さんに、すし職人見習いとして入った地方出身の若者がいました。言葉の問題もあり、なかなか江戸前の仕事のやり方になれることができません。寿司職人として基本中の基本である、白米の炊き方から失敗の連続で、何度やり直してもうまくいかない自分に嫌気がさし、彼は田舎に帰ろうとします。

こっそりと部屋に置手紙を置き、人知れずお店を抜け出してJR御茶ノ水の駅で上野行きの切符を買い、まさに電車に乗ろうとしたその彼の前を、乗りなれない補助輪なしの自転車の練習中の、店のお嬢さん(幼稚園生です・笑)が通り過ぎます。

手助けをしようとする周りの大人の手も借りず、何度も転び、手足をキズだらけにしながら「○○(その青年の名前です)も一人前になろうとしてがんばっている!自分も早く大人の自転車にのれるようになれなきゃ!」と言って練習を続けてゆくのです。

その姿を見た青年は、手の中の切符をその場で破り捨て、もう一度店に戻ってゆき修行を続ける・・・という、そういう筋でした。

できすぎた設定だといえば言えるような、良くあるタイプの話です。

その彼に、お店の女将さん(90歳以上ですが、まだカクシャクとしています)が言うのです。「情熱が努力を生み、努力がいつか実力に変わるのさ。できるだけやってごらん」。

確かに良くあるタイプの、浪花節的なお話です。でもこのような話が良くあるということは、それだけ多くの人から求められるひとつの理想の生き方がここにあるからだとは言えないでしょうか。

勉強は一にも二にも、まず努力から始まります。楽をして学力がつくほど勉強は甘くありません。でもその努力は、その先にある目標に向けての正しい「情熱」に支えられていなければなりません。情熱のない努力は非常に変質的なものです。

実力はその正しい努力の結果が形になったものと言ってもよいでしょう。

医進塾の塾生には、この「情熱に支えられた努力」を、ぜひ心に刻んでもらいたいと思うこのごろです。

PS
この話は『こちら葛飾区亀有公園前派出所』からのものです(笑)。私は『こちカメ』第一巻からの熱烈なファンです。日本を知りたいという外国人には、日本語がある程度読めるようになったら、かならず『こちカメ』は読んでおきなさいよ、とアドバイスをすることにしております(笑)。

2008年6月19日木曜日

リクリエーション+コミュニケーション

本当に久しぶりに、何もない木曜日でした(笑)。

6月は最初の二週間が全国模試と校内実力テスト。来週の木曜は第3回メディカルテストです。木曜日は授業のない「中休み」の日だとは言っても、実際には5月末からほぼ一ヶ月間、「木曜=テスト」という生活を、医進塾ではこなしてきたことになります。

模擬試験は受験生の仕事の一部とは言え、あまり試験の連続では息が詰まってしまうことでしょう。

そんなわけで(どんなわけだ・笑)、今日は近くにあるすき焼き、しゃぶしゃぶ食べ放題のところに行き、心ゆくまでしゃぶしゃぶをみんなで食べて来ました(笑)。

たまにはこんなのもよいですね。最初と最後は医進塾在籍~年という(あまり自慢にはなりませんが・苦笑)Mくんの「私と医進塾」というスピーチがあったりして、それなりにみんなが楽しんでくれたようです。

医進は生徒数が少ないですから、みなすぐに仲良くなるのですが、それでもこんなに何もしないで(食べること以外)、友達と好きなことを話す機会は、そうそうあるものではありません。これをきっかけにして今まで以上に、みなが仲良くなってくれることを期待しています。

できれば二学期にもやりたいし、最終的には来年の3月に「合格祝賀会」を大々的にしたいものだと考えています。

2008年6月18日水曜日

医進塾特別講座

医進塾では通常の授業に加えて、折りに触れて「特別講座」(ピンポイントアタック講座)を開講しています。原則として1学期は校内生が対象のクローズドレクチャーでしたが、夏を前にしたこの時期からは一般生・校外生も対象に、オープンレクチャー形式で行うようになっています。

普段の授業の最中に、教える側も、教わる側も、「あ、ここが弱い!」とはっきり分かることがあります。でもカリキュラムの関係でそこだけに時間をとって教えることができにくいことも多々あるのです。

かといって自学自習だけで弱い部分を補うことは、無理でもあり危険でもあります。

医進塾の「特別講座」はそのようなときのための講座です。その教科の本当に弱い部分、「そこだけ」に光をあてて、徹底して分析し、弱点を抉り出し、懇切丁寧に解説をしたあと、定着のための演習に結び付けます。

少なくともその部分に関しては全員が120%理解できた!!といえるまで解説と演習を繰り返します。

今回は数学ですが、今までの3回は「英語、数学、化学」と多岐に亘っておりました。

校内生に限らず、一般生・校外生であっても、自由に受講できます。夏を前にしたこの時期に、ぜひ多くの方に受講をお奨めします・・・と言いたいところなのですが(笑)、例によって医進塾は超少人数制ですので、校内生が申し込みを終わらせますと、空席が多いとはいえない状況です。

今回6月29日(日)は「数学ⅢCのピンポイントアタック」ということで、申込が多いことも予想されます。受けてみたいとお考えの方は、医進塾事務局(03-3205-4308)に事前に空席状況をお問い合わせくださいますよう、お願いいたします。

2008年6月16日月曜日

チップス先生、さようなら・・・

昨日、ヒルトンの名作『チップス先生さようなら』の、昔の映画を見ました。デジタル処理したDVD版です。モノクロの映画など見るのは本当に久しぶりです。数日前に水野 晴郎さんがお亡くなりになったという記事を見て、昔の映画を見てみたいと思い、500円で購入して見ないままにしてあったこのDVDを引っ張り出してきたものです。

このDVDを長い間みなかったのには理由があります。小説のほうがあまりにすばらしくて、映像で印象を限定されたり壊されたりするのがイヤだったからです。

ストーリーはいたって単純明快。ブルックフィールド校という、名高いパブリックスクールに赴任した若き教師のチッピングが、60数年の教職生活を勤め上げ、最後には校長職にまで手の届くところに至りながら、最終的には「公式の任命をしない、校長事務取り扱い」という立場に殉じ、退職して後、多くの生徒の思い出を胸に秘めながら死んでゆくというだけのものです(煩瑣な説明を避けるために映画では臨時の校長職に正式につくことになっていますが)。

チップスという稀有な人材(というよりも、「平凡」であるという点では引けをとらないと自他共に認める人材)と、ブルックフィールドという伝統的な学校のおりなすきわめて日常的な出来事を、それはそれで非常に誠実に果たそうとする、人間同士の交流の奥深さが余すところなく表現されているのがこの小説でした。

今はだいぶ変わったように聞いておりますが、イギリスの古きよき時代のパブリックスクールの伝統と、イギリス人の誇りとが画面上いたるところに見られるすばらしい映画でした。小説と印象がほとんど変わらなかったのも嬉しいことでした。

見終わっての感想ですが、こんなに単純な映画がなぜこのように大きな感動を与えてくれるのか、改めて考えさせられました。でもそれはこの映画のもつ「単純な本質」のなせるワザなのだと思えば不思議もありません。

小説でも映画でも、この映画の主題は「教育の本質」です。そしてそれを可能にするのは深い愛情に支えられた直接的な人間関係をおいて他にはないという自信に満ちたメッセージを(映画も小説も)私たちに届けてくれているのです。

ネットも大切、ケータイも便利。でも本当の人間関係を支える「感動」は、時代や国柄を超えて不変です。それが最も分かりやすい形で現れるのが「教育の場」なのでしょう。

私自身はチップス先生になどはなりきれませんが、それでも与えられた場と人間関係との忠実でありたいと願っています。

私は先日55歳になりました。でもチップス先生がなくなられた87歳という年齢までにはあと30年以上あります。その30年をどのように生きるか、そんなこともチップス先生はそれとなく教えてくれたように思います。

私の高校時代からの愛読書の一冊でもある『自由と規律』(岩波新書)を、なんとなくもう一度読みたくなっているのを感じます。同じテーマを扱っており、時代的にも重なる部分が多いからなのでしょう。

今週は「古きよき時代のイギリス」について考えるのがテーマになりそうです(笑)。

2008年6月11日水曜日

夏期講習・合宿受付開始!!

気候不順な梅雨の合い間を縫って、やっと少し晴間も見え出した昨日・今日です。医進塾での授業も、1学期はちょうど残すところ1ヶ月となりました。

7月5日で前期が終了。その後1週間の「特別講座期間」がおかれ、14日から「夏期講習」が始まります。4月に授業が始まったわけですが、アッという間ですね。私たちもそう感じていますし、きっと塾生の皆さんも同じ気持ちなのでしょう。

医進塾の夏期講座は全て「集中講座」方式です。1学期の授業を参考にして、足りない部分にはそれなりの手当をし、応用・実戦に行ける部分は2学期の先取りをして授業を組み立てます。

もちろん外部の方が受講しても十分についてゆけるような対応の仕方を考えておりますので、もし興味がおありの方があれば、いつでも医進塾事務局(3205-4308)にご連絡ください。

一応のスケジュールその他はウェブのニュース欄に載せてあります。また近々夏期講習・夏期合宿に特化したウェブページもアップする予定ですので、そちらもぜひご覧下さい。

多くの方のご連絡をお待ちしております(とは言っても医進の授業は「超少人数制・定員制」ですので、定員の場合はご容赦ください)。

2008年6月4日水曜日

コストパフォーマンスと練習量

先週はメディカルテスト、今週は初の全国模試、来週は校内模擬試験(早稲田ゼミ到達度テスト)、最後の週にはメディカルの三回目が予定されており、今月はまさに試験の「嵐」のようです。

不順な天候のためか、体調を崩す人も目だってきております。先週から今週にかけて延べ人数で4人の方がお休みしたり早退したりしています。勉強に熱中するあまり自分の身体の具合の悪さを忘れてしまっているのかもしれませんね。大事な入試の前に風邪を引いたりしたら結果は見えています。体調の管理はなによりも普段の生活の管理から始めなければなりません。自分の普段の体温を把握し、のどが痛かったり、やたらに疲れがひどかったりした場合には早めにお医者様にかかるような配慮をしてもらいたいと思います。本当にこじらせてしまってからでは治りも遅くなります。ほんの初期であれば通常の買い薬でも十分に対応できるものです。

そんな話しを昨日ある数学の先生としているとき、その先生の一言が頭に強く残りました。

「数学はコストパフォーマンスの低い教科ですから・・・」

なるほどな、と思った次第です。確かに数学は抽象度の高い科目です。抽象度が高いということは別の言葉で言うと、具体的な問題の解決の方法・答えの出し方だけをそのまま暗記しても、応用が利かない、利きにくいということでもあります。本質のところで理解していないことには何もならないのだ、と、その先生は言いたかったのだと、私は理解しました。

私の教科は英語ですが、ある意味では英語もそうかもしれません。どれだけ単語を覚え、構文を覚え、長文を読んでも、できるようになった気にならないということは良くあることです。

個人的な体験ですが、一定の練習量を無我夢中でこなしているうちに、ある一線を越えた瞬間、全てが理解できるようになったことが何度かありました。英文法を半年間夢中でやり続けたときでした。

目の前の霧が晴れた、というのでしょうか、それまで分からなかったことが「なぜこんなことが分からなかったのだろう」と不思議になるほど、明確に、はっきりと理解できたのでした。今にして思えば、あれば確か「準動詞:不定詞、分詞、動名詞」の部分だったように思い出します。

数学の「微分・積分」でも同じことがおこりました。それまでどうしても理解できなかった数学Ⅱが、あるとき突然分かったのでした。立方体の体積を「底面積を積分する」ことで出したときの感激は、50歳を過ぎた今になっても忘れることができないほどです。

先に書いた先生の言ったことは正しいと思います。「ある一線」を越えるまでは英語も国語もひたすら問題を解かなければならない、練習をしなければなりません。その意味では英語も数学も「コストパフォーマンス」は低いものです。

でもその「一線」を越えた後は、実はその部分についてはほぼ全く疑問の余地なく理解できるし、その力は一生を通じてその人を支えるものになるのです。

受験勉強とは、その「一線」を越えることを目指してする「訓練の総体系」の別名かもしれませんね。そしてその一線を越えることのできた人だけが「合格!」を手にすることができるのだと思います。

そう思うと受験勉強というものは、決して否定されるべきものではなく、むしろ積極的に取り組んでゆくべきものであるし、貴重な青春の一時期をかけるにふさわしい「チャレンジ」でもあるように感じます。